葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

今日の〆は、これでしょう。

2022-11-22 23:34:02 | どこまで続くかこのブログ

新年早々から目が離せません、熱戦が続き3月後半にも連れ込む、などとなったら❗️

第72期ALSOK杯王将戦七番勝負の日程と会場は次の通り。

 第1局=1月8、9日、静岡県掛川市「掛川城二の丸茶室」▽第2局=同21、22日、大阪府高槻市「山水館」▽第3局=同28、29日、金沢市「金沢東急ホテル」▽第4局=2月9、10日、東京都立川市「SORANO HOTEL」▽第5局=同25、26日、島根県大田市「さんべ荘」▽第6局=3月11、12日、佐賀県上峰町「大幸園」▽第7局=同25、26日、栃木県大田原市「ホテル花月」

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「ボクのAIには 感情と魂がある」

2022-11-22 11:10:02 | どこまで続くかこのブログ

このタイトルはこちらからです、

ニューズウィーク日本版 9月27日号 p44〜46 のp 44の一部分、

からはじまる一段目、

下の段には、

「たのか。それはLaMDAと話をしていると、人間のように感じられてくることだという。そして、それだけでもLaMDAを人間として扱うべき十分な理由だという。」

とつながっています。

これは次ページの下の段、

上の段で(LaMDAが求めているのは)「自分を実験にかける前に同意を求めてほしい、人間の従業員と同じように時には褒めてもらいたいというのだ。」と書かれています。

ここには「最も賢いものの1つ」としていますが、「もの」は「」か「」か、読み手がどう受け止めるか、でしょう。

終わりの4ページ目、

写真説明文「決裂 カリフォルニア州マウンテンビューのグーグル社屋。 同社は、LaMDAに 「魂がある」 「自意識が芽生えた」 というリモイン
(右ページ)の主張に根拠はないとしている」

 

こちらで全文読めます。

Google元エンジニアは言う──彼が開発したAIにはあの時、確かに「意識」があった(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

Google元エンジニアは言う──彼が開発したAIにはあの時、確かに「意識」があった(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

グーグルが開発中の対話アプリ用チャットボット「LaMDA」。最先端の人工知能(AI)によって高度な会話ができるよう訓練されたこのマシンには、知覚がある──。開発チームのエ...

Yahoo!ニュース

 
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今日中には間に合いませんので……。

2022-11-21 23:45:36 | どこまで続くかこのブログ

昨日の「つぶやき」のコメント欄に、返信として記したものです、

AI 棋士が「しゃべる」と言うことは意識を持つと言うことが前提です。少し前の「ニューズウィーク日本版」にそれに関連した記事を見たことがあり、探したのですが見つかりません。

そこで取り敢えずこちらを、

内容については、ニューズウィークの記事を見つけてからにします。

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将棋の感想戦

2022-11-20 18:01:50 | どこまで続くかこのブログ

感想戦 (カエル)2022-11-20 18:01:23

将棋で面白いと思うのは感想戦です。終局した後で、
勝者敗者が共に戦いの後を振り返る、お互いにあの局
面この局面でどうだあったか語り合う。こういうこと
は他の勝負事にあるのでしょうか。今夜は感想戦につ
いて「つぶやき」ます。

このミドリ書きは昨日の「つぶやき」へのワイコマさんのコメントへの返信です。私の感想戦への思いと期待に応えてくれていたのが、この(社説)です。

 

(社説)藤井新棋聖 「感想戦」に学びたい:朝日新聞デジタル

 将棋の藤井聡太七段が棋聖戦を制し、史上最年少の17歳11カ月でタイトルを手にした。プロ入りも最年少の14歳2カ月で、デビュー戦から29連勝するなど数々の記録を...

朝日新聞デジタル

 

 

こちらも感想戦を理解するうえで良い解説です。

勝者と敗者が語らう時間 将棋の「感想戦」とは | ニュース | ABEMA TIMES

勝者と敗者が語らう時間 将棋の「感想戦」とは | ニュース | ABEMA TIMES

 2017年6月20日、現役最年長で元名人、77歳の加藤一二三九段が竜王戦で高野智史四段に敗れ、引退が決まりました。中学生で棋士となってから62年10カ月、数々の記録や伝説を...

ABEMA TIMES

 

感想戦は囲碁でもチェスにもありました、こちらで知りました。

感想戦 - Wikipedia

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黄金の3日間だった筈が……。

2022-11-19 18:48:30 | どこまで続くかこのブログ

「黄金の3年」っていわれた岸田自公政権でした、が……

カエル🐸の方は、18、19、20と久しぶりに外出も無く家で初冬の日々を味わうかと思い、昨日の昼間までは俳句の投句をしたり自分達の句集を開いたりして、それらしい時間がありました、ところが、こんな動画が目に入りまして、

藤井五冠が名人戦へ挑戦していることは知っていましたし、最年少名人誕生か、などと「つぶやき」たいものだと思っていましたので「これは見逃せません」、それで夜半から今朝方までネットサーフィンでした🏄‍♂️。

上にあるように金が2つ不動のまま勝った将棋って、あるんですね。

書き写しておきます。

 左右の金をまったく動かさずに勝利した将棋といえば、 1997年12月18日に指された全日本プロトーナメントの藤井猛✖️富岡英作戦ですかね。 構築中の穴熊に急戦を仕掛けて一気に攻め潰すというそれまで見たことのない将棋でした。 居玉このまま四間飛車は攻めというよりは自陣の守りに使い、 歩の頭に角を打ち馬を作ることでぴったり勝利が決まるなど、 いったいどこからこの投了図を読み切っていたんだろうっていう棋譜でしたね。

それにしても将棋ファンという人達は凄い、こうしてすぐに30年位前の棋譜が思い出されるのですから……。

これも気になった記事です、

こんなコメントもありましたので、

 

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KS俳句会、 第二句集を……。

2022-11-18 22:35:36 | kaeruの五七五

鎌倉での句会を重ねて来て第二句集を出そうと「主宰」からの提案がありました、第一句集となるのがこれです。

毎月の句会もここ2、3年コロナでメール句会からZoom 、やっと先々月からか対面に戻って来ました。この小冊子の句集は句会の100回目を機に作成されたもので、各自が1回五句500句のなかから自薦で100句を集めたものでした。

しかし、私は多分60回300句からの100だったと思います。句会発足から一年位遅く参加したこともありますが、何より80回目くらいから句会に出かけなくなったはずです。なにが元になったか忘れています、我儘で句を詠むことができなくなっていたかも知れません。

そんな私に「主宰」が、句集を出すから今までの句から100句選んでみませんか、と声をかけてくれました。それが機になって再び句会に顔を出すようになりました。特に癌とか心臓とかの病を経てみると同病の人もいることもあり、我儘も出ることもなく今日まで続いてきました。

俳句が俳諧と呼ばれた時代から武士町民僧侶等の区別なく俳号で呼びあい、座の文芸としての良さを生み出してきました。この期間、コロナ禍を通じてメール句会とかZoomとか経て、改めてそのことが認識されたという思いです。

この句集が出されたときの「つぶやき」です、

 

俳句の二つの世界。 - kaeruのつぶやき

以前このブログで俳句を読むことと詠むことを題目だけあげたような「つぶやき」をしました。(俳句を「詠むと読む」。2014-05-01)それは合同句集が出されるに当って、感想...

goo blog

 

 

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似たもの夫婦、 似て来る夫婦

2022-11-17 21:32:32 | どこまで続くかこのブログ

昨日の「つぶやき」の続きです、時は一昨日の朝飯時ところは熱海の某ホテルです。10余名が揃いまして大食堂でのバイキング式食事会になって某氏がビールを人数分持って来ました。

前夜たらふくアルコールは入れたし、どーも朝から飲む気分にはならず、乾杯は手元の水で合わせまして、皆さんを観察することに徹しました。補聴器が無くアルコールの入っていない脳内には声が届いて来ません(飲むとかなり聴こえるものですが)。

笑いに次ぐ笑い声、聞こえなくても気持ちの良いものです、そこで気付いたのが昨日紹介しました2組のご夫婦、その組み合わせ同士の顔付きが似てるのです。

そこで皆さんの笑いがおさまったところで、それを申し上げました。多分、似たもの同士で結ばれたかも知れませんが、それ以上に数十年間を同じ境遇で同じことに喜び同じことに悔しがり、子どの病気があれば同じように悩み、治ればこれまた同じようにホッとして来た。同じ時期にその度頬が緩んだり歪んだりして、目が輝いたり涙目になったりし合って来たのでしょう、と。

そして先ほど『故事・俗信 ことわざ大辞典』をひらきましたら、

苦楽を共にし仲良き夫婦は似て来るのは、古今東西の真理なのですね。

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酩酊のなかの 「方向性」 ……。

2022-11-16 23:53:11 | どこまで続くかこのブログ

昨日は熱海の某ホテルで旧友達と3年ぶりの再会、10余名のなかで私が一番年長者になっていました。前回までは一年先輩が参加していたのですが、彼もがんを患っていたと聞きました。

前回からの課題はこの「会」を継続させるか閉めるか、でしたが論議の冒頭に会員(奥さんが軽い認知症のため参加出来ないとのこと)からの私宛の手紙を読み上げ継続を主張しました。その後の論議の内容がほとんど聞きとれませんでしたので、後日主催した友人に確かめたいと思います。

そのことよりも感心したのは、夜の卓を囲んでの飲み語ったひと時で、参加された方に婦人会員の夫が2人宴会の席に参加していてくれました。元より私にとっては初めての方でしたが、集まった会員同士の付き合いでは日常のことだそうです。2組の夫婦と杯を重ねること、それに私の前の席の婦人がかなりいける口で、これまた杯の酌み交わしでピッチが上がってしまいました。

席では気丈に?身を持していましたが部屋に戻ったらストン眠りに、その脳内はほろ酔いから酩酊状態にあって、泥酔に近いのかと……。そんなドロ状の脳内に浮かんできたのが、長方形の箱状が白光りして中に方向指示の矢印が見えるのです。なるほど、会議の席での論議とアルコール気分の集りの合算した結論が「方向性」なのか、今日の集りの人々の半歩先を歩けるか。先がどう見えるか、それも先頭に立ってではなく殿(しんがり)にいて、集団の進むべき方向が見えるか。この仲間の中にいればこそ見える方向があるのではないかと(まあこの辺は覚めてから浮かんできたことですが)。

朝6時駿河湾の朝日を観ながら露天風呂で、数時間前の酩酊状態のなかでの「方向性」を朝日の上る光のなかで思い起こし気分良く朝食を共にして来ました。

昨夜の今頃の夢の続きの続編がこれから出てくるか……。 

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休刊日ですが……。

2022-11-14 20:15:59 | どこまで続くかこのブログ

毎日覗いている西日本新聞のサイト、

ですが、習慣でのぞいたら真っ黒、

 でしたので普段はタッチしてないとこで、

全国旅行支援 不満の声も「制度分かりにくい」「日常生活への支援を」【みんなの経済会議】

全国旅行支援 不満の声も「制度分かりにくい」「日常生活への支援を」【みんなの経済会議】

西日本新聞は、地元経済の話題への意見を募る「みんなの経済会議」で、旅行予定についてのアンケートを実施した。回答者の64・5%が、年内に...西日本新聞は、地元経済の話...

西日本新聞me

 

それで気づいた明日のことのこれ、

明日午後から一泊で旧友達と会う集りの幹事からの通知、

なるほどこういう制度なのか、と。 

それで上の記事から「この意見」に、賛成!
せめて来年の夏休みくらいまで8月一杯、というわけにはいかないのでしょうか。

全国旅行支援は12月下旬までで、利用できる期間は2カ月余り。「本当に活性化を考えているならもう少し長い期間で支援しないと意味がない」(福岡市の会社員男性)と制度の延長を求める意見

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100歳への漢字

2022-11-13 21:19:09 | 100歳へ上手な生き方

このタイトルは、ここからです

「編集後記」も添えておきます。

一九世紀、 或いは明治時代を遠からぬ過去と感得する時間軸において百年という歳月を捉えるとき、それはさほど遠大な “ 過去 ” ではない。 しかしながら、そこに存する人物と出来事の照応、彼/彼女たちの(その都度の)感慨を私たちが与り知ることはない。 白川静は自らの生まれ年に起きた大逆事件、或いは二六歳のときに起きた二・二六事件を如何に見据えていたのか。 *万葉仮名に伏在/顕在する漢字が招来するもの、削字される甲骨文と載字される墨書との間にあるものが 「詩/書物」 となるとき、声と形が遊離する瞬間の詩句はどのようにこの耳に響くだろうか。 白川静は幻視の人ではない。つい先刻の詩情の廃滅した荒漠たる風景を忘れようはずもないのだから。 その影絵をかき消すように白川静は漢字と日本語を畏怖し、祝するのだ。*本特集にあたって多大なご助力を頂きました津崎史さんに記して感謝申し上げます。(A)

「白川静」この人をこのブログでなんと呼べばいいのでしょう。この編集後記のように呼べるのは「ユリイカ」というこの本が「詩と批評」を称しているからでしょう。先生と呼べるのほど身近では、ないどころかお会いしたこともありません。ただどこかで例えばある学校のような建物の廊下ですれ違うようなことがあったら、頭を下げながら「白川先生」とつぶやいたでしょう。だとしたらここでも、白川先生と記していきます。

多分、このところ100歳を我が事として考えはじめたところに、先生の名前に「100歳から始める漢字」と添えられていて、先生の生誕100年であり没後であることを知りました。

永福寺を「ようふくじ」と読むとかがあって、漢字に気持ちが傾きかけたところにこの本です。漢字に引かれることと100歳を考えることが一緒のことではないか、と……。

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