パリ PARIS
2011年1月23日 最後の訪問地、花の都・パリです。しかし、この日は本当にあたふた続き
の一日になってしまいました。
モン・サン・ミシェルとパリは約370km離れています。昨夜は遅い夕食をレストランでとり、
ホテルへ着いたのは22時前でした。この日も♀ペンは吐き気がして、ほんの一口しか食事が
撮れないまま、熟睡できない夜が続きました。
8時、ホテルを出たバスはパリの曇り空の下を走ります。
パリの建物は屋根がグレーで高さもほぼ同じように統一されています。また個人の住宅は
ごく稀で、殆どがアパートのような高層住宅です。広告なども見られず、とても整然とした
感じのの町並みです。
マドレーヌ寺院の横を通りました。
聖女マグダラのマリアを守護聖人とするカトリック教会で、コリント式の高さ30mの柱が
52本並ぶ古代ギリシア・ローマの神殿を模したネオ・クラシック様式の教会です。
マロニエの並木が続くシャンゼリゼ大通りを通り、西端にある凱旋門に向かいます。
エトワール凱旋門 Arc de triomphe de l'Etoile
凱旋門という戦勝を記念する門はパリだけでも他に幾つかありますが、単に凱旋門といえば
ド・ゴール広場にあるこの門を指すほど有名な観光名所です。
広場をを中心にして12本の通りが放射状に延びていて、地図で見ると星(フランス語で
エトワール)のように見えるため、かってここがエトワール広場と呼ばれていた頃からの
名称です。
凱旋門からセーヌ河畔のエッフェル塔に向かう途中、こんな銅像の横を通りました。
添乗員さんから名前を聞いたのですが、誰の銅像だったか…。ご存知の方、お教え下さい。
エッフェル塔 La tour Eiffel
ご存知のように、この塔はフランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた
第4回万国博覧会のために建造されたものです。現在の高さは324m(あとから電波塔が
追加されたため建造時より12mほど高くなっている)。
Wikipediaによると、大阪の初代通天閣はこのエッフェル塔がモデル(基部は凱旋門)で、
また展望台の周囲が簡単な柵か金網なので今でも飛び下り自殺の名所になっている、など
いろいろなエピソードが残されています。
次はルーブル美術館です。前に来た時(1979年)には出来ていなかった地下の駐車場から
入場します。ここは「逆さのピラミッド」と呼ばれる地下のホールです。
ここから両側にスーヴェニアショップやカフェなどの並ぶ通路を過ぎて、受付を済ませ
ました。♀ペンの具合が良くないので団体チケットを受け取ったあと、館内見学ツァーと
離れて集合時間まで二人で見て歩くことにします。二階にある有名な「モナリザ」や
「サモトラケのニケ」、無理なら1階の「ミロのヴィーナス」(これは♀ペンも日本に来た
展覧会で見ています)だけでも…と階段を登りだすと半地階までも無理な様子です。
♀ペンは「一人で見てきて…」と言いますが、とても放ってはおけず一緒に駐車場の方
に引き返しました。腰をかける場所を探して、1時間半を過ごし館内見学を終えたグループ
と合流してバスに帰りました。
昼食場所はオペラ座の近くでしたが、♀ペンは食べ物を見てもむかつくので水だけ飲んで
じっと「我慢の子」です。午後は自由行動なので、タクシーで「連泊中のホテルに帰ろうか」
と聞きましたが、「大分落ち着いたのでオプションに参加したい」というので、バスに乗り
ました。
オペラ座 l'Opéra 正式にはガルニエ宮(Palais Garnier)
1875年に完成したパリ国立オペラの公演会場の一つで、外観、内部とも美しい装飾をこらし
、当時最大規模の劇場でした。現在では新しいオペラ劇場が誕生しています。
コンコルド広場 Place de la Concorde
もとルイ15世の騎馬像があったのでルイ15世広場と呼ばれましたが、フランス革命には
ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑が行われて革命広場と言われました。1830年
に正式にコンコルド広場という名称になりました。
右に見えるオベリスク(クレオパトラの針)はもとエジプトのルクソール神殿にあった
もので、1833年にエジプトから贈られたものです。ただし、エジプトでは「奪われた」と
聞きました。
大観覧車は前に来た時にはなかったものです。パリの中心部にあるだけに、さぞかし
素晴らしい展望だろうと想像すると一度乗ってみたいものだと思いました。
これは地下鉄の駅への降り口。古い形のものだそうです。
バスはエッフエル塔に見送られてセーヌ河畔を離れ、郊外のヴェルサイユへ向かいます。