小冊子の入った郵便物の差出人が私の知人の名前? いや読みは同じだが一字違う、
と思いつつ宛名が妻宛てになっているし、だいいちその知人はすでに他界しています。
妻に聞くと保母時代の同僚で、辞めたあとも年一回の旅行会を数人と重ねている仲間
の一人、二年前に亡くなった人。ご主人が奥さんの思い出に奥さんが詠まれた俳句を
選び編んだものでした。いかにも手づくりらしい、そして詠み手作り手の気持ちが掌
に乗る感じです。写真を載せたいのですが、私宛てではないし私の知る人でもないの
で控えます。
俳句づくりがこのような形で遺されたことに、同じ趣味を楽しんでいる者として感慨
もあり俳句のいくつかを紹介して、過ぎた日を振り返る八月にふさわしい「つぶやき」
にしたいと思います。
ご主人の挨拶文より【結婚して五十年、二十五日間の闘病で旅立ってしまった妻に報
いるすべもなく、ただただ冥福を祈るのみの毎日です。】
枯れ葦の 細きにかえる ゆれゆれて
けぶり雨 小さき蛙 ひとつとび
かえる見て 子のおどろきや 土手の道
土くれに 東風をさけおる かえるかな
用水に 水あふる日近し 蛙かな
※ 開いたページに蛙を詠んだものが目につきました、縁のひとつというべきでしょう。
あわせて小さい命懸けへに目が向けられています。
草もちを 子と二人食(は)みおり けぶり雨
ひるねの子に せめて動かす 古うちわ
小さき 声一つ蝉の逝きし この夕ぐれ
子に追われ 低く逃げゆく 秋の蝶
小春日に 赤ん坊の足 のびのひと
ふた冬を 迎えて歩まぬ わが子なり
※(ご主人の挨拶文より【障害児の親となり人生の進路が若干変わりましたが、三十年
以上「障害児運動」でお役に立つ事が出来ました。】)
手足細き 吾子のいじらし ありを追う
小さき手に 豆一つぶの 鬼はそと
※ 載せられている俳句は、昭和42年から平成25年まででした。多くのご苦労を重ねられた日々のなかで俳句を詠むことが日々の中身をつくるひとつであったのだろう、と思います。