kaeruのつぶやき

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黒田さん、亡くなりました。

2015-10-03 21:53:51 | つづきの海を はろば...

 百歳への「意志」  で紹介しました黒田さんが亡くなりました、7月に満百歳を迎えていましたから享年101歳ということになります。

7月5日の講演で話されたのが多くの人の前で話す最後であり、私も会場への送迎の車椅子を押しながらの会話と昼飯を近くの蕎麦屋で過ごした時間が最後でした。その後お会いせずに来てしまったのですが、元気なままの姿で残っていることが良かったのかと思います。

通夜と告別式の連絡をくれた人は、私を黒田さんの教え子だと言われました。私と付き合いの短いその人から見ればそう思われたかも知れません、光栄だと思います。長い教員生活でしたから多くの教え子がおられます、当然その人たちは先生と呼びます。私も周りの人と同じように先生と呼んできました。人生の先輩として郷土史の研究者として先生と呼ぶに相応しいことは間違いありません。

同時に20年を越える黒田さんとの付き合いで印象に残るのはその知的探究心でした。あわせて短歌集を著しているように感性の豊かで一面鋭い人でした。百歳までパソコンに向かっていたのも知的探究心好奇心などにもとづく、知的対象と人との交流を通じて常に学び取ろうとする生徒の立場でもあり、熱心な先生は熱心な生徒でもありました。

また、夫を戦地に奪われひとり子を育てつつ戦後の教職員活動に身をおき、地域の文化活動のリーダーの役割を果たされてきました。「逗子葉山九条の会」の中心的役割も発揮、九十歳過ぎまで会の駅頭宣伝に立っていました。

最後に写真を二枚、

   

これは7月5日の講演会で参加者に配られたものですが、もともと黒田さんが従来の観光案内パンフ等の各施設などの説明にもっと歴史的背景を加えたいとの発案で作られたものです。その右の頁に「神武寺」の項がありますがこれは私が書く分担でした。資料もいただき書いてはみたのですが当日うかつにも打ち合わせ会場を間違えて渡せなかったのです。その穴埋めを急遽やっていただいたのでした。

そのことをあとで知ったのです、お詫びもお礼も言わずのお別れになってしまいました。黒田先生、ありがとう御座いました。