「今日が大事な日だ」、朝起きてこうつぶやいてみました。昨日コロナワクチンの第5回目接種、無事すんで発熱を心配したがこれも事なきを得たという感じでの目覚めでした。
そんななかで殊更今日をとりあげ「大事な日だ」などと目が覚めると同時に「つぶやき」こうして眠る前に思い起こしているのは、なぜなのか。
確かに午後の集まりに出かける予定がありました、実は気分的には、おっくうになっていて昨夜は発熱でもあれば断れる、と密かに思っていたのです。しかし、集まりのこともそれを断る理由がなくなったことも「今日が」などと力みを入れてつぶやくことではないのです。
やはり、コロナ禍を通じて全体としてある不安が、ワクチン接種を経て「今日を生きること」に気持ちを向けさせていたのでしょう。
改めて100歳まで生きる、とか「予定」してみて85歳からカウントして5480日、今日まで176日過ぎている。あと……、などと思うとこれはなかなかのことだ、と。それで「今日の一日」抜きに100歳にはならないという当然のことに思いが至るわけです。だから「今日は大事な日だ」ではなく「今日が大事な日だ」とつぶやいたのです。