kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「てんがらもん144回」、「未だ79歳」からの挑戦

2014-12-06 21:59:58 | 「てんがらもんラジオ」

    どうしたのか?

    文章が無くなった!

    今夜は「随筆かごしま」の写真だけ。

お話しでは195号まで出されたそうですが、写真は

第170号です。

文章は明日にします、朝が早いので休みます。

 

   ここから以下は6日記入分です。

昨日の「随筆かごしま」の写真は、Googleで「随筆かごしま」を

検索しダンロードしたもので、URLは、

 http://blog.livedoor.jp/nposatsuma/archives/50671547.html  です。

    先程、Googleで「随筆かごしま」を検索しましたら、昨日の「kaeru

のつぶやき」が出てきました。「明日にします」と言った責任を果たさ

なければ、と思いました。

 

    実は昨日はタイトルを【「未だ79歳」からの人生】として公開した

のです。しかし、このタイトルでは上薗さんの気迫を受け止めてもらう

には一般的すぎる、と感じました。そこでタイトルを書き直したら、本

文が全部無くなったのです。多分余計な所に指が触れたのでしょう。

   

    【「未だ79歳」からの人生】も「79歳ですがこれからの人生も張り

切って生きます」という意味は十分に通じます。だが、上薗さんの経てき

た人生とその人柄と出版に対する思いを受け止めれば、そんな一般的な意

味としては聞き手は満足しません。「未だ79歳」の「未だ」にはやらな

ければならないものへの強い思いが込められていると受け止めました。

 

   椋鳩十さんとの出会いが結婚の契機になり、その夫との「壮絶」な生活の

なかで小さい出版社の経営に全力をあげ、「随筆かごしま」を守り育て宝物

という存在にしてきました。話のなかで強く印象に残ったのは上薗さんの出

版に対する熱情を支えた椋鳩十さんの文学と人柄への信頼です。

   それは椋文学を支えた鹿児島の風土でもあるのか、そして多分「随筆かご

しま」に寄稿された随筆等にもあふれていたものだったろう、と思います。

    その「随筆かごしま」も第195号までで休刊になっていますが、200

号までは自分の手で出したいといわれていました。

    

    こういう人生には80歳を前にして「これからは静かに余生を」などという

気配は微塵もありません。中野医師の話以来、私の関心のなかに大きな位置を

占めるのが、人生を生き抜くという姿勢です。上薗さんの姿勢にその典型を見

た思いがします。

    それは寝たきりにはなりたくないと、毎日3~4キロを歩き体力を維持し

つつ出版社関係の方々との交流も続けておられます。次へのステップを見据

えての体力気力十分と感じました。