昨日タイトルを「残すこと遺すこと」にしたのは、『この海のつづきの海を』のなかのある文章に納得がいったからです。
それは黒田義さんの友人が本に寄せた次の言葉です。
「黒田義のこと 富士正晴」(昭和五十五年の) 六月九日
「昨日、康子夫人が持参して下さった黒田の、日記、手紙・歌のゲラを読み、若い黒田の仕事振りの充実していること、生活態度・研究態度の質実・純粋・猛烈なことに、大変感心して、惜しい人間を殺してしまったなと今更ながらに思った。
(略)
われわれはほぼ同年生まれ……、満年齢でいえば二月位しかちがっていない。
(略)
奇妙なことだが、建築などのことは判らぬわたしが、昭和十年代の初期に黒田を、末期に京大講師の鈴木義孝の二人の建築家を友人に持ったこと、この二人は戦死してしまったことなど、どういうことかと思う。
黒田は康子さんの努力でこのような本が出て、まだしも幸せと思うが、鈴木義孝の方はわたしはその遺族の所在も知らず、彼の遺稿がどうなったかも知らない。
黒田は偉い男であったが、幸せな男でもあったと思う外はない。十分に燃焼して生きたのだから、そして、こうした本が出たのだから。」
いかにも親友の弁であり小説家で詩人らしい言葉です。