30年くらい前は最先端だったデイブ・グルーシンの音楽。
RAG BAG♪・・・いいだろ?
休日というのに、用事があって朝から東京へ向かう。
妻にクルマで送ってもらう。
温石整体院。気持ちよさそうで、前から気になっている。
休日の早朝。鎌倉駅東口前のスタバ。まだ誰もいない。営業時間中は人だらけだが。
改札前もがら~ん。
千葉行きに乗りましょう。
本を読んでいたら新橋駅に到着。
ここは地下深い駅。
開発当時はまだ日本は高度成長期。都内では地下水が汲み上げられ地盤沈下なんてこともあった時代。
しかしその後それは抑制され、地下は再び水が豊富に。
そうしたらこのあたりでは水が溢れだしてきたらしい。常に大量にポンプで水を吸い上げているのだとか。
天井から垂れる水もパイプで吸って受けて。
深いエスカレーター。かなりの距離。
開発当時は新しいイメージだったろうステンレス製の大きな壁面。
今じゃ古臭いが。
そろそろ到着。
ここはJR新橋駅地下1階レベル。この店舗は休日はお休み。
JR新橋駅地下の改札前にあるセルフのうどん屋さん。
かなりおいしい。丸亀製麺よりは少し高め。
朝ごはんを食べてないので、これを朝ごはんとして食べようとおもったが、まだ営業開始前だった。
「まだです」と書いてある。
東京メトロ銀座線新橋駅へ移動。
プレモルの広告だ。
イチローに永ちゃん。私も朝から飲みたいぜ。
銀座線新橋駅だ。
昔から黄色が銀座線のカラー。
赤坂見附駅で下車。
赤坂見附と永田町の2つの駅がここで交わり、様々な路線がここで乗り換え可能。
この背の高いモデルさん、なんて名前でしたっけ? 確か広島の出身で、この方のお父様もすごく背の高い方だった(テレビで拝見した)。
いろんな映画がありますねえ。個人的にはあまり関心がない分野の映画だが。
弁慶橋を渡る。
大量の楠の木の下に、昔からここはボートハウスがある。
釣り専門だ。かなりデカいブラックバスがいる。もともとは釣り用ではなかったのだろうけど。
いったいどういう権利があって、誰から許可を得ればこういう営業ができるのだろう。
東京ガーデンテラス紀尾井町だ。
昔は赤坂プリンスホテルだったところ。今も西武系で西武プロパティーズが管理している。
我が七里ガ浜住宅地の中心部の土地と同じだ。
中はホテルに住居に店舗にオフィス。
美しい開発だと言うが、「赤坂プリンス」と呼ばれた頃に比べると木々がほとんどなくなってしまった。
お堀に沿っては桜が一列並ぶだけ。春はそりゃきれいだ。しかしこの後ろには以前は大量のケヤキがあって、ちょっとした林だった。
建物をめいっぱい建て過ぎなのだよ。
紀尾井町って変な響きの名前だが、その由来はすでに多くの方がご存知だろう。
そこは紀伊藩、尾張藩、(近江)彦根藩(井伊家)のそれぞれの屋敷があったところで「紀・尾・井」となった。
でもどうして「紀尾彦」とか「紀尾近」とならなかったのでしょう? 語呂が悪いから?
明治政府が華族に大名屋敷跡地を渡さず公園にすれば、こんな建て込んだ場所にならずに済んだろうにね。
経済基盤がない元大名の華族たちは早々と土地を手放したし、皇族の多くは戦後に皇族の範囲が狭められた後に経済基盤を失いやはり土地が維持できずそれを手放すことになった。
西武グループがあちこちに建てたホテルが「プリンス」なんて名前なのも、多くがそういう土地を選んだことに依るらしい。
しかし一旦民間の自由にさせたらもうその後は経済原則のなすままだねえ。
日本に土地利用や景観に関してちゃんとした政策など今に至るまでほとんどない。
大名屋敷跡地のもっと多くを公園にしてしまえていたら、東京ももっと美しくなっただろうねえ。
そんなわけで下の画像で左の紀伊藩(西武、プリンス系)、右の彦根藩井伊家(ニューオータニ)とも、敷地に目いっぱいでっかい建物がにょきにょき建っているのでした。
まったくもう。
それでもニューオータニ側は彦根藩井伊家時代からの樹々が少し残っている。辛うじて。
弁慶橋袂のボートハウスのところで述べたように、雄々しい楠が多い。大木だ。
庭園回遊路を歩く。
いいでしょ。
鎌倉ならちょっと山側に入ればいっぱいあるけど、これもまた立派な楠だ。
太い幹。関東以南以西には多い常緑樹。
しかーし、珍しいのはこちら。
これ、なんだかわかりますか?
そうです、イヌマキです。イヌマキの巨木です。イヌマキも放置されればここまで育つのですね。
うん、確かに、幹がイヌマキらしい状態だ。
葉っぱもイヌマキらしい。
この土地が井伊家の屋敷だった頃にはすでに存在した木であるとのこと。
このイヌマキに隣接してトイレがある。
トイレの屋根も、イヌマキに敬意を表してイヌマキを避けるように作られている。
関心ある方はこちらをどうぞ、ご覧くださいね。
タイムマシンで明治維新の頃に戻れるなら、大名屋敷跡地を全部公園に!
いろんなものが保護できたでしょうねえ。
緑あふれる美しい東京になったろうなあ。
巨木だけど、幹がいかにもイヌマキ(↓)。カイズカイブキなんてのも幹は似ているね。
立ち去りがたいイヌマキなのでした。
ちなみに我が家のイヌマキはこんなの。春から秋まで私がせっせと刈り込んでいる我が家の生垣。
橋を渡って再び喧噪の通りへ出てみましょう。
東京ガーデンテラス紀尾井町。下から見上げるとわかりにくいが、よく見ると「Seibu Group」と書いてある。
離れるとよくわかる。建物が目いっぱいなんだよなぁ・・・。
せっかくのこれだけの緑地だ。敷地に対して目いっぱいってのはあまりかっこよくないし、もったいない。
紀尾井町の探索は終了。向こうに行くと坂を上がり、麹町となる。
何しにこんなとこまで来た?と思われるかもしれないが、実は別途私用があってここまで来たのだ。
その用事はさっさと済ませてある(その画像はない)。
【つづく】
RAG BAG♪・・・いいだろ?
休日というのに、用事があって朝から東京へ向かう。
妻にクルマで送ってもらう。
温石整体院。気持ちよさそうで、前から気になっている。
休日の早朝。鎌倉駅東口前のスタバ。まだ誰もいない。営業時間中は人だらけだが。
改札前もがら~ん。
千葉行きに乗りましょう。
本を読んでいたら新橋駅に到着。
ここは地下深い駅。
開発当時はまだ日本は高度成長期。都内では地下水が汲み上げられ地盤沈下なんてこともあった時代。
しかしその後それは抑制され、地下は再び水が豊富に。
そうしたらこのあたりでは水が溢れだしてきたらしい。常に大量にポンプで水を吸い上げているのだとか。
天井から垂れる水もパイプで吸って受けて。
深いエスカレーター。かなりの距離。
開発当時は新しいイメージだったろうステンレス製の大きな壁面。
今じゃ古臭いが。
そろそろ到着。
ここはJR新橋駅地下1階レベル。この店舗は休日はお休み。
JR新橋駅地下の改札前にあるセルフのうどん屋さん。
かなりおいしい。丸亀製麺よりは少し高め。
朝ごはんを食べてないので、これを朝ごはんとして食べようとおもったが、まだ営業開始前だった。
「まだです」と書いてある。
東京メトロ銀座線新橋駅へ移動。
プレモルの広告だ。
イチローに永ちゃん。私も朝から飲みたいぜ。
銀座線新橋駅だ。
昔から黄色が銀座線のカラー。
赤坂見附駅で下車。
赤坂見附と永田町の2つの駅がここで交わり、様々な路線がここで乗り換え可能。
この背の高いモデルさん、なんて名前でしたっけ? 確か広島の出身で、この方のお父様もすごく背の高い方だった(テレビで拝見した)。
いろんな映画がありますねえ。個人的にはあまり関心がない分野の映画だが。
弁慶橋を渡る。
大量の楠の木の下に、昔からここはボートハウスがある。
釣り専門だ。かなりデカいブラックバスがいる。もともとは釣り用ではなかったのだろうけど。
いったいどういう権利があって、誰から許可を得ればこういう営業ができるのだろう。
東京ガーデンテラス紀尾井町だ。
昔は赤坂プリンスホテルだったところ。今も西武系で西武プロパティーズが管理している。
我が七里ガ浜住宅地の中心部の土地と同じだ。
中はホテルに住居に店舗にオフィス。
美しい開発だと言うが、「赤坂プリンス」と呼ばれた頃に比べると木々がほとんどなくなってしまった。
お堀に沿っては桜が一列並ぶだけ。春はそりゃきれいだ。しかしこの後ろには以前は大量のケヤキがあって、ちょっとした林だった。
建物をめいっぱい建て過ぎなのだよ。
紀尾井町って変な響きの名前だが、その由来はすでに多くの方がご存知だろう。
そこは紀伊藩、尾張藩、(近江)彦根藩(井伊家)のそれぞれの屋敷があったところで「紀・尾・井」となった。
でもどうして「紀尾彦」とか「紀尾近」とならなかったのでしょう? 語呂が悪いから?
明治政府が華族に大名屋敷跡地を渡さず公園にすれば、こんな建て込んだ場所にならずに済んだろうにね。
経済基盤がない元大名の華族たちは早々と土地を手放したし、皇族の多くは戦後に皇族の範囲が狭められた後に経済基盤を失いやはり土地が維持できずそれを手放すことになった。
西武グループがあちこちに建てたホテルが「プリンス」なんて名前なのも、多くがそういう土地を選んだことに依るらしい。
しかし一旦民間の自由にさせたらもうその後は経済原則のなすままだねえ。
日本に土地利用や景観に関してちゃんとした政策など今に至るまでほとんどない。
大名屋敷跡地のもっと多くを公園にしてしまえていたら、東京ももっと美しくなっただろうねえ。
そんなわけで下の画像で左の紀伊藩(西武、プリンス系)、右の彦根藩井伊家(ニューオータニ)とも、敷地に目いっぱいでっかい建物がにょきにょき建っているのでした。
まったくもう。
それでもニューオータニ側は彦根藩井伊家時代からの樹々が少し残っている。辛うじて。
弁慶橋袂のボートハウスのところで述べたように、雄々しい楠が多い。大木だ。
庭園回遊路を歩く。
いいでしょ。
鎌倉ならちょっと山側に入ればいっぱいあるけど、これもまた立派な楠だ。
太い幹。関東以南以西には多い常緑樹。
しかーし、珍しいのはこちら。
これ、なんだかわかりますか?
そうです、イヌマキです。イヌマキの巨木です。イヌマキも放置されればここまで育つのですね。
うん、確かに、幹がイヌマキらしい状態だ。
葉っぱもイヌマキらしい。
この土地が井伊家の屋敷だった頃にはすでに存在した木であるとのこと。
このイヌマキに隣接してトイレがある。
トイレの屋根も、イヌマキに敬意を表してイヌマキを避けるように作られている。
関心ある方はこちらをどうぞ、ご覧くださいね。
タイムマシンで明治維新の頃に戻れるなら、大名屋敷跡地を全部公園に!
いろんなものが保護できたでしょうねえ。
緑あふれる美しい東京になったろうなあ。
巨木だけど、幹がいかにもイヌマキ(↓)。カイズカイブキなんてのも幹は似ているね。
立ち去りがたいイヌマキなのでした。
ちなみに我が家のイヌマキはこんなの。春から秋まで私がせっせと刈り込んでいる我が家の生垣。
橋を渡って再び喧噪の通りへ出てみましょう。
東京ガーデンテラス紀尾井町。下から見上げるとわかりにくいが、よく見ると「Seibu Group」と書いてある。
離れるとよくわかる。建物が目いっぱいなんだよなぁ・・・。
せっかくのこれだけの緑地だ。敷地に対して目いっぱいってのはあまりかっこよくないし、もったいない。
紀尾井町の探索は終了。向こうに行くと坂を上がり、麹町となる。
何しにこんなとこまで来た?と思われるかもしれないが、実は別途私用があってここまで来たのだ。
その用事はさっさと済ませてある(その画像はない)。
【つづく】