iPhoneについてのこんな話。話の出処は『還暦からの電脳事始(デジタルことはじめ)』(高橋源一郎著)です、面白い本です。
【 1歳半のお子さんが、ふと父親のiPhoneに手を伸ばしたのです。まだほとんど意味のある言葉を話せないのに、左手にそれを持ち、右手の人差し指でキーをスライドさせて、こともなげにロックを解除させました。唖然として見ていると、そのままアプリ一覧をスクロールして、iPhoneアプリを立ち上げ、自分が映っているビデオや、家族の写真を拾い出してきて、こちらを見てにっこり。画面の3分の1ほどしかない小さな指が、右に左に写真をスルーする様は圧巻です。それに飽きると、別なメディアアート系のアプリを立ち上げて、父親に見せたりしていました。特に教わる事もなく、見よう見まねで触っているうちに使いこなせたのだとか、別のケータイは使えないそうです。】
「唖然とした」というのは工業デザイナーの山中俊治さんという方です。
高橋さんがこの後に、
【 iPhoneやiPadのすごさは「使用説明書なんか読まなくてもいい」ということだろう。すべては(「ことば」ではなく)「デザイン」でやってしまうのである。「ことば」の世界は、共通ではない。そのすべてで説明書をつくらなきゃならないとしたらたいへんだ。それに、世界には、文字を読めない人も多い。】
と書かれたいます。
そういえば私もiPadを入手した時「使用説明書」はなかったし、それが不自由だとも思いませんでした。でも基本的が機能は使えはじめるともっと使いこなせたらと欲も出てきます。
それに昔の電脳製品についていた分厚い「説明書」が頼り甲斐があるかに思われ、こんな本を買ってしまいました。
それで使いこなせているかというとそうなっていないのです。幼児の才能に追いつけません。