ここは孫連れの爺婆旅で泊まった花巻温泉郷のひとつ金矢温泉の宿の近くです。道路の左側の小高いところに特に道があるわけではないのですが、赤松の間に通るだけの空きがあり散策するにかなりの道のりを楽しめました。
歩きつつ白秋の詩「落葉松」が浮かんできます。
からまつの林を過ぎて
からまつをしみじみと見き
からまつはさびしかりけり
たびゆくはさびしかりけり
というのですが、ここでは「さびしかりけり」になりません。
もちろん落葉松と赤松の違いがあるし、白秋の詩的境地とはまったく違った境地にいるkaeruですからここではさびしくないと言っても、あぁそうですかと誰も耳を傾けてはくれないでしょう。
でも一言つけ加えると、今回の旅はひとり来たわけではないし、kaeru夫人の計画で私はついていればいいという至って楽な役どころで気楽なものだったからですし、敢えてさびしがる必要もありませんでした。
旅はよく人生に例えられ、旅のさびしさと人生のさびしさを重ねて述べられます。この赤松の道なき道を辿りながら、今回の旅はさびしさと無縁だなと実感したのはあるいは人生を通じてさびしさには縁の無い人生だったのではないかと気付いたのかも知れません。
来月のブログ仲間との木曽路の旅もそういう旅のひとつなのでしょう。