またリンボウ先生の本を買ってしまった。2、3年前に出た本である。
リンボウ先生の英国関連本は90年代に数多く出版された。それについて批判的にコメントする人が多かった。リンボウ先生はそれらを無視し、反論もしなかった。そのうち批判者が疲れてしまい、時は流れ、新たな批判はあまり聞かれなくなった。
しかしその後も、彼のモノ言いや、書き方のスタイルが気に入らないという人は多く出現している。この本についても、インターネット上にずいぶん批判が見られる。
エルトン・ジョンの90年代のアルバムから、House♪
This is my house♪
This is where I live♪
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しかし私は「リンボウ先生は品が良い」、「文章が格調高い」といつも感心している。リンボウ先生は住宅についてもいろいろと著作がある。彼の住宅論は楽しい。彼はしばしば日本の住宅建築における「南信仰」の不思議を取りあげる。
確かに方角とは無関係に、建ち並ぶ住宅がすべて敷地正面の道路を向けて良い表情を見せるようになれば、日本の住宅街ももっと美しくなれることだろう。亜熱帯気候なみの関東以南の住宅街で、南ばかりを有難がる風景が展開されていることは、不思議である。
下の画像が参考になる。緑の多さ、あるいは道路が優雅に曲がっていることではなく、私は単に建物と方角と道路の関係について述べている。ご覧の画像は日本の初期の「住宅街」が本来モデルにしたはずの開発のひとつであるウェリン(ウェルウィンとも)・ガーデン・シティーの一部だ。方角とは無関係に、家が道路を向いて建てられているのがわかるでしょう。これなら散歩も楽しいものになるだろう。どの家も敷地のうち道路に面したところに小さな庭というかスペースがあり、家を挟み道路とは反対側に長細い広い庭がある(日本では前者が精いっぱいで、後者は望めないが)。敷地が道路の北側にあるとか南側にあるといったこととは無関係に、こうした配置や家のデザインが統一感を持って展開されている。
【Google: Welwyn Garden City UK】
日本だって江戸時代に武家屋敷が並ぶところでは、方角に関係なく住宅は道路を向いて美しく見えるように建てられていたと言う。
因みに八ヶ岳西麓の我が山荘は真北を向いて建てられている。敷地の北側に道路があり、我が山荘だけではなく、その通りに面した山荘は皆その北側の道路に向けて解放的なデザインを見せて建ち並んでいる。宅地としてはそれが美しい。
寒冷地の場合、南信仰はわかる。暖かさとしての日照が要るからだ。開口部を南側に必要なだけとれば良い。庇や軒、あるいは開口部の大きさで適度に直射日光をコントロールすることを考えればいいだけだ。
しかし関東以西・以南の暖地で庇や軒がないまま、南側にやたら大きな開口部ばかりを並べて直射日光を室内に入れると大変なことになる。まず春から秋にかけてますます屋内は暑くなる。また雨が降っただけで窓を閉めねばならず、即エアコンを使うという何とも非エコ的生活を送ることになってしまう。太陽光発電を利用するエコ住宅を謳いながら、建築の発想は逆行していたりする。「寒いから屋内を暖める」は太古から自然な行為だけれど、「暑いから屋内を冷やす」はやや不自然であり、「暑い場所でわざわざ屋内を日光で暖めておいて、それを無理やり冷やす」は非常に不自然で、非エコである。
「南面中央玄関に合理性はあるか」とリンボウ先生は問う。 「合理性は特にない」と私は思う。
「暗い玄関が快適で面白い」とリンボウ先生は言う。 「まったくそのとおり」と私も思う。
これは自宅の玄関。山荘とは逆に、真南を向いているが、かなり暗い。我が家は開口部がどこも小さいので、基本的に室内は暗いのだ。
「家の中心は食である」とリンボウ先生は言う。そのとおり。私の関心事の87%は食であぁーーる。
これは本日のランチ。私の得意な和風炒飯。じゃこ、鶏モモ、たくあん、ネギ。
リンボウ先生は住むための理想の地を、以下のような条件を満たす場所だと勝手に決めつける。
● 平地、低地
● しかし標高数十メートル以上の高台
● 積雪少ない太平洋岸
● 夏涼しく、冬暑過ぎない
具体的にこのような条件を満たす地域として、リンボウ先生は房総半島の海辺を挙げている。
確かに海辺は寒暖の差が少ない。最高気温と最低気温の差が小さく、非常にマイルドな気候が楽しめる。
そういう意味では房総もいいが、鎌倉・七里ガ浜もいいよ。
上記4条件を我が「西武七里ガ浜住宅地」はバッチリ満たしている。皆さん、七里ガ浜に住みませんか??
まあ、利便性とかいろいろ他に考えるべき問題はあるが。因みに七里ガ浜は・・・かなり不便だと思うよ。
リンボウ先生はコルビュジエについて面白いことを書いている。
コルビュジエの代表作とされるような住宅と、コルビュジエ自身が本心から住みたいと思った家は異なるだろうと。
そうそう。建築家ってひとりよがりな人が多い。建築家好みの外観デザインを押し通し、周りとの係わりや住み手の使い勝手をあまり考えていないようなつくりの家。家は実験場じゃないので、目立てばいいってものではない。
リンボウ先生の「思想する住宅」は他にも話題が盛りだくさん。
最近買った面白い小説。よろしかったらリンボウ先生の本とセットでどうぞ。都内の不動産会社に勤務する営業担当者が主人公。この小説では「ペンシルビル」ならぬ「ペンシルハウス」という言葉が何度も出て来る。私は初めて聞いた言葉だ。
表紙の絵のような家のことを指すらしい。狭小で間口の小さい土地に建てた住宅に、間取りを無理やり押し込んでいるため、外から見た窓の大きさや配列はかなり不規則だ。ひょろっとタテに細長い3階建になるが、最上部の屋根は北側斜線規制で不自然に切り取られる。2階と3階には違うデザインのベランダらしきものがあるが、これも考えてみたらずいぶん不自然なデザインである。
魅力的とは言えずなにがしか短所があり、そのために売れ残っているが、都内で便利な立地なため相当高額な建売住宅あるいは土地を、ろくに知識のない客に短期間で売りつけないと、上司から殴られ蹴られ罵倒されると言う悲惨な不動産営業物語。そのために彼は様々なビジネス・スキルを身につける。大変な世界だ。