街のプランやその景観を論じた本は多い。
一方で低層の戸建住宅の個別の設計を論じた本なんて無数にある。

しかし戸建住宅地の景観を論じた本はあまり見かけない。この本はまさにその少数派の本。

当然ながら建築家が書いた本では、個別の住宅の設計の問題が論じられる。中には自分の主張ばかりで、奇抜さを競うようなデザインの家を紹介したものも多い。そしてそうした本では、住宅地の景観について語られることはあまりない。
この本を書いたのは住宅を設計する先生だ。しかしこの本では、戸建住宅が並ぶ街の景観を良くするための条件が延々と語られる。

先生は形態、色、素材の統一が必要だと言う。確かに世界遺産登録されるような美しい街というのは皆そうだ。
伝統的な素材を使い、同じ工法で建てられた住宅が立ち並ぶ景色でなければ、とびっきり美しい街になんてなれない。
個々の家のデザインは違うが、街全体としては統一感があるという街がほとんどであるはずだ。

しかしこれは、今となっては、日本ではかなり難しそうだ。
今更いったいどんな素材と建て方に統一すればいいのだろう。私にはわからない。

緑化率。住宅地の場合、まず緑がどれだけ感じられるかでかなりの程度レベルが決まる。余裕のある住宅地は必ず緑があふれている。
我が住宅街の場合、真ん中のプロムナードはご覧のように緑が多い(↑の画像)が、それ以外の場所ではあまり多くはない。周囲に山が見えるのでまだ助かってはいるが。
中にはコンクリート等で地面を固め、敷地内にほとんど緑のないつくりが増えている。新築工事の申請時に、鎌倉市の緑化率規制をどうやってクリアしたのかよくわからない。おそらく申請内容と実際は異なっているのだろう。

良好な住宅街の景観が守られているところは、必ず規制がある。それにより私権は制限されるが、それは受け入れるしかない。
土地の使い方や売買を個人の自由にさせればそこは経済だけが優先され、景観はズタズタになり順番に劣化する。そして未来永劫、改善は不可能になる。

鎌倉が世界遺産登録を目指して失敗したが、鎌倉市自慢の寺社のすぐそばまで景観が崩れた住宅街が迫るのだから、失敗して当然。住宅街の建蔽率や容積率等や高さ制限があれば景観が守れるってわけではない。もっと強く規制しなければ景観は守れない。
七里ガ浜自治会の皆さん、せめて最低限のルール、つまり住民協定くらいは守りましょうね。
景観の劣化は不可逆な変化で、劣化させるのは簡単だが区画分割等で一旦劣化させ始めると改善はほとんど不可能。最近自治会のお知らせでは絶えずこの遵守を呼び掛けていて、住民自ら、区画の分割等重要な協定破りの取引をするという情けない行為はあまり見られなくなったが。

私のブログにGoogle等の検索でたどり着いた閲覧者の検索キーワードを、このブログのアクセス解析機能でを調べると「七里ガ浜 住民協定 無視 住民」なんてものが結構多い。
西武七里ガ浜住宅地で住民協定に違反した取引をした場合にどんなことになるかをを調べている業者や住宅購入希望者が多いのだろう。協定破りなんて取引は、業者としても住民としても情けない行為。もっとビシッと行こう、ビシッ!と。

中山先生は住宅地のリズムを重要視されているが、この西武七里ガ浜住宅地にも、開発者の当時の意図を感じられるリズムがわずかだがある。
分譲地の個々の区画の面積には大小があるが、ブロックごとにおおよそ同じような面積の区画でまとめてあるのだ。「このあたりは50坪クラス、あのあたりは70坪クラス、そっちはもっと大きな区画が並ぶところ」という具合だ。
だから七里ガ浜自治会で以前「分割に関する最低面積を決め、分割後も1区画の面積がそれを超えるならその分割を認めよう」という意見が出たことがあるが、厳密なことを言うと、住宅地の景観のリズムという点ではこの意見は正しいとは言い難い。
70坪を2分割したら35坪だからけしからんが、110坪の2分割は55坪だからいいではないか、とはならないのである。

【Google Earth、Welwyn Garden City】
特に各区画の道路に面した間口の長さを一定のリズムでそろえて作られた住宅地で、特定の区画だけが分割されることは、それが仮に分割前にどんなに大きな区画であっても、道路から全体を見渡した時にその区画だけリズムが狂っていることとなり、景観センス的にはまずい。ひとつ始まるとあとは虫食い的にそれが広がり、景観はもとには戻らない。鎌倉市の人口はもはや増えてはおらず、ほぼ横ばいなのだがこうした動きと並行して、矛盾するようだが放ったらかしの家、つまり空家が増加している。防犯的にも景観的にもまずいのである。ところがこうした行為はほとんど自由だ。役所もそれを簡単に許す。
英国には○○ガーデン・シティと名の付く古い新興(? 言葉に矛盾あり)住宅地がいくつかあるが、その「ガーデン」は日本では「田園」と訳され、田園調布なんて街も出来た。
田園都市線なんてのもその流れをくむ名称だ。それはともかく田園調布の最初のお約束事はこんなのだった。

(1)生垣
(2)建物は瀟洒に
(3)高い建物はダメ
(4)敷地いっぱいに建てちゃダメ
(2)は基準が難しいな。一体何をもって良しとするかが。
(1)はやる気になれば簡単。
(3)は数値さえ決めれば簡単。
(4)は単純に考えれば建蔽率の問題だ。
しかし建蔽率をクリアしたとしても、住民協定を無視して土地を分割したり、建築時に申請したはずの自治体のルールに沿った緑化率を守らない家では、(4)が本来意図したことは実現しない。

ひとつの場所を選んで住む理由は、その土地自体がそれを選んだ人の好みであるというだけではないだろう。必ずその土地の周囲がどんな環境、景観であるかという点が、土地を選ぶ際の条件のひとつになるはずだ。つまり景観は公共財。
自分がその土地の周囲の条件、環境、景観を気に入ってそこに住むのだから、自分の土地もその周囲の条件、環境、景観の一部であるのは当然のことであるからして、自分の土地だからそこを好きにしていい、法律さえ破らなければいいというものではないのだ。

これもそう。家の向きの問題。

敷地がどの面で道路に接しているかということは考慮せず、必ず南に向いて開き、北側に閉じたデザイン(あるいはデザインを考えること自体を放棄する)の家が立ち並ぶ住宅街が国中に普及しているのは、ひょっとして日本だけじゃないかねぇ・・・。
もっと暑い国、あるいはもっと寒い国でも見ないように思うのだが。

方角とは無関係に、道路に向かって開いた(キレイな)デザインを見せないとまずいと思う。こんな風に。

住宅街の道路は曲げてもらいたいです。
まっすぐ過ぎるのはなぁ・・・なんだかなぁ・・・ローマ軍と武田軍だけにしてほしいなぁ・・・。
我が住宅街の中ではこの道路は先が曲がっているし、緑もあって、かなり良い方。

新建材ってまずダメね。次々と出て来るが、長い間、製品として販売されているものは少ない。
便利だから使われるが、古くなった時の質感に良い意味の経年変化が出ないのが不思議。

この本があまりに面白かったので、中山先生の別の著書をamazonで購入。

星空を見ながら風呂に入るという家をつくっても、実際に風呂に入って星空なんて眺めないし、そういう設計ってメンテナンス上やっかりなものが多いという話。

ほとんど宿泊客などいないのに、狭い家の中で客間を用意するなんて無駄という話。

読み応えのある本でした。
一方で低層の戸建住宅の個別の設計を論じた本なんて無数にある。

しかし戸建住宅地の景観を論じた本はあまり見かけない。この本はまさにその少数派の本。

当然ながら建築家が書いた本では、個別の住宅の設計の問題が論じられる。中には自分の主張ばかりで、奇抜さを競うようなデザインの家を紹介したものも多い。そしてそうした本では、住宅地の景観について語られることはあまりない。
この本を書いたのは住宅を設計する先生だ。しかしこの本では、戸建住宅が並ぶ街の景観を良くするための条件が延々と語られる。

先生は形態、色、素材の統一が必要だと言う。確かに世界遺産登録されるような美しい街というのは皆そうだ。
伝統的な素材を使い、同じ工法で建てられた住宅が立ち並ぶ景色でなければ、とびっきり美しい街になんてなれない。
個々の家のデザインは違うが、街全体としては統一感があるという街がほとんどであるはずだ。

しかしこれは、今となっては、日本ではかなり難しそうだ。
今更いったいどんな素材と建て方に統一すればいいのだろう。私にはわからない。

緑化率。住宅地の場合、まず緑がどれだけ感じられるかでかなりの程度レベルが決まる。余裕のある住宅地は必ず緑があふれている。
我が住宅街の場合、真ん中のプロムナードはご覧のように緑が多い(↑の画像)が、それ以外の場所ではあまり多くはない。周囲に山が見えるのでまだ助かってはいるが。
中にはコンクリート等で地面を固め、敷地内にほとんど緑のないつくりが増えている。新築工事の申請時に、鎌倉市の緑化率規制をどうやってクリアしたのかよくわからない。おそらく申請内容と実際は異なっているのだろう。

良好な住宅街の景観が守られているところは、必ず規制がある。それにより私権は制限されるが、それは受け入れるしかない。
土地の使い方や売買を個人の自由にさせればそこは経済だけが優先され、景観はズタズタになり順番に劣化する。そして未来永劫、改善は不可能になる。

鎌倉が世界遺産登録を目指して失敗したが、鎌倉市自慢の寺社のすぐそばまで景観が崩れた住宅街が迫るのだから、失敗して当然。住宅街の建蔽率や容積率等や高さ制限があれば景観が守れるってわけではない。もっと強く規制しなければ景観は守れない。
七里ガ浜自治会の皆さん、せめて最低限のルール、つまり住民協定くらいは守りましょうね。
景観の劣化は不可逆な変化で、劣化させるのは簡単だが区画分割等で一旦劣化させ始めると改善はほとんど不可能。最近自治会のお知らせでは絶えずこの遵守を呼び掛けていて、住民自ら、区画の分割等重要な協定破りの取引をするという情けない行為はあまり見られなくなったが。

私のブログにGoogle等の検索でたどり着いた閲覧者の検索キーワードを、このブログのアクセス解析機能でを調べると「七里ガ浜 住民協定 無視 住民」なんてものが結構多い。
西武七里ガ浜住宅地で住民協定に違反した取引をした場合にどんなことになるかをを調べている業者や住宅購入希望者が多いのだろう。協定破りなんて取引は、業者としても住民としても情けない行為。もっとビシッと行こう、ビシッ!と。

中山先生は住宅地のリズムを重要視されているが、この西武七里ガ浜住宅地にも、開発者の当時の意図を感じられるリズムがわずかだがある。
分譲地の個々の区画の面積には大小があるが、ブロックごとにおおよそ同じような面積の区画でまとめてあるのだ。「このあたりは50坪クラス、あのあたりは70坪クラス、そっちはもっと大きな区画が並ぶところ」という具合だ。
だから七里ガ浜自治会で以前「分割に関する最低面積を決め、分割後も1区画の面積がそれを超えるならその分割を認めよう」という意見が出たことがあるが、厳密なことを言うと、住宅地の景観のリズムという点ではこの意見は正しいとは言い難い。
70坪を2分割したら35坪だからけしからんが、110坪の2分割は55坪だからいいではないか、とはならないのである。

【Google Earth、Welwyn Garden City】
特に各区画の道路に面した間口の長さを一定のリズムでそろえて作られた住宅地で、特定の区画だけが分割されることは、それが仮に分割前にどんなに大きな区画であっても、道路から全体を見渡した時にその区画だけリズムが狂っていることとなり、景観センス的にはまずい。ひとつ始まるとあとは虫食い的にそれが広がり、景観はもとには戻らない。鎌倉市の人口はもはや増えてはおらず、ほぼ横ばいなのだがこうした動きと並行して、矛盾するようだが放ったらかしの家、つまり空家が増加している。防犯的にも景観的にもまずいのである。ところがこうした行為はほとんど自由だ。役所もそれを簡単に許す。
英国には○○ガーデン・シティと名の付く古い新興(? 言葉に矛盾あり)住宅地がいくつかあるが、その「ガーデン」は日本では「田園」と訳され、田園調布なんて街も出来た。
田園都市線なんてのもその流れをくむ名称だ。それはともかく田園調布の最初のお約束事はこんなのだった。

(1)生垣
(2)建物は瀟洒に
(3)高い建物はダメ
(4)敷地いっぱいに建てちゃダメ
(2)は基準が難しいな。一体何をもって良しとするかが。
(1)はやる気になれば簡単。
(3)は数値さえ決めれば簡単。
(4)は単純に考えれば建蔽率の問題だ。
しかし建蔽率をクリアしたとしても、住民協定を無視して土地を分割したり、建築時に申請したはずの自治体のルールに沿った緑化率を守らない家では、(4)が本来意図したことは実現しない。

ひとつの場所を選んで住む理由は、その土地自体がそれを選んだ人の好みであるというだけではないだろう。必ずその土地の周囲がどんな環境、景観であるかという点が、土地を選ぶ際の条件のひとつになるはずだ。つまり景観は公共財。
自分がその土地の周囲の条件、環境、景観を気に入ってそこに住むのだから、自分の土地もその周囲の条件、環境、景観の一部であるのは当然のことであるからして、自分の土地だからそこを好きにしていい、法律さえ破らなければいいというものではないのだ。

これもそう。家の向きの問題。

敷地がどの面で道路に接しているかということは考慮せず、必ず南に向いて開き、北側に閉じたデザイン(あるいはデザインを考えること自体を放棄する)の家が立ち並ぶ住宅街が国中に普及しているのは、ひょっとして日本だけじゃないかねぇ・・・。
もっと暑い国、あるいはもっと寒い国でも見ないように思うのだが。

方角とは無関係に、道路に向かって開いた(キレイな)デザインを見せないとまずいと思う。こんな風に。

住宅街の道路は曲げてもらいたいです。
まっすぐ過ぎるのはなぁ・・・なんだかなぁ・・・ローマ軍と武田軍だけにしてほしいなぁ・・・。
我が住宅街の中ではこの道路は先が曲がっているし、緑もあって、かなり良い方。

新建材ってまずダメね。次々と出て来るが、長い間、製品として販売されているものは少ない。
便利だから使われるが、古くなった時の質感に良い意味の経年変化が出ないのが不思議。

この本があまりに面白かったので、中山先生の別の著書をamazonで購入。

星空を見ながら風呂に入るという家をつくっても、実際に風呂に入って星空なんて眺めないし、そういう設計ってメンテナンス上やっかりなものが多いという話。

ほとんど宿泊客などいないのに、狭い家の中で客間を用意するなんて無駄という話。

読み応えのある本でした。