このブログにどなたかがコメントを残された場合、それが明らかに悪意がこもったものでない限り、私はコメント欄に返信を書くことにしている。しかしコメント欄では返信を書き切れないようなコメントが、Nさんという人によって残されていたので、再び新たにこの記事を投稿することでそのコメントに返信することにした。あまりにこのブログとはかけ離れて行くので、この件はこの返信をもって終わりにしたい。
また長い話になるので、シュトラウスの音楽でもどうぞ♪
犬の飼い主による違法・迷惑行為を理由に、鎌倉市内の多くの公園が犬の散歩すら禁じているという問題に関して、私とは異なる意見をお持ちのNさんが、このブログに3度目のコメントを残されたのである。
同じ投稿につき同じ人から3度のコメントをもらうのは珍しい。開始来5,000日を超える当ブログ史上でも稀にしか見ないことである。Nさんの3つのコメントは要約すると以下のとおりだ:
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コメント(1)
オーストラリアの海岸で犬の出入りが禁止されていたというご自身の経験をもとに、鎌倉市内の多くの公園における犬禁止もそれなりに理由があり仕方がないことだとしたのがNさんの最初のコメントだった。
コメント(2)
私が返信すると、次はこの七里ガ浜住宅地内の公道上で犬の飼い主による違法・迷惑行為が見られるということを理由に、やはり公園内は犬禁止にすべきであるとNさんは主張した。
コメント(3)
再び私が返信すると、今度はご自身のお嬢様が蓼科の公園で犬に噛まれたことがあるという経験をもとに、公園内の犬禁止をNさんは主張した。
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コメント(1)も(2)も鎌倉市内の多くの「公園内における一律犬禁止」の主張の根拠として、公園の外での状況を指し示しておられ、議論がねじれてしまっている。こういうのは、ブログ管理者としては困る。議論を整理する必要が出て来るからだ。
Nさんにより毎回示される例や根拠は異なっているが、鎌倉市の措置を支持するという結論は同じである。3つのコメントに共通する特徴は、いずれもご自身が直接的に体験したことに基づき、結論を導きだしているところだ。
コメント(3)も、ご自身の体験を元に結論を導きだしている。私にとってはうれしいことに、今回は議論はねじれていない。蓼科の公園で犬が噛む事故があったから、鎌倉市内の公園の犬の立ち入りを禁止すべきというロジックだから、素直ではある。
【上の画像:我が家のアイドル、ドガティ君の首輪】
ただしコメント(3)でも、Nさんはご自身の悲しい経験を広げて当てはめ、その解決のためには大半の無実の人に不利を強いて平気であることはこれまでと同じである。
しかし市政はそれでは困る。世の中に広く見られる諸問題の共通点を拾って、より深刻な問題を解決する方向に市政は動かなければならないし、それをする時に無関係な人まで巻き込むことは可能な限り避けなければいけない。
飼っている犬が人を噛むというのは、警察沙汰のとんでもない出来事である。しかし事の軽重はともかく、犬に係る違法・迷惑行為全体に対して、Nさんが経験した咬傷事故が占める割合は全国的にゼロ%に近い。詳しい数字は後述する。
新たな図を作成した。Nさんの主張を取り入れ、大雑把なイメージとして前回の図表に「人を噛む犬の飼い主」という新たな行を加えてみただけだが(笑)。発生数からして①と②からなる「人を噛む犬の飼い主」という行は実際にはもっと細いのだが、それではこの行が見えなくなるのでご覧のような状態にしてある。Nさんが「公園内犬禁止」を主張するのは、②に該当する「公園内で人を噛む犬の飼い主」が存在した経験であるらしいが、それって私が作成したこの図だけでなく、誰が考えても①~⑥の中で最も小さな割合を占める経験であるはずだ。
今回のNさんのコメントは、「自分は過去に②を経験したから②も④も⑥もずべて犬の飼い主を公園から排除するべきだ」と主張するものだ。この図の中で最も小さな面積を占めるであろう自身の経験②をもとに、④の飼い主や、無実の⑥の飼い主まで公園から排除してしまえという話で、そのストレートさに私は驚く。
Nさん自身の経験でもある②よりも、はるかに多くの犬のトラブル・迷惑が世の中では広く①や③で起きているのだが、それらには真正面から対処することもなく、一方⑥に該当するはるかに多くの無実の人を犠牲にしているのが鎌倉市役所の対応なのだが、その措置を是認して平気というNさんの意見に私はまったく同意できない。市役所の対応はあらゆる人に対してフェアでないといけない。市役所の措置もNさんの意見もアンフェアだ。
「②④⑥の公園内一律犬禁止」なんて措置をとっても犬の咬傷事故の問題は片付かない。もしNさんが本気で犬による咬傷事故を撲滅したいと考えているなら、そんな市役所の措置を支持していても仕方がない。むしろそれって「犬問題に対応してます」という顔をしているいつも安易な市役所の思う壺だ。
それは下のグラフを見てもわかる。令和2年度の環境省の統計で、データは令和元年度のものだ。犬による咬傷事件は全国で4,274件が登録されており、被害者総数は4,410人である。その内訳をグラフにしてみた。
事故発生状況を登録する場合に上記項目のどこに分類するかは登録者の感じ方にもよるだろうから、この分類にも多少の誤差があるだろう。それが「通行中」「犬に手を出した」「けい留しようとした」「遊戯中」のどれに入れるべきかについては、微妙な場合もあるはずだ。まあしかし、データはこれしかない。これをもとに議論をする。
当然だが、全国の犬による咬傷事故は公道上で最も頻繁に起きている。それを反映し上のグラフでは「通行中」が圧倒的に多く、全体の50%近い。
一般的には、公園に連れて来てもらえる犬はまだ幸せな方で、ストレスもかからないはずだ。公園での咬傷事故は少ないはずである。公園内で遊ぶ人の犬による咬傷事故は、ほぼ全体が上のグラフで「遊戯中」に含まれると思う。それは割合的に相当低い。犬の違法・迷惑行為の中では数的にはおそらく1%未満に過ぎない咬傷事故全体を100%として、さらにそのうちの4%未満、つまり犬の違法・迷惑行為全体に対する公園での咬傷事故は0.25%以下の話に過ぎないのである。
つまり、犬の咬傷事故やその他のもっと多くの迷惑を本気で防ぎたいならまずは公道上のトラブルを防がねばならない。多くの犬の問題は公道上で起こる。まずは下図の③を防ぐことだ。次に④、そして①や②だろう。全体からしたら犬のトラブルの0.25%以下の事象と思われる公園内での咬傷事故のために、無関係ではるかに多数の⑥の人々を巻き添えにしてもいいなどとは私は思わない。あまりに安易でアンフェアやり方だ。
さらに、公園内に犬を入れることを禁止してしまう自治体ですら、その禁止措置の理由として挙げているのは、通常(1)糞の放置と(2)ノーリードにしてしまうことの2点である。Nさんが言うような事例ではない。
個人の経験というものをすべてに当てはめようとすると、それに関係のないあまりに多くの人までも犠牲にしてしまう。それは市政というものになじまない。
加えてNさんは、私に対してまた別の議論を吹きかけている:
「おちゃさんは図解までして、犬の権利を展開されていますが、子供のボール遊びと犬のリスクを同列に論じるのは無理筋かと思います。」
Nさんの言う「図解」とは前回掲載した古い図のことで、この図を指す。
Nさん、その段落でお書きのことは本気なのだろうか? この図と子供のボール遊びのリスクの話は無関係である。Nさんはそのコメント内の前後の段落からわざわざ離してこの段落を書いている。ということは、Nさんが書いたこの段落の文章の前半(図解による説明)と後半(公園の子供によるボール蹴りのリスクvs.犬のリスクの説明)は意味的につながっていると読むのが普通だ。
しかし上の図解はあくまで公道や公園での犬のリスクを議論するためのものであり、小さな公園内の子供のボール蹴りのリスク vs. 犬のリスクの比較の話とは無関係なものである。そのため、私の元の投稿にも話の間に「話は変わり・・・」とわざわざ書いてある。
Nさんがこの段落の後半で書いたとおり、仮に私の話が無理筋だとしても、同じ段落の前半でそれとは無関係な図解に言及していては、読み手の頭の中が混乱する。何か主張する場合、まずはご自分の頭の中を整理してコメントを書いてもらいたい。
市役所が実施する措置やルールはより多くの市民を満足させるものでないといけないはずだ。市役所職員がそれをするのが楽であるからなんてことであってはいけない。無関係な多くの市民を犠牲にするというものであってもいけないはずだ。
Nさんが言うような「無理筋」などではない。犬もその他の問題も、リスク全部を比較して大きなものから優先して対応すべきだろう。交通事故、スポーツ事故、犬、建築規制、土木工事の規制等、皆同じである。最近も問題になった熱海市の土石流問題など、業者や土地所有者も悪いが、市役所がリスクを認識しているのに徹底した措置を取っていなかったから多数の人が死んだ。
公園に限って話をすれば、ボール蹴りやゴルフの練習の方が犬よりよほど危険である。それらには個別には触れず、犬のリスクに関してのみ一律に対応し、多くの善良な飼い主まで含めて不利益に追い込む市政はアンフェアだ。そんな安易な市政を市民が是認していてはいけないと思う。