前回の続きだ。
浜離宮恩賜庭園に来た。
浜離宮は埋め立て地だ。
江戸時代は徳川家の濱御殿と呼ばれ、明治時代以降は天皇家の浜離宮となり、第二次大戦後はそれが東京都に下ろされて、浜離宮恩賜庭園となった。
先日NHKのテレビ番組ブラタモリで汐留の特集があった。
1.汐留の名前の由来
2.浜離宮恩賜庭園の造り
3.1.や2.と、そこから離れた溜池の関係
それらが面白いことを知った。
それで一度しっかり見ておきたいと思った。
浜離宮は今までに何度か来たことがあるが、ブラタモリでは私が知らないことがたくさん解説されていた。
ブラタモリに似合いそうな陽水先生の音楽をどうぞ♪
井上陽水 人気曲 JPOP BEST ヒットメドレー 邦楽 最高の曲のリスト
こちらは大手門橋。浜離宮の北西端にある大手門につながる橋だ。
貝殻だらけ。
エイもいるね。
石垣には貝がへばりついている。
すべて海が近いことを物語る。
これからこの浜離宮を、「現在地」から時計回りに見て行きましょう。
大手門橋を振り返る。
これが大手門だ。
パンフレットを入口で受け取る。
汐留とは何か? ご関心ある方は、下の地図を見ながらお読みください。
以前私はホテル・ニュー・オータニのガーデンコート(オフィス棟)にある外資系企業に勤めていた。そこからすぐのところに清水谷公園があった。そこは文字通り水が湧く場所で、溜池の水源のひとつだったらしい。溜池とは今では都内の1地区あるいは交差点を指すに過ぎないが、そこは低湿地で江戸時代にはそこに溜池があった。以下がブラタモリで学んだことだ。
溜池の水は人々の生活用水でもあった。そこから流れ出た川は以前は桜川などと呼ばれ、それは江戸湾に流れ込んでいた。
江戸時代に埋め立て地が増える以前は、溜池はもっと海に近く、低い土地でもあったため、江戸湾の満潮時に潮が流れ込んだ。しかし生活用水でもあるからして、溜池に塩水は入ってもらいたくない。そこで現在の虎ノ門あたりに水門が設けられて、塩水の溜池への流入を防ぐようになった。その水門は「汐(しお)を留(と)める」ためのもので、「汐留」と呼ばれた。
汐留は元々は虎ノ門あたりにあった水門の名前なのだ。しかし溜池から流れ出た水がその水門を通り抜け川になってやがて海へ注ぐ。その川が汐留川と呼ばれるようになった。
そして現代では汐留川のはるか下流の地区の名前が汐留となっている(住所区分には汐留という場所はない)。今の資生堂本社、電通本社や、日テレ本社のある汐留地区は、本来の汐留(=虎ノ門あたりにあった水門)からはかなりズレているのだ。
そして今や溜池のすべて、汐留川のほとんどがすでに埋め立てられてしまっているので、汐留という言葉が本来何を意味したかはますますわかりにくくなっている。
これ(↑)、理解を助ける親切な地図でしょう?(笑)
なんて親切なブログなんでしょう(爆)。
この松がすごい。
黒松って見事だよね(丁寧に手を入れれば)。
三百年だそうだ。
古木のソメイヨシノみたいに、水平に広がるね。
丁寧に支えられている。
見入ってしまった。
株立ちになっていて、太い幹があっちこっちを向いている。
その先に橋がある。
古そうな水門があり、向こうは築地川だ。
築地川から引き込まれた塩水が内堀となる。
こちらには神社がある。
稲生神社だ。
江戸時代にはその前身があったらしいよ。
遠くに小高いところがあるね。
お、灯台跡だ。
今はコンクリート基礎があるだけ。
これは見るからに新しいね。
明治時代に造られた三重県の木造灯台が第二次大戦後ここへ移設されたとか。
その後それは横浜へ、そして今は品川区の船の科学館に移設されているらしい。
海が近いわ。
さらに進むと、何か一旦積み上げられてから崩れたような跡がある。
その先には階段と、やはり崩れたような跡。
これは将軍お上がり場と言うらしい。
船で到着した元将軍はここから濱御殿へ上がったのだそうだ。
鳥羽・伏見の戦いで敗走した徳川慶喜は大坂からここへ船で戻ったと書いてある。
そう思うと、すごい場所に思えてくるね。
慶喜は「もう無理よ。徳川家も限界。大政奉還もしたことだし、もうええやん。ボク疲れたわぁ~」とか言いながら、ここを上ったのか。
両開きの門があったらしき跡があるね(↓)。
垂直な棒状のものが立てられていたらしき、丸い跡もある。
板のようなものが垂直に差し込まれていたらしき跡もある。
どういう外形をしたものだったのでしょう。
見事な黒松。
さすが江戸時代からの場所で、見事な黒松が多い。
この松は江戸時代からのものなのか、明治以降のものなのか。
ここにも水門がある。
ここからも外の塩水を引き込む仕組みがある。
これが横堀水門だ。
ここから浜離宮の中に塩水を引き込む。
その水は横堀(潮入の池の一部)へ入る。
こちらがその横堀だ。
向うは高層ビルが立ち並ぶ現代的な風景。
もっとズラッと高層ビルが立ち並ぶとセントラルパークみたいになるね。
横堀を横断する海手お伝い橋。
堀や池を渡るお伝い橋は庭園内に複数あって、これはその中でも最も海側のものだ。
これは完全に火山岩だろう。
この江戸周辺に自然にあるものでは絶対ないよねぇ。
富士山周辺、あるいは軽井沢の方からでもわざわざ運んで来たのだろうか・・・と思って調べてみたら、どうも小田原方面から来たらしい。
先ほど見たエイは、この堀までは来ないらしい。
これ(↓)がおもしろい。
鴨場だ。
猟をするところである。
塩水を引き込んで造った池には水鳥が来る。それを捕えたらしい。
池から水路を引く。
小高い土地を模した小屋の中からその水路を覗く。
この覗き小屋を小覗と言う(下図)。
池には水鳥もいるが、飼いならされたアヒルもいる。
上の図で、元溜りにいる飼いならされたアヒルは、音が鳴ったら水路を小覗まで泳いで行くと餌がもらえるというように習慣づけられている。
これ(↓)が水路だ。
決まった音が鳴ると、ここをおとりのアヒルが泳いで行く。
そこを何も知らない水鳥がついて行く。
するとそこには訓練された鷹を連れた鷹匠がいて、一斉に鷹を放し、水鳥達が捕えられてしまうというテクニカルな猟の仕組みだ。
ここでその死闘が繰り返されたのでしょうね。
潮入の池の周囲は茶屋としての小屋がたくさんある。
松の御茶屋は立派なつくりだ。
昔は高層ビルはなくって、ただ池があってその向こうは空と林だったのでしょう。
他にも茶屋があるよ。
改めて、これが潮入の池の説明。
ここにもお伝い橋があるね。
渡ってみましょう。
私が不思議だったのは、日本人や外国人の観光客が浜離宮にいっぱいいるのに、彼ら彼女らはほとんどこの池と茶屋の周辺に集中していたことだ。
ブラタモリ的には、池そのものはたいして面白くない。
ただ「景色がいいね」ってなくらいなものだ。
タモリさんなら、庭園周辺に散らばる水門や、水を引き込む仕組み、鴨場や馬場、それ以外の様々な付帯施設を観察して理解する方がはるかに面白いと思うだろうね。
しかし一般観光客的には、藤棚とこんな景色の組合せ(↓)が絶対ウケる。
だから、私も真似して撮影(^^;;
絵葉書的だねぇ。
ブログ映え。バエェ~♪
お伝い橋を歩く。
こちら(↓)は中島(潮入の池に浮く島)の茶屋だ。
中島というが、浜離宮全体が川と海に囲まれた島であり、潮入の池はその浜離宮という人工的な島に造られた人造池であり、その人造池の中にある中島は、島の中の島。
公開されて、ここは喫茶店みたいになっている。
庭園内のほぼ南東端にあるのが富士見山。
埋め立て地であるこの庭園の中で、最も陸地から遠いこの場所が逆に庭園内で海抜が最も高い。
ここから陸地を振り返ると富士山が見えたのでしょうね。
そこを上がりましょう。
そして富士見山の頂から陸地を振り返る。
ん~~~、残念。
現代においては汐留地区の高層ビルに遮られて富士山は見えないらしい。
けしからんなあ。
コンラッドめ。
しかしこの富士見山からは、私と同じような人が関心を持ってすり抜けたらしい抜け道が見えた。
ここ(↑)を抜けると汐留川河口部分だ。
富士見山という人工的な山の後ろに、全体が人工島であるこの庭園の南側のこれまたなんとも人工的な汐留川の河口部分が見える。
こちら(↓)は汐留川上流方向。
こちらは下流。そして江戸湾へ。
汐留という名はもとはもっと上流の虎ノ門のあたりにあった水門の名前だったが、そこを流れる川がやがて汐留川と呼ばれるようになり、その川も今ではほとんど埋め立てられてしまったが、ここにその痕跡は残り、今ではその周囲の地区が汐留と呼ばれているというお話でした。
現在の汐留地区がかつて海岸だったことからそこが「汐留」と呼ばれて来たものと、私は今までずっと思っていた。それは私の理解違いだったのですねえ。ブラタモリに教えてもらった貴重なことはたくさんある。あの番組はずっと続いてほしい。NHKは無くなってもいいし、視聴料なんて払いたくないけれど、視聴料を払うならばブラタモリを1日中放送して頂きたい。それ以外にNHKにあまり価値を感じない。紅白歌合戦やつまらない教養番組みたいなカネのかけ方は止めてもらいたい。日本中にあるNHKの放送局とそのスタッフも要らない。それくらいなら視聴料の大半を返して頂きたい。
本日はワラビーを履いて散歩。
これもまた誰も来ない馬場跡。
江戸時代から、馬術の練習場であったらしいよ。
西洋人の先生に教えられ、不慣れな武士たちがここを馬に乗って走り抜けたのだそうです。
細長い土地だ。
その脇にまた抜け道がある。
ここも鴨場だ。
新銭座鴨場。
ここでも水鳥と鷹との死闘が繰り広げられたのでしょう。
ここ(↓)から水鳥の様子を覗ける。
建物には穴がある。
位置がかなり低いけどね。
覗くと池の水鳥の様子がわかる。
あぁ~面白かった。
広い浜離宮。
観光客がいっぱいだが、それは中央の池周辺に集中しているのね。
ほとんど人に会わないスポットが多数。面白いですよ。
浜離宮恩賜庭園、前は浜離宮、その前は濱御殿。
ありがとうございました。
中の御門から出ましょう。
石積みを見ながら。
飛び出してる石が落ちそう。
石積みの際で太い根を伸ばす大木が岩を押し出しているみたいだ。
ところどころ大きな岩があるのがデザイン的に面白い。
大手門橋に戻って来た。
長い散歩でした。
汐留地区のビル群。汐留とは本来は何を意味したかをよく理解した散歩でした。
新橋駅から内幸町駅あるいは霞が関へ向かう通り。
そこに新橋亭新館がある。
この日の夜はここで資産運用業界の人ばかりが何人かで宴会。
仕事みたいな、でもほとんどただの飲み会なのでした(笑)
食事前に散々歩いたので、食事中のビールと紹興酒で酔いが回った。
鎌倉まで帰るのが大変でしたわ。