人の評価は棺を覆ってから定まる、とすれば今日から黒田康子(しずこ)さんとはどういう人であったかが現れてくるわけです、だとすれば誰によって表現されるのか。
同じようなことわざで、「昼は夜になってから、一生は棺を蓋ってから称えよ」と言われます。昼間執り行われました告別式について今つぶやくのはこのことわざにあっているというわけで、今日から「評価」が始まることも。
そこでまず式場に掲示されていた写真を昨日に続いて、やはり結婚式での写真を掲げるべきでしょう。昭和16年(1941)、夫義さんとの晴れ姿。
ひ孫の接吻?それとも内緒話、右側の青年が孫の史郎さんで喪主を務めました。父親であり康子さんの一人息子の忠夫さんはすでに亡くなっています。
7月の満100歳のお祝いです、ババちゃん100、とあります。
さて次は式場での写真ではありません。
逗子の地域史をみていく上で欠かせない基本史料になる「逗子市桜山石渡滋家文書」の第1集で、第3集まで刊行が予定されています。ここにも黒田さんが後の者に託した「仕事」があります。先に故人の評価は誰によってなされるか、と自問しましたがそれは故人が提起した課題を自らのものとし、追究する者の手によってなされるものだと思うのです。
もちろん、この史料集の刊行に限りません。郷土史全般、葉山地域史の研究の継承、「逗子葉山の九条の会」活動などなど、また戦争法廃止の国民連合政府実現への取り組みなどなどに黒田康子さんの姿は夫義さんと共にあらわれてくるに違いありません。
私もそのなかのひとりとして加わりたいと思います。