ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

あたふたフランス旅行(5)

2011-02-04 16:11:40 | 旅日記
1月20日(木)フランスでの二日目は、世界遺産の町・アヴィニョンから始まります。

アヴィニョン AVIGNON の町の歴史は紀元前6世紀ごろ、ギリシャ人がこの町を交易の
拠点としたことに始まります。14世紀に法王庁がここに移転し、グレゴリウス11世がローマ
に戻るまで1世紀にわたってローマ法王領として栄えました。



ホテルをでて、まずローヌ川にかかるサン・ベネゼ橋 PONT ST BENEZETを車窓から
見学します。
「アヴィニョンの橋の上で」の童謡で知られる橋は、12世紀に「羊飼いのベネゼ」が神の
お告げによって造り始めたと伝えられ、最初は木の橋でした。1226年に石の橋に架け替え
られた当時は、全長920メートル、幅4mの22のアーチを持つ大きな橋でしたが、17世紀の
大洪水で殆どのアーチが流され、今は4つのアーチを残すだけの川の途中で途切れたまま
の姿になっています。
 幅4mの橋の上で「輪になって踊ろう」というのは、どう考えても無理な話で、実際には
橋の下の中州で踊ったということでした。



これはアヴィニョンの町角で撮した案内図の一部です。(サン・ベネゼ橋が途切れている
のが良く分かります)
バスは左端に見える橋を手前に渡って右へ進み…、



この城壁の下をくぐったところにある駐車場(地図のPの記号)で下車します。



法王庁の裏(北側)にあるこの城壁は、自然の岩壁を利用した要塞の役割を果たしていま
した。中世のキリスト教団は封建領主と同じように、敵からわが身を守るために私兵を持
つなどして領地・財産を守りました。法王といえども例外ではなく、町(領地)全体が城
壁で囲まれて今に残っています。

この城壁の上はドン岩壁公園(ロシェ・デ・ドン ROCHER DES DOMS)で、美しい庭園が
あり、またローヌ川や対岸の町などの絶好の展望台になっています。ここへは後ほど訪れる
ことにして、まずは町の中心地へ。



ここは時計台広場。(地図の下部中央、青い○で囲まれたところ)
左に見える建物はノートルダム・デ・ドン大聖堂、右が法王庁です。
前に見える黒いオブジェは、最近造られた「ゾウが鼻で逆立ちしている」形のもので、
歴史の古いアヴィニョンの建築物の中では、ちょっと不似合いな感じがします。



ノートルダム・デ・ドン大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame des Doms)

12世紀半ば建造されたロマネスク様式の教会堂ですが、その後何度となく改修されてい
ます。鐘楼の上の聖母像は19世紀半ばのもので、最近、新しく金箔が張られたそうです。





法王庁(LE PALAIS DES PAPES 教皇宮殿)

ヨーロッパ中世の代表的なゴジック様式をもつこの宮殿は、教皇(法王)のアヴィニョン
捕囚時代<バビロンの幽閉(1309年~1377年)>に教皇の住居だったところです。完成
までに30年を要したという、この要塞のような建物は新旧ふたつの区画に分れています。
1433年、ローマ教皇庁の所有財産になりましたが、1789年のフランス革命時に殆ど破壊
されてしまいます。その後、牢獄や兵舎として利用され、現在は修復されて国営の博物館
として公開されています。



法王庁横の坂道を登って、ドン岩壁公園へ。



広大な公園の上から市街を見下ろしました。反対側からはローヌ川を挟んで対岸の景色が
見えましたが、残念ながらピンボケで見るに堪えない写真でした。ともかく時間がなくて、
途中で待たせている♀ペンを気遣いながら殆ど駆け足での往復です。庭園は広大で帽子が
飛びそうになるほどの強風の中を、城壁の端まで往復するだけで精いっぱいでした。

*次回は時間的には逆になりますが、時計台広場周辺とそこから南に走るビュブリック通り
の写真を見て頂きます*

春立つ日の民俗公園(2月4日)

2011-02-04 15:58:29 | 矢田だより
「あたふたフランス旅行」は1回お休みさせて頂いて、近況のご報告です。



ここ二、三日、急に暖かくなりました。今日は立春。買い物以外は家に籠っていた♀ペン
もようやく外へ出歩く気分になりました。



我が家のロウバイは留守の間に終わりましたが、民俗公園ではこれからが盛りです。







紅梅も白梅もチラホラ咲き始めました。
「梅一輪ほど」どころか、一か月先まで季節が進んだような暖かさです。



いつもの倍近い時間をかけて、ゆっくりと公園を一周して、ベンチでティータイム。
のどかな春の朝でした。

あたふたフランス旅行(4)

2011-02-04 06:00:00 | 旅日記
アルル ARLES(続き)



街角に立つこの銅像の人は誰でしょう? いいえゴッホではありません。
GOOGLE MAPとWikipediaで調べてみますと、フレデリック・ミストラル(Frederic Mistral)
というプロヴァンス地方のマイヤーヌ生まれの詩人で、代表作『ミレイオ』で1905年、
ノーベル文学賞を受賞しています。その賞金でアルルにアルラタン博物館を創設しました。

博物館前のこの銅像は、その功績を称えて建てられたもののようです。



夕暮れ迫る町を急ぎ足で歩きます。ゴッホの「夜のカフェテラス」のモデルとなったカフェ
です。



今は Cafe Van Gogh と呼ばれています。ゴッホの絵には前に置かれた模写のように、
美しい星空の下のこのカフェが描かれています。



坂道の小路を抜けて…



明るさの残る高台に来ました。風が強く、夕方から凄く冷え込んできました。予想外に暖かい
南フランスでしたが、始めて寒さを感じました。
左側の建物は ARENES。1世紀に造られた巨大円形劇場です。



中世には要塞として利用され、19世紀に闘技場として再建。現在は夏から秋にかけて、ここで
闘牛が行われています。



今は中に入れませんが、ちょっと覗いてみましょう。



観覧席の一部が見えるだけでした。



ゴッホは、ここでも熱狂する観衆を描いた絵「アルルの闘牛場」を残しています。



闘技場前から見下ろした町なみ。確か、この辺りにゴッホの愛した娼婦が住んでいた…と
聞いた気がします。



もう町は日暮れて、移動遊園地のメリーゴーランドに灯が灯りました。



フランスで初めての夕食。前菜のパイに包んだ野菜料理。



メインディッシュは魚料理。タラのフライ・ソースかけ。



ワインは白にしました。明日はアヴィニョンに向かいます。