どうしてこんなに地震が多いの?
足元がグラグラしたら足元を見る、その下を!
そう、海の底です。
下の地図を参考にして下さい。
全体はここで見られます。 http://www.gsi.go.jp/common/000082924.pdf
この日本列島にこのように原発があります。
どうしてこんなに地震が多いの?
足元がグラグラしたら足元を見る、その下を!
そう、海の底です。
下の地図を参考にして下さい。
全体はここで見られます。 http://www.gsi.go.jp/common/000082924.pdf
この日本列島にこのように原発があります。
大地震は政治を変える。
これは「熊本地震」のことではなく「天正大地震」のことです。人間社会も地球上の諸現象のひとつですから、大地震が地球上の諸事に大きな影響を与えると同じ様に政治上のことに影響します。
当然のことながら今回の大地震も日本社会、その一つとして政治に大きな変化を生み出すでしょう。それはもう少し先の話で今夜は1586年1月18日に起こった大地震のことで、当時の暦でいえば天正十三年十一月二十九日ということです。この地震解説のWikipediaの最初の部分です。
写真の説明にある「地滑り痕」「崩壊跡」は今回見る「痕・跡」そのものです。ちょうど430年前起きた自然現象が所は変わっているが同じ現象として痕跡を残しました。
では政治上のこととは? 前回 ー2ー は天正十四年十月に【 家康は遂に上洛を果たし、大坂城で秀吉と対面し臣従の礼を取り、秀吉政権に従属することになった。】と始めましたが、この地震はその一年ほど前のことでした。
家康の上洛を「遂に」と書かれているように、1年前の家康は石川数正出奔や第一次上田合戦の敗退などにより秀吉との開戦が近いと臨戦態勢を急いでいたというのです。
平山さんによると、【ところが、十一月二十九日亥刻いのこく(午後十時頃)、内陸部を震源とする推定マグネチュード7.2~8.1の大地震が、関西、中部地方を中心とする地域を襲った。大規模な余震が三十日にも発生し、それは十二月二十三日まで続いたという。この地震は秀吉に深刻な打撃を与え、家康との即時開戦に踏み切ることが困難になった。秀吉は、家康打倒を目指す強硬策から一転して、上洛を促す融和策へと外交路線を変更するのである。】
このあと紆余曲折があり、特に秀吉が妹旭姫を家康の正室として娶めあわせることで家康は臨戦態勢を解き上洛した、につながっていきます。