kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「縦の絆」考。

2015-03-21 21:09:40 | 葉山そして人

 

kaeru-23 さんが 2014年03月21日 に書かれた記事をお届けします。
 
 彼岸の俳句、他。
 同じ町内の数少ない身内の老夫婦が亡父母に線香をあげに来られた。一昨日の彼岸の入りには墓参りと彼岸法要に参加、新しい卒塔婆を墓に立てる、風に卒塔婆が音をたてる、小雨模様になり急ぎ墓地を下った。  今日彼岸の中日、春分の日、この日の句を、    春分の田の涯にある雪の寺      皆川盤水...
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 gooから送られてきた1年前の「つぶやき」、そこに書かれている老夫婦の奥さんが妻の従姉に当る人で、昨年10月に亡くなったのでした。

 1年前の記録を通じてこの間の身近に起きていた人の変化に思いを深めます。今年も彼岸の入りにはお寺の法要に出て新しい卒塔婆を受け取って墓に行って来ました。

 こういう繰り返しは「縦の絆」のひとつだろうとおもいます。「てんがらもん」158回の玉利さんの歌に親が子に託す願いを感じたのですが、そういう個人とか一家族の話にとどまらす、親世代から子世代、そして孫世代が手をつなぐ輪を意識的につくっていく必要を感じるのです。

 葉山の森山神社の氏子会にかかわって感じたことは普段はまるで人影もないのが祭りとなると、また大晦日からの三が日などびっくりする参拝者の多さです。これなどもまさに幾世代幾十世代のつながりの証です。

 絆という言葉が東日本大震災を通じて助けあいの意味を込めて強調され、その必要性はますます強まっています。そして、今を絆で結びあうとともに歴史をもった絆へと発展させることもこの一字には含まれていると感じます。


「てんがらもん158回」続 縦の絆。

2015-03-20 19:00:29 | 「てんがらもんラジオ」

https://www.youtube.com/watch?v=b_LYxQtUd2k 

 上をURLをクリックされると今回のゲスト玉利正さんが作詞作曲されご自分

で歌われている 「もしも私が」 が聴けます。 玉利さんは 「CD自主作製」 と

紹介せれていましたが、音楽家でも歌手でもありません。 仕事は看板や絵を

かいておられるそうです、その作品を昨日紹介した

FMてんがらもん158回目の報告 でご覧下さい。


 この 「もしも」 は玉利さんが認知症になるのではないかという不安な気持ち

を曲に乗せています。 番組のなかで上床さんがこのCDを数十回も聴き、身内

にも聴いてもらい涙を流しながら聴かれと話されています。私もいま、この歌を聴きながらつぶやきつつあります。音楽が判らない私が曲について述べても見当違いのことを言うかもしれませんが、不安を歌いながら決して暗くなりません。

 それは玉利さんの77年の歩みが教えてくれます。若い時期からの結核の身で、母子家庭の母親を助けできました。特技を活かした映画の看板が先ほどのブログでも見られます。

 そして妻になる人との出会い、周りの反対のなかで「一人ではやっていけない、一緒にやって欲しい」と結婚。その奥さんが8年前にクモ膜下出血で倒れます。後遺症として認知症と同じような症状が続いての看病の結果はこのスタジオで見られるように元気になられた姿です。

 こうしてみると歌の持っているある種の明るさはその困難を乗り越えて来られた夫婦二人の自信と信頼からきているのかと思います。

 そして、自分が認知症になったとしても親としての自分達を見てきた子供への信頼からきているのでしょう。

 絆という文字は東日本大震災を経て広がったのですが、玉利さんの話を通して親から子供へ、子供から孫へと、社会的にも親世代子世代孫世代とつながっていくもうひとつの絆の確かさを感じました。


今年も子規の俳句です。

2015-03-18 20:17:21 | kaeruの五七五

 昨年のお彼岸の日に一年先も俳句をつぶやこうと思い、メモ替わりに予約投稿をしておきました。本当は16日中に投稿できるようにしておくべきでしたが、忘れていました。

 去年の彼岸の入りと一昨年の分です。

毎年さ彼岸の入りに……。 2014-03-18

彼岸の入り。 2013-03-17 

 これで分かるように、一年経っても相変わらずのことしかつぶやていません、進歩のないこと明らかです。

 さて、今年も自分では勉強していませんから、本のお世話になります。

  『現代俳句大事典』(三省堂)による正岡子規の

   「母の詞(ことば)自(おのずか)ら句になりて」

    毎年よ彼岸の入りに寒いのは  

について、「他の人の言葉をとってそのまま句にしてしまうというやり方は、当意即妙で、子規が敏感に他人の言葉に対して反応する性質だったことを示していよう。」 と書かれています。

 同じ事典の芥川龍之介の  薄綿はのばし兼ねたる霜夜かな  

の解説で

「これも詞書に “伯母の言葉を” とある。 当意即妙な句である。 子規も同じように<毎年よ彼岸の入りに寒いのは>と作っていいる。こうした機智も二人に共通している智性であり即興性が抜群。」

とあります。

 もう少し勉強する振りをさせてもらい、これも同じ事典から。

 「俳句の修辞」という項目に、

“ 口語と文語について、修辞という見地から触れておく。俳句の五・七・五はいうまでもなく文語から生まれたものであり、七五調や五七調が生きている。 しかし、現代の俳句は口語の要素も入りこんでおり、芭蕉の時代のような文語そのままではない。また、原則として文語で俳句を作っている作家でも、修辞として口語を用いる場合がある。

毎年よ彼岸の入りに寒いのは>(正岡子規)、<約束の寒の土筆を煮て下さい>(川端茅舎)、<街の雨鶯餅がもう出たか>(富安風生)。

こうした作品では、口語による親しみやすさが加わっている。”

 

 さて、来年の彼岸の入りの日には何をつぶやくのだろう、少しは勉強の跡が見えればいいのですが。


予約投稿。

2015-03-17 21:55:08 | kaeruの五七五

毎年よ彼岸の入りに

上の「つぶやき」についてはワイコマさんからコメントを頂き気づきました。
改めて明日つぶやきます。

 
コメント日が  古い順  |   新しい順
明日ですよね? (屋根裏人のワイコマです)
2015-03-17 20:17:46
もう 彼岸になりました、明日から彼岸の入り
21日の土曜日が春分の日・・・
何故か?彼岸明け・・って暦には書いてありません
なぜなのかな~~なんて つぶやいています
 
彼岸の入り。 (kaeru)
2015-03-17 21:56:38
 実はこの部分は昨年の17日に予約投稿しておいたもの
です。正岡子規の句を取り上げようと、忘れるといけないので
メモしておいたのですが、忘れていました。

 舞台裏をお見せして失礼しました。

 今年の彼岸の入りは明日です。

新聞とブログでの出会い。

2015-03-15 23:59:35 | ブログ仲間

新聞は「しんぶん赤旗 日曜版」で、出会ったという人はこの人。

女優の有馬理恵さん、何時も目を通すコラム欄ですので、読み終わっても特に

気になったわけではありません。でもこの名前に見覚えがある、と気づいたのが

下のブログです。

国際女性デー・歌と記念講演・保育仲間と食事・ゲストさんへの文書つくり

2015-03-08 
 
このなかに鹿児島での国際婦人デーの 「春のつどい」 が紹介されています。
講演された有馬さんに写真もありますのでクリックしてみて下さい。
下の文章はchidoriさんの書かれたものを転載しました。
(chidoriさん、御了承下さい)
 
講演  有馬理恵さん

「いのちを見つめて~おしばいとおはなし」

ふるえるような怒りの奥底に 

「すがるようないのちの願いがあった」

有馬さんの講演とお話、あまりに強いインパクトでまとめることもできません。

会場中がお話に惹きつけられ、感動を共にされたと思います。このお話にあるのは

差別、そして平和への熱いねがい、戦争で失われたたくさんの命への怒りや悲しみ

福島原発・東日本大震災で今なお苦しんでいる人々の思い。

それは彼女の生まれながらにして祖父母たちが被差別民として受けた時代に

始まっていたように思えました。

水上勉の「釈迦内柩歌」の一人芝居を480ステージ演じ続けてきた。思いの深さ、

がひしひしと伝わる90分でした。

 

ブログのおかげで、女優情報に疎いkaeruの記憶に素敵な方が加わりました。

chidoriさん、そして有馬裕子さん、ありがとうございました。

 

 

 


自慢話。

2015-03-14 22:38:00 | 非詩的なつぶやき

小父さんの家で酩酊してきました。小母さんの月命日は明日なのですが、他に予定があり今日お線香をあげに行って来ました。

小父さんの家で久しぶりに相撲を見て、安美錦の頑張りを感心しながら観ました。その前の何人かの取組で足にサポーターを巻いている力士が大体負けていて、小父さんと矢張り足に踏ん張りが効かないからでしょう、などと話していたのです。

ところが、両方の足を大きく巻いている安美錦がなんとそれまで6連勝、そして目の前で7連勝目を上げました。体育系でない私にとっては相撲も門外漢ですが、素人目にもこの競技にとって足腰の大切さは分かります。

スポーツだから特に足腰が重視されるでしょうが、日常の生活の要も足腰でしょう。その意味で昨日届いた健診の「骨密度測定結果」を見て、我が意を得たりでした。

「あなたの音響的骨評価値は、3.366です」 「同じ年齢と比較して、133% に相当します」

「若年成人時と比較して、115% に相当します」と書かれています。

健康以外自慢するものがないと思っていた、しかしそれも風邪などで自信を失ってきたところですから、この評価はありがたいです。 

アルコールの勢いで自慢話をしました。


「てんがらもん157回」 昭和の保育。

2015-03-13 16:24:58 | 「てんがらもんラジオ」

昨日の続きです、「てんがらもん」の視聴は、 「てんがらもん157回」で。

ゲストの久保田さんを迎えて現役と元保母さん四人の懇談を通じて「昭和の保育」という言葉が印象に残りました。

昨日も触れましたが私の妻も保母として働いていましたが、四人の方と違って公立でした。しかし私達の長男は最初無認可保育園そこにお願いしていました。

昨日の写真でなかの本で、写真が映っているものがあります、妻の本で『港区公立保育園のあゆみ』と題する本です。そのなかに公立外の保育所として「みつばち保育所」として紹介されているのがそれです。

「昭和四十年八月、~地域で働く母親自らの手で開園され、四十四年二月認可保育所となり」とあります。開園のこの年長男が生まれていますから、早速ここに預けつつ夫婦で働く生活が続いたわけです。

無認可の時代は一軒の普通の家の部屋を保育所として使っていました。私も子供をおんぶしたり抱っこしたりし、急な坂道を上がっていった記憶があります。その後長男は近くの公立保育園に移りました。

「みつばち保育所」は近くの平野義太郎さんの屋敷のなかに移り認可保育所になったのです。平野さんは私と村永さんのコメントによく出てくる方で、戦前からの進歩的な経済学者です。

子育ての経緯を語ることは家族史を語ることになります。特に子どもが幼い時期は家族関係の核をつくっていく時期にあたります。それだけにその時期の子どもをどういう保育環境で育てるのかは家族全体の将来の関わる問題だと言えます。

番組中 「ポストの数ほど保育所を」 という運動が紹介されていました。さきほどの「港区」の記録に「昭和42年(1967)に誕生した革新都政は積極的な福祉行政を推し進め、~無認可保育所に助成措置を講ずることになった」と記されています。そして全都的に許可保育所が急増していきます。

「子育ては一番の要だ」ということをみんなに知って欲しい!と番組で強調されていました。その通りだと思います。一家族にとってはもちろん、社会全体にとって、まさに基本中の基本なのです。

にも関わらず、という思いが今回の四人の共通の思いであること、それを発信し続けることの重要さを示した番組でした。

 


「てんがらもん157回」 最初の思い。

2015-03-12 23:08:45 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもん」157回は元と現役の保育者の語らいになりました。視聴し終ってかなり色々な思いが浮かび、改めて保育について考えさせられました。

kaeru夫人も元保育者ですから、その思いのなかには妻のことも含まれてきます。それで今まで手にとったことのない妻の本を開けてみました。

この写真がその一部ですが、今夜はこの 『保育問題の20年 2 』 のなかの言葉を紹介だけにしておきます。

この第2集の前の第1集に対し「前に書いたものを本にしたに過ぎない」  という声が多くあったことに対してこのように述べています。

「私どもは、この意見に対して強く反論します。過去、多くの人々が今日の保育をきづいてきたことは、誰しも認めることでしょう。この、いままでと、いまとを深く分析しながらこれからさきの保育を考えることが教育の営みだと思います。過去をしっかりとふまえない保育者は、目先の現象だけで保育すると思います。」

 

後は明日にします。