ただしカエルに代わりR先生の歴史話をお届けします。8日に予告されていました「白村江」について。
唐、新羅連合の圧力に苦しむ百済の救援要請を受けて、斉明天皇は、西暦660年から百済援軍派遣の準備を進め、翌年には自身も筑紫に出陣し、朝倉営を本営としました。がここで崩御されました。中大兄皇子は斉明天皇の意思を引き継ぎ朝鮮半島遠征の準備を進め、663年日本軍は、朝鮮半島南部の白村江において唐、新羅連合軍と戦い敗北してしまいました。661年筑紫に行く船に乗っていた人々のなかには大海皇子、鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)後の持統天皇、額田王もいました。そして額田王の詠んだ和歌「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出(い)でな」です。
続いて、女性君主についてです、
女性君主についてお伝えします。第33代推古天皇(額田部皇女)(592~628)聖徳太子の叔母。東アジアではまだ女性君主は見られない。朝鮮半島では善徳(ソンドク)女王が新羅で、632年初の女性君主として即位。中国では武則天(690年~705年)が中国史上唯一の女帝です。第35代皇極天皇(642年~645年)第37代斉明天皇(655年~661年)は同じ人です。第41代持統天皇(690年~697年)は天智天皇と遠智娘(おちのいらつめ)の娘で、天武天皇の妃です。第43代元明天皇は、持統天皇の異母妹で持統天皇の息子、草壁皇子の妃です。第44代元正天皇は、元明天皇の娘です。第46代孝謙天皇第48代称徳天皇は、同じ人です。聖武天皇の娘です。持統天皇以降の詳しい物語りは、里中満知子さん作マンガ『天上の虹』、杉本苑子さん作『穢土荘厳』上下巻にあります。興味があったらどうぞ。