「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

夏はますます暑いから・・・「兼好法師の教え」を住宅建築に活かす@七里ガ浜

2009-06-30 12:54:46 | 建築外観・構造
昨日用事があり朝から都会に出た。毎日ほとんど遠足気分の江ノ電とは異なり、JRは大船からあたりから先、東京寄りになって来ると車両内は混雑し他人と密着して皆殺気立っている。都内の駅で電車を降りるとホームは人の渦だ。インフルエンザも流行るはずである。街を歩くととにかく暑い。緑がない。エネルギー浪費気味の新しい巨大なビルはガラスが多用されていてかつ密閉されている。中はIT機器の熱と昼間の蛍光灯と大量の人間が発する熱で大変だから、空調を動かして外に暖気を排出し続ける。大量のクルマが化石燃料を燃やして地球温暖化に直接的に貢献している。クルマが多いし海もないから排気ガスが飛ばずにビルの間で滞留する。エンジンやエアコンの排気は熱風である。道路も歩道も皆コンクリートかアスファルトだ。ちょっと奥に入れば住宅街もあるが、やはり23区内は昼間の気温上昇が激しいのか、エアコンを利用する家庭が多いようだ。皆自分勝手に内側だけを涼しくしてその分外気を温めているのだ。あああぁ~、地球温暖化もむべなるかな。

兼好法師は徒然草の五十五段で「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比わろき住居(すまひ)は、堪へがたき事なり」と書いた。おっと「またその話かいっ!」という声が聞こえそうだが、何度も書く。少なくとも、日本の関東以西以南で作る家は夏をむねとすべきであると私は考える。建築家や施主の中には、兼好法師を「建築にあまりに無知」とする人も多いようだが、私は兼好法師のサポーターである。

 

バラックで屋根は薄いトタンだけ、隙間風ピューピューという家なら別だが、現代の新築住宅ではそれなりにお金を出せば、とりたてて豪奢でなくても「夏暑く、かつ冬寒い」状態は避けることは可能だ。しかし空調を考慮しない場合、「夏涼しく、冬暖かく」というオールマイティな状況は万全には実現出来ない。実際にあるのは・・・
①「夏の暑さを抑えたけれど冬はその分寒い」
②「夏の暑さはひどいがその分冬の寒さはマシ」
③「①と②の間のどこか」
であり、そこから選ぶことになる。私ならこれまでの説明からわかるとおり①を選ぶ。

冬に寒い室内を温めることは太古からの自然な行為である。しかし②の「夏暑い」家をつくれば、夏ともなると室内温度はデタラメに上がってしまう。空調で無理やり気温を下げると室内は涼しくなるが、その分の暖気を隣接地や道路に向かってそのまま排出せねばならず地球環境的には自殺行為だ。ますます外気温が上がり、室内を冷やすのにますますエネルギーを使い、それはますます外気温を上げ・・・という悪のスパイラルに等しい。それをなるべく避けようと「冬は多少寒いけれども、夏は結構涼しい」という建物を私は選び実現したが、どうもそれは変人的行為であり賛成者はほとんどいないらしい。

さてすでにご存じの方もおられようが、その変人的行為の内容は以下のとおり:
①採光を絞る、窓を小さくする、履き出し窓をつくらない
②窓のスグ上に軒あるいはそれに代わるものを出す
さらに家の中で最も多くの時間を過ごす場所については以下のとおり:
③床はタイルで、タイルのスグ下から地面までかなりの厚みでコンクリートを入れる
④天井を高くする
この4つで夏でも相当涼しい家が出来る。昨日午前中は気温が上がり続け七里ガ浜の我が住宅街で交わされる挨拶は「暑いですねぇ」だったが、申し訳ないけれど我が家の中は実に涼しい。



私の自宅のような家を指して「最近窓が小さい家をよく見かけるけど、あんなの暗くて嫌だわ。私はとにかく明るくないとダメなの」とおっしゃる方が多いのはよく存じ上げている。確かに上記①と②により採光は限定的になる。しかし意外に聞こえるかもしれないが、よく考えると、この採光や通風に係わる開口部についての私の考え方は、日本古来の建築の発想と変わらない。歴史的に見ると、近年日本で建てられている住宅こそが「変わっている」のである。日本古来の住宅建築の発想は、ものすごく大雑把に言うと2つに分かれると思う。私の勝手な2分類は以下のとおり:
(a)立派な武家屋敷、農家、桂離宮方式
開口部がデカイ。障子を全部開けると柱以外は全部開口部となる。しかし当然ながら雨の吹き込みを避けるため、その外側に縁側や外廊下があり、その上には軒が被っていてさらにその外まで軒が長く伸びている。中から外を見るとやたら明るいが、やはり直射日光は室内の畳に届くことはない(そんなことしたら畳が日焼けする)。中は薄暗いのだ。
(b)街中の町屋、長屋方式
通りに向かって(a)方式のようなデカイ開口部を設けることは安全面あるいはスペース的に難しく、表側から見た開口部は非常に小さくなる。加えてその直上に軒や庇が出るので中は薄暗い。

ほらね。でしょう?
最近の日本の住宅は採光をmaximumにしようと開口部を大きくする。履き出しの窓をつける。軒は小さいか軒自体がない家も多い。あるいは1階と2階の間に屋根がないことも多い。そうだとすると軒が多少なりともあっても1階の窓のはるか上にあるだけだ。したがって、ここが重要だが、屋内の壁や床を直射日光が直撃してしまう。温暖化が騒がれるこの時代に、夏は室内気温が激しく上昇する家だ。そしてその状態は、日本古来の(a)方式でも(b)方式でもない。

私の自宅は(b)方式に近い。(a)方式を取るほどの余裕が、敷地面積的にも建築資金的にも私になかったからだ。出来る事なら(a)方式の家を持ちたいと思う。



日照的に夏涼しいだけでなく我が家の方式のメリットがもう一つある。蒸し暑く雨の多い時期の通風にも便利なのだ。履き出しの窓は雨が降るとスグ閉めないと雨が室内に吹き込む。履き出し窓でなくとも軒がスグ上になければ、やはり雨が吹き込む。ところが一番上の画像ような状態の窓と軒の関係が確保されれば、横風が吹き雨が降っても窓は開けっ放しでいられる。窓を閉めれば途端に蒸し暑くなるこの時期、室内の湿度と温度を下げるために空調に頼ることを極力減らすことが出来るだろう。環境的にも、軒と開口部の関係を考えることは重要だと思う。

夏の涼しさを確保したことによる我が家の代償は「冬寒いこと」と「期待面積を喪失した(天井を高くして吹き抜けを設けることを止めれば2階に1部屋設けられたが、それを諦めた)こと」である。

寒いのは着込めばなんとかなる。しかし裸以上に脱げないので蒸し暑いのはどうしようもない。兼好法師が「夏をむねとすべし」と書いた頃より現代の関東以西以南は確実に暑いし、将来はさらに、ますます暑くなりそうだ。地球環境の観点からはエアコンは、自宅内と外という狭い意味ではあまりに利己的であり、巨視的に見れば自虐的な道具である。住宅雑誌に掲載される最近の日本の住宅の多くは、私にはまったくアンチ-エコ的に見える。庇、軒あるいはそれに代わるモノがまったくなく、開口部だらけの家が多いのだ。
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紅茶を普通に飲む(8) ジョージ・オーウェルの不足を補う

2009-06-29 06:42:39 | 食べ物・飲み物
「紅茶を普通に飲む」の話はこれで終わりである。今回は、ジョージ・オーウェルが「一杯のおいしい紅茶」の11箇条で触れていないものの、毎日おいしく「紅茶を普通に飲む」には不可欠であると私が考える他の項目を挙げてみたい。オーウェルの随筆を補足して、紅茶の飲み方をある種の人々にとっての完璧なものに近づける・・・なんと傲慢に響くことか。

前回①~⑪として挙げた項目に続く形で、⑫以降の番号をふる。

⑫ 紅茶は生鮮食料品である
これについて触れていないため、オーウェルの随筆は非常に不完全になっている(我ながら、恐れを知らない言い方だ)。こう言うと「オーウェルはポットの使い方等お茶の淹れ方を述べたに過ぎない」と反論されるかもしれない。しかし件の11箇条冒頭でオーウェルは「インド産かセイロン産の茶葉に限る。そうでなければ・・・」と茶葉の産地まで特定しているくらだから、紅茶の賞味期限についても記述がないとバランスがとれないと私は予てより考えていた。通常紅茶を缶などのパッケージ入りで買うと賞味期限が書かれているが、その期限にはずっと先の日付が書かれているはずだ。だから購入者は「まだまだ飲める」と思ってしまうかもしれないがそれは誤りだ。紅茶は生鮮食料品である。その賞味期限は茶葉が密閉され外気から遮断された状態でこそ意味がある。一旦開封してしまった後は速やかに飲み切らねばならない。


(トワイニングの並行輸入缶側面に書かれた賞味期限)

⑬ 自分がメインに飲む茶葉を1種類に限定する
毎日多くの時間を家で過ごせて家族数も多く家族の皆が紅茶を飲むというなら、いろいろな茶葉を常備して楽しむのも良いだろう。しかし今やそこら中独身者あるいは核家族。しかも多くが昼間は働きに出ている。そうだとすると⑫の条件「可及的速やかに飲み切れ」を実現するためには、あれこれ茶葉の種類を楽しむのは難しい。よほど少量の茶葉を何種類か揃えるのが精いっぱいなことだろうが、私ならそういうやり方はしない。メインに飲む茶葉を1種類に限定し、それを毎日ガブガブ飲んでサッサと飲み切る。それ以外にもたまには飲みたくなるだろうが、それはあくまで予備的なものに留め、少量をお試し買いするにとどめる。


(英国ブームのきっかけのひとつ、林望著「イギリスはおいしい」1991年)

⑭ 茶葉を探す
近所のスーパーに行きそこに置いてあるものを買うというのも、効率性重視の正しい選択であろうけれど、それだけではしっかりとした紅茶を飲むのはおそらく不可能である。まずは安価な茶葉から高価な茶葉までをいろいろな方法で入手し、あれこれ試した上で、自分の好みに合ったものを見つけ、その上でどうすれば経済的に最も合理的な買い物が出来るかを考えるのはそれほど難しくなく、寧ろ楽しいことである。

⑮ ⑫⑬⑭の総合的復習
高価な茶葉が買えるのは喜ばしいことだ。しかし高価な特定の茶葉に標的を絞り、「私の常用品」として安定的に買い続けている人を私は知らない。やはり毎日「普通に飲む」ためにも、そして茶葉の品質を落とさずサッサと飲み切るためにも、長期にわたり常用出来るものを定める必要があるし、そのためには質と価格の両方が考慮されねばならない。


(我が家の陶器製ポット by 無印良品。使いやすい)

⑯ 手間を省く
誰もが忙しい。毎日「紅茶を普通に飲む」ためにはあまりに面倒なことは避けたい。面倒なプロセスを逆手にとってそれを楽しむのもたまには良いものだが、毎日は続けられない。先に紹介した電気ケトルは便利だし、早くお湯が沸くし、コンロから離れたところでも使えるし、安全面ですぐれた機能がついている。また上の画像のポットは、無印良品のシンプルなもので安い。でも注ぎ口内部の根元部分に茶こしの小さなネットがとりつけられ(着脱可能)、ポットに注がれた熱湯に茶葉がポット内全部を使いグルグル躍ることが妨げられることが全くなく、かつ別途茶漉しを用意しておく必要もない。こうした便利な用具を探して使おう。

⑰ ミルクに関する間違い
アッサムやなんとかブレックファーストなどというストロングでブラックな茶葉はミルクティーに限定される。ストレートは考えられない。しかしポットやカップを事前に温めるくらいだから、ミルクも冷たいのは良くないだろうと時々ミルクも温めて出す店があるが、これは余計なサービスである。まったく余計だ。これではニオイが変わってしまう。またミルクをコーヒー用クリームで代用することを強要する店があるが、これも困ったものである。まったく別物だからだ。店主自ら飲み比べれば違いなどスグわかるはずなのだが。


(F&M本店なら立派な紅茶が安く買える。しかしピカデリーサーカスまで行くのが大変だ)

今回の【オーウェルが定めた11箇条の不足を、紅茶を普通においしく楽しむためにちょっと補う】編が終了した。今後私は、オーウェルの11箇条と今回の私の補足を合わせ「オーウェルと私の17箇条」と呼ぶ。なんとも不遜な呼び方だ。

この「紅茶を普通に飲む」シリーズの(1)~(8)は、他の人にはあまり参考になりそうにない。このブログにある建築話やオーストラリア・ワイン話と同様、私の勝手な好みと個人的経験を延々と綴っているだけなのだ。
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紅茶を普通に飲む(7) ジョージ・オーウェルと張り合う

2009-06-28 11:29:20 | 食べ物・飲み物
先に紹介したジョージ・オーウェルの随筆「一杯のおいしい紅茶」で彼がどうしても譲れない11項目と定めたもの(下の①~⑪)をチェックしたい。ただしいつものとおり、私が私自身の日常生活で「紅茶を普通に飲む」にあたりそれが妥当かどうかという、あくまで自分中心的な観点から検証するに過ぎないのだが。


(オーウェルの随筆の和訳)

①インド産かセイロン産の茶葉を使う
中国産(ラプサンスーチョンやキーマン)茶葉では、毎朝のパン食に合わせてぼやけた頭をシャキッとさせる強いミルクティーにはなりえない。インド/セイロン、あるいはそれらをある程度含むブレンドであるべきだろう。「スプーンが中で立つような」紅茶が必要だ。オーウェルに同意する。

②大釜で漉したりしない。陶器のポットを使う
前半は普通の家庭ではあまりないことと思う。後半はまったく異論なし。金属製のポットがたまに用いられるが、ものによっては茶葉との相性が悪い。陶器のポットが望ましい。

③ポットは暖炉のそばに置いて事前に温めるのが良い
暖炉がないのでなんとも言えない。しかし温めた方が良い。カップも同様。温め方は何でも良いだろう。お湯を入れておくのが普通だ。

④紅茶は濃く出す。1リットル強なら茶さじ6杯
茶葉にもよるが、StrongでBlackなTeaを飲みたいならそれくらい多く入れても問題なかろう。


(立派な茶葉)

⑤茶葉はポットにそのまま入れる。袋などに入れた茶葉をポットに入れてはいけない
これも尤もである。茶葉を十分開かせたり、あるいは茶葉をポットのお湯の中で踊らせたりするための真剣さが愛飲者には必要である。ポットの中だからと言って安心は出来ない。なぜならポットによっては、大きくてもその中の小さな網の中でしか茶葉が動けないものもある。それでは具合が悪い。

⑥お湯が沸いたら、ポットをケトルに持って行く。逆はダメ
「ケトルをポットのところまで持って行ったりしてたら、お湯の「グラグラ」状態が損なわれる」という主張は、状況によりけりだろうが、精神として素晴らしい。まったくそのとおりだ。ただし私はもっと現代的で科学的な優れた手法を用いる。先に紹介したラッセルホッブズ7100JPを使うので、ポットのすぐそばでお湯を沸かし、ポットに注ぎ終わればすぐ脇に置く。底部が熱くならない電気ケトルだからこそそれが可能だ。熱々の伝統的ケトルならコンロまで走って行って置き戻す必要がある。私の場合は7100JPを脇に置いただけで、間髪を置かずポットの中の茶葉をかき回す行為も可能になる。

⑦紅茶がポットの中で出来たら、かきまわすか、よくゆする
そのとおり。私はポットにお湯を入れたら、まず茶葉をかき回す。そしてカップに注ぐ直前にまたかき回す。これで紅茶にグググっと気合を入れる。「味、コク、香り、色。出でよ!」と会話するのである。


(デンビー社のマグでとてもキレイな製品だったが破損して今は手元にない)

⑧浅くて低いティーカップでなく、円筒形のカップを使う
つまりマグ・カップということだ。普通の浅く小さなティーカップでは紅茶が冷めるのも早いし、大きなカップでたっぷり飲む方が便利である。これには異論もあろう。しかし自宅で朝ごはんとともにガブガブ飲むことを中心に据えて議論する私は、これに賛成だ。普通のティーカップは小さく何度も注ぎ足さねばならないし、外見的にソーサーがないと様にならず非常に面倒である。ラーメンの「替え玉vs大盛り」の議論に似ているが、私は紅茶については大きなマグカップ派であり、ラーメンについては大盛り派である。こういうと、「細麺のラーメンの場合は大盛りにすると食べる間に麺が伸びてしまうので、替え玉が合理的だ」とする替え玉派が現れそうだが、私の場合、大盛りでも2分以内で食べきるので問題はない。

⑨牛乳ビンの口に固まって浮いている脂肪分を取り除く
これは現代日本の紙パック入り牛乳では問題にならないだろう。

⑩カップに注ぐのは紅茶が先、ミルクが後
私はオーウェルとは逆の主張である英国王立化学協会の見解に従う。つまり「MIF(milk in first)」、ミルクが先である。別にそれでおいしいまずいと議論するつもりはないが、MIFは楽である。ミルクと紅茶をスプーンで掻き混ぜる手間がなくなるからだ。


(F&Mのちょっと高級なダージリンFTGFOPの2年前の缶。当時珍しくストレートで飲んだ)

⑪砂糖を入れるな
これには異論がある。紅茶にはミルクと同様砂糖もうまくマッチさせることが出来る。オーウェルは「せっかく紅茶を飲むのなら紅茶を飲め、砂糖が味わいたいなら砂糖を溶いたお湯を飲め」と言う。しかしそう言うなら、ミルクも入れるなということになりはしないか。砂糖はそれが好みなら加えればよい。ただしミルクも砂糖も、その加え方あるいは茶葉の種類との組み合わせや淹れ方により、紅茶をおいしくしたり損なったりするものと思われる。

以上でオーウェルの11箇条の検証を終わる。次回はこの11箇条の補足を試みる。
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紅茶を普通に飲む(6) 茶葉を探す

2009-06-27 14:58:42 | 食べ物・飲み物
紅茶を飲むことが好きな人なら誰もが少しは茶葉を探したことがあるだろう。「私はこれしか飲まない」などと言いながら、たまにはもっと良い茶葉はないかと浮気している、ないしはそういう気持ちを持つことと思う。

繰り返しになるが、紅茶を私なりの生活パターンで「普通に」かつ「おいしく」飲むためには、茶葉について以下のことを守らねばならない。
①インド系茶葉、あるいはそれを多くブレンドしたストロングでブラックな茶葉の適度に良質なものを購入する
②開封したらその缶あるいは袋の茶葉は可及的速やかに飲み切るべき。だから我が家の消費量の場合、多種の茶葉を同時に揃えてあれこれ楽しむのは無理があり、メインに一種類を選んだらそれを常備して続けてがぶがぶ飲む。
③安い茶葉を探す

②は自分の心がけ次第だが、①と③は相いれないところがある。



前にトワイニングの並行輸入品を紹介した。あちこちのスーパーで売っていて、価格的にも安く、しっかりしたミルクティーをつくることが出来るという点で、このイングリッシュ・ブレックファーストは有難い商品である。出自をたどればトワイニング家はかなり貴族的な紅茶商であるが、非常に庶民的に紅茶を供給している。

日本でトワイニングと並び称される紅茶商の雄リプトンだが、こちらの並行輸入品のリーフ・ティーは国内でほとんど出回っていない(ティーバッグはよく見かける)。国内の正規品がご覧のような缶(上画像)で販売されていて、並行輸入品を除き、私の好きなアッサムで「安価」かつ国内で簡単に入手出来る商品の中ではかなりの高レベルであろうと思う。いくつかの安価なアッサムを他のブランドで試してみたことがあるが、いずれも深みがなさ過ぎた。

私も自分の好みと経済性という2大条件を満たすためにそれなりに苦労しているのだ。

トワイニングのような紅茶商の巨人もいいが、もっと小さな紅茶商も英国には数多い。安定した品質やブレンディングを確保するのは難しいかもしれないが、個性的なお店を楽しむことが出来る。下の画像はそうした紅茶商のひとつでイングランド北西部の湖水地方にある。コッツウォルズ地方とともに湖水地方は日本人観光客、特に女性に大人気だ。実は湖水地方は核燃料絡みの話題に事欠かず、詩人W.ワーズワースから絶賛された風景の裏にはいろいろな政治問題が隠されている。日本と同じで原発は風光明媚なところに出来る。決して大都市には出来ない。



話がそれてしまった。この紅茶商の茶葉の小売価格を見ると、今日時点でアッサムもアイリッシュ・ブレックファーストも500gが5.6ポンドである(ご注意!!500gの値段ですよ。日本によくある100gのパッケージではないです)。500g缶というのは家庭用としては相当大きい。それがわずか800円ほどだ。ここまで安くなくても、日本でもちゃんとした茶葉がもう少し安く買えるようにならないと、紅茶をそれぞれにちゃんと楽しむという風土は普及しないだろう。結局「安価だが感動がない」あるいは「感動的だが随分と高価なもの」に分かれてしまう。「普通においしい」が無いのである。

今のタクシー業界と同じだ。客は「こんな不景気なのに料金が高い」と敬遠し、ドライバーは「参入の自由化でタクシー台数が過剰になりお客が掴まらない」と嘆くが、経営の苦しいタクシー会社が料金を上げることを役所に申請し料金がジワジワと上がり、ますます客が減りドライバーの嘆きも止まらない。客もドライバーも不幸である・・・また話がそれた。紅茶の世界でも、茶葉の値段が下がって良質の紅茶がもっと頻繁に飲まれ、茶葉の卸も小売店も儲かり愛飲家も増大し、皆がハッピーという状態が望ましいだろう。

海外の紅茶の歴史や文化の本を読み、こうしてあちこち茶葉を探し、限られた頭で想像するのは、海の向こうには茶葉の大きな世界が広がっているのに日本人がそれを様々なスタイルで少し本格的にかつ気軽に楽しむには若干の困難があり、「紅茶を普通に飲む」カルチャーの実現には未だ至っていないということだ。売る側買う側どちらにとってもあまりうれしくない状態ではないだろうか。
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紅茶を普通に飲む(5) ラッセル・ホッブズ

2009-06-27 00:03:45 | 食べ物・飲み物
「紅茶を普通に飲む」には普段から飲まなければならないし、そのためには経済性も考えなばならないし、手間を最低限に抑えられれば尚良い。ラッセル・ホッブズをご存じだろうか。「紅茶を普通に飲む」ためには我が家では不可欠な道具となっている。英国の電気ケトルの代表的メーカーである。創業者がラッセルさんとホッブズさんだったわけだ。ラッセル・ホッブズが第二次大戦後K1だとかK2だとかいう名前の電気ケトルを生産し始め、同国では簡便な電気ケトルが一気に普及した。日本法人もありデパートにはたいてい置いてあるので、食器や調理器具好きな人なら覚えてはいなくてもおそらく目にしたことがあると思う。

下の画像は同社のウェブサイトから頂いた。7100JPというモデルで、我が家では毎日これを使っている。とにかくデザインが良い。曲線が美しくクラシックな形をしているが、外見だけでなくなかなかよく考えられて作られている。



注ぎ口が下から出ていて、中のお湯を出しやすい。この手の電気ケトルではあまりない形状だ。注ぎ口は細く、注ぐ湯量の調整も容易で、お湯が垂れてこぼれることもない。下の画像のケトルの下の分厚いコースター状の台にコードがついている。お湯を沸かす時はご覧のような状態だが、お湯を注ぐ時は上のケトルだけを持ちあげる。台は下に置かれたままだ。

下左の画像にあるのが、スイッチ。ケトルの下、後ろ側についている。ケトルを台にセットし、このスイッチを押せば右画像のように、ライトが点滅し、お湯を沸かし始める。ケトル側面にあるのは、ラッセル・ホッブズ社のロゴだ。

この電気ケトルの特長は以下のとおりである:
①すでに書いたとおり、使いやすい注ぎ口
②デザインがクラシカルで優美
③水が入っていなければスイッチは入らない。また沸騰したら自動的にOFFになる。だから空沸かしの危険がない。なによりガスの火を使わなくて済む
④お湯が沸くのが早い
⑤プラスチック部分(黒いところ)は熱くならない。ケトル底部も熱くならない。



上記特長のうち③と⑤は大きなメリットである。③は安全面で有利だし、⑤の利便性も強調されて良い。

先に紹介したジョージ・オーウェルの「一杯のおいしい紅茶」という随筆で彼が挙げたポイントのひとつに「お湯が沸いたらポットをケトルのところに持って行け」というのがある。逆(ケトルをポットのところに持って行く)をやったら、その間に、せっかくグラグラ煮え立ち大量の酸素を含んだお湯が最大限活かせずもったいないという気持ちの表れであろう。この電気ケトルの場合、ポットとケトルの距離を最小限にすることも簡単である。どこでお湯を沸かすことも自由自在だからだ。また伝統的ケトルの場合、底部はカンカンに熱くなるので、ポットに湯を注ぎ終えたらコンロの上に戻すしか置き場所に選択がない。しかしこの電気ケトルなら底部は熱くならないので、どこにでもサッと置いて次の作業を続けられるのである。



電気ケトルの普及度は日本では低いように思う。多く見られるのは、あのなんとも頼りない電気ポットである(あれをなぜ「ポット」と呼ぶのか私にはよくわからないのだが・・・)。熱源は何でもよいが、少なくとも紅茶はグラグラ煮立ったお湯が使えないと話にならない。

最後の画像は八ヶ岳の山荘の狭いキッチン。ここでは画像右奥に写る銅製の小さくクラシカルなケトルが活躍している。確か新潟県の銅製品のお店から買ったと記憶している。本当はこれが一番いいかもしれないと思うが、鎌倉の自宅では他にいろいろとやらないければならないことも多く、忙しい中で「紅茶を普通に飲む」ために利便性と安全性を優先してラッセル・ホッブズを愛用している。
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紅茶を普通に飲む(4) アイルランド

2009-06-26 13:56:32 | 食べ物・飲み物
「紅茶」というテーマは守りながらもどんどん方向が変わり、アイルランドに突入。

さて、紅茶対比でコーヒーの消費量が増えつつあることではアイルランドも同様だ。しかしアイルランドは今も一人当たりの紅茶消費量がやたら多い国なのである。おそらく世界一なのではないか。一人当たりGDPでは、今や日本や英国よりもよほど豊かであり、少なくとも21世紀に入ってからは日本は負け続けである。アイルランドというと、古くは飢饉や移民、あるいは内戦状態にさらされた貧困を思い出すが、少なくとも経済統計上それは過去の話である。今は豊かで紅茶をたっぷり飲むお国柄なのだ。

私も英国製のアイリッシュ・ブレックファーストの缶を買ったことがあるのを思い出した。調べると、なんと私がこのブログでもずっと前に紹介している。しかし私自身はそのことを忘れていたのである。最近、どんどん自分が係わったことを忘れる。素晴らしい。人生が楽になる。下の画像はその時のものだが、今はこの缶のデザインも一新されている。



F&M社のアイリッシュ・ブレックファースト。八ヶ岳の紅茶専門店DADAさんの奥様が「これ、おいしいんですよぉ~」と言うので買ってみた。確かに深いコクのあるものだ。F&M社の商品は、購入者を裏切ることがない。様々な茶葉が用意され、皆ちがった香りやコクや水色をしているわけだが、「うまくない」と思ったことは今までにない。たいした会社である。



話を戻す。そうそう、私はBewley'sのアイリッシュ・ブレックファーストを買ったのだ。この類の紅茶にはケニア産のものが多く含まれる傾向があるが、どうも私が買ったものはアッサムとダージリンをブレンドしているらしい。純インド産ということか。しかしどういう茶葉なのか見当がつかない。アッサムとケニア産茶葉のブレンドということの方が余程わかりやすい気がする。

Bewley'sは1840年創業だ。上の画像はそのカフェ。下の画像が私が注文したアイリッシュ・ブレックファーストの缶の画像である。ただし私は缶を注文していない。ビニール製でアルミのコーティングのあるパッケージで買った。250g袋を1ダース買ったが、その価格は76.95ユーロである。1万円ほどか。加えて送料がかかる。日本国内にも代理店があるので、そこで買うのとそれほど変わらない。我が家へその茶葉が到着する日が待ち遠しい。




アイルランドは私が訪れたいと思いつつ、未だに訪れていない国だ。この「緑の島」を国民は誇りにしている。小国であることと、いろいろと圧政を浴びた歴史からだろうか、アイルランド人は露骨に愛国心を表す。とは言え、私が知るアイルランド人の数には限りがあるが。

下の画像はElisabetta Canoro著「アイルランド」。大型で分厚く重い、カラー写真一杯の超豪華本である。普通なら私はこんな本を買わない。高価過ぎるからだ。購入は2003年。当時バカ高い本だったが、これもまた米国資本のディスカウントストア「コストコ」のワゴンに積まれたところを偶然発見し、1000円少々で購入した。



緑滴るアイルランド。街も田舎もどうしてこんなにキレイなのだろうか。それで1人当たりGDPがデタラメに高いのなら、言うことはない。



こうした豊かで美しく世界一紅茶好きな国の代表的紅茶なのだから、Bewley'sのアイリッシュ・ブレックファーストはさぞかし美味しいことだろう。濃く出して、ミルクをたっぷり入れて楽しもう。こうしたタイプの紅茶は、オーウェルの言う通り濃くなければならない。香りも必要だろうが、むしろ深いコクだ。だから多くのミルクが必須である。



我が七里ガ浜住宅街にも少しは緑がある。本日の撮影。
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紅茶を普通に飲む(3) 茶葉を買う / 紅茶のエンゲル係数

2009-06-25 23:03:58 | 食べ物・飲み物
この投稿のタイトル「紅茶を普通に飲む」は、先日書いた「豪州ワイン」他の話題同様、私個人の普通の生活スタイルに合うという観点から、私が選んだものについての私の経験を指しているに過ぎない。あれこれ試した結果、私が「これが皆にとってのベストだ!」と主張しているのではないのである。

その「普通に飲む紅茶」のポイントは以下の通りである:
●朝ごはんとともに頂くミルクティー
●インド産あるいはそれを中心としたブレンド
●濃く出せるブラック&ストロングな茶葉
と言うことはある程度必然的に・・・
●香りよりも、どちらかと言うとコク
●しかも「日常用」であるからしてあまり金を出したくない
他の多くのこと同じく、こうした特徴をすべて兼ね備えた紅茶を探すことは容易ではない。最後の条件がなければどうにでもなるが、そうは行かず、それにより選択肢が少なくなるのだ。



朝ごはんとともに楽しむ普通の紅茶となれば、それは鯵の開きと一緒に楽しむ番茶あるいは味噌汁の如くである。そのコストがパンやマーマレード対比で一定の割合以下に保たれ、かつそれなりの水準を持つ品質の茶葉が存在しなければ、いつまで経っても日本で「紅茶を普通に飲む」文化は普及しないであろう。どうでもよい紅茶か、あるいは妙に典雅で高級な紅茶ばかりでは困ってしまう。「普通の紅茶愛好家」は紅茶をおいしく飲みたいとは思うが、紅茶のエンゲル係数をやたら上げるわけには行かないのである。

私の勝手な諸条件を満たしつつ、エンゲル係数をかなり抑え、苦労しないでも日本のあちこちで買えるという点では、ご覧のTwnings社のEnglish Breakfastは有難い。近所のスーパーでも並行輸入品の200gの缶が700~800円程度で買える。茶葉を惜しまずにこれをドバドバと使えば、しっかりとしたストロングなミルクティーを作ることは簡単である。あまり強い個性があるものではない。茶葉はこうした「ブレックファースト」ものによくある細かい葉で、ブレンドが行き届き、一定の品質がいつも確保されている。

どうでも良いことだが、この缶はとても良く出来ていて、蓋と底がピタリと重なって固定される。重ねて保管する場合には非常に安定して便利である。



最近この缶のデザインが変わった。以前の缶の方が良かったのである。上の画像が新しい缶で、下のが古い缶のデザインだ。私は馴染みのある古い缶の方が好きである。

この並行輸入品でしか手に入らない安い200g缶はシリーズで5種類の茶葉がある。ご覧の赤い缶以外にも、クリーム・イエローのアール・グレー、紫のダージリン、黒のキーマン、オレンジのオレンジ・ペコ。先日近所のスーパーに行ったら、黒缶だけが売られていた。商品名は「プリンス・オブ・ウェールズ」、つまり今でいえばチャールズ皇太子だが、この中身はキーマンだ。キーマンはおそらくこの5種類の中で日本では最も売れない茶葉ではないだろうか。そしてそれだけを売っているというスーパーもなんとも的外れで変わっていて、面白かった。意図的にそうしているのか、偶然か。私は買わなかったが。



ストロングなブラック・ティーでミルクとの相性が良いことを条件に探すと、コクと深みがさらに強そうなアイリッシュ・ブレックファーストに行き着いた。いっそのことアイルランドの紅茶屋に買いに行ったらどうかと思い、行ってみた(ウェブ上で)。アイルランド人自身は国内でわざわざこれを「アイリッシュ・・・」などとは呼ばないらしい。広島で「広島風お好み焼き」とは言わず、関東でおでんを「関東煮(かんとうだき)」と言う必要がないのと同じか。しかし今や「アイルランド」を付けるとグローバルにはプラスに響く。

本日オーダーしてみた。価格はユーロ建てだ。もはやPunt(アイリッシュ・ポンド)ではないのである。便利なようなつまらないような。やがてスターリングもなくなるのか??? 購入したのはアイルランドの老舗Bewley'sのアイリッシュ・ブレックファーストである。しっかりした紅茶で朝のミルクティーにぴったりなはずだ。
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紅茶を普通に飲む(2) インド/セイロン茶

2009-06-25 10:12:51 | 食べ物・飲み物
ジョージ・オーウェルの言う「紅茶はインド産あるいはセイロン産」については私もほぼ同意する。中国産のキーマン(キームンとも)あるいはラプサンスーチョンもおいしいけれど、私の場合、日常使いとして飲むには不適である。誰でもどんな紅茶でも好きなスタイルで飲めば良いわけだが、一般的にはこうした中国茶はミルクを用いず微妙な味わいをストレートに味わうべきものだろう。

我が家の場合、一日中紅茶を味わうということはない。朝必ず食事(パン食)とともに一杯飲んで、あとは大福餅、煎餅、スナック菓子、あるいはビスケットなどのおやつを食べた時あるいは夕食後に「日本茶じゃなくって、紅茶にするかな」という感じで飲む、といった使い方なのだ。


(インドの紅茶農園、フリー画像サイトからの頂き物)

そうであるとすると、自宅に置く茶葉はやはりミルク・ティーに最適なもの、朝ごはんとともに飲んで頭がシャキッとするものが良い。だからインド茶あるいはそれを中心にしたものが必要だと感じる。もちろんキーマンや高級なダージリン(因みに「ダージリン」は文字通りインド茶ではある)等もたまには飲みたいしそれらのお茶も好きなので、時々そうした茶葉を買うけれども日常生活での紅茶の飲み方が上記のとおりなので、キーマン等では我が家でそれほど消費が進まない。

ところが忘れてならないポイントだが、紅茶というものは生鮮食料品なのである。缶に書かれたずっと先の賞味期限を守っていれば良いというものではない。封を切ったら素早く飲み切ることが肝要なのだ。これはジョージ・オーウェルが先の随筆の際にうっかり書き忘れた項目であると後世の文学関係者や紅茶関係者が指摘している・・・ウソ。私が勝手に「彼は書き忘れた」と思っているだけ。

したがって自宅に常備するのは毎朝ごはんとともに自分が飲む茶葉1種類に限定し、それをサッサと飲むよう心掛けている。我が家の場合、それはインド茶あるいはそれらを中心にしたものでブラックでストロングな茶葉しかあり得ない。我が家にあるのはアッサムか、あるいは各社から出ているナントカ・ブレックファーストと呼ばれる商品で、私はそれを飲み続けるのである。


(Tiptree社定番オレンジ・マーマレード。ストロングなミルクティーと相性よし。王室御用達。今や日本中のスーパーで買える)

茶葉は妙に高価である。これはどういうことかと不思議に思っている。日本国内の販売価格は異様である。いろいろ流通の仕組みがあるのだあろう。その説明もなされるが、どうもよく理解出来ない。あらゆるものが日本で同じように高いなら、それは流通、貿易、関税の仕組みによるものと納得するが、そうではない。

例えばウイスキーを見ると、為替レートの急激な変動により換算額に変化が生じることを除けば、日本も英国も米国も概ね似たようなものである。だからもはや海外旅行者や出張者が帰り際、ヒースロー空港内の免税店で重いウイスキーをわざわざおみやげとして買うことが流行らなくなってしまった。

一方ピカデリー・サーカスのフォートナム&メイソン社本店に行くと、大量の日本人観光客が紅茶売場に群がっている。現地に住む日本人は「まったく!日本人観光客って他に行く所がないのかしら」としかめっ面をしたりするが、それは正しくない。この場合、日本人観光客の行動に経済合理性があるからだ。と言うのはウイスキーと比較すれば、紅茶をロンドンで買うことは「する価値のある」行為だからである。紅茶の内外価格差はそれほどまでに激しいのだ。


(F&M社アッサム・スパーブ 同社のウェブサイトより)

上の画像はF&M社のアッサムである。同社製品の日本における総代理店である三越百貨店では、この250g缶を4,725円で販売している。ちゃんとしたお米が10kg、あるいは相当なレベルのシングル・モルト・ウイスキーが買える値段だ。ところが、まったく同じものが同社英国本社のサイトの通販ではわずか6.95ポンドで売られている。米国法人のサイトではちょっと上がるがそれでもわずか18ドルである(価格はいずれも本日のもの)。この差は如何に説明されるべきか。

普通、こういう内外価格差があると、必ず並行輸入をする食料品輸入商が出て来て、安くこの茶葉を販売することであろう。しかしF&Mに関してはそれがほとんど見られない。同社の販売網へのケアと同時に絞めつけが相当しっかりしているのか。そうでなければ日本政府の茶葉への課税が厳しいのか。未だ調べておらず不明である。
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紅茶を普通に飲む(1) ジョージ・オーウェル

2009-06-24 14:51:48 | 食べ物・飲み物
日本で紅茶を飲む人の数は20年前と比べれば格段に増えていると思われる。その最大の原因は20年ほど前から始まった日本での英国ブームではないか。英国礼讃本及びその英国礼讃者を批判する本の出版部数の増加と、日本の紅茶愛飲家の増加は、少なくとも時期はほぼ一致する。

ところが本家の英国では紅茶を飲む機会は明らかに減っていて、他方でスターバックスの店舗がずいぶんと増えた。皮肉なものである。日本人など比較にならないほど保守的と思える英国人だが、スタバの受け入れに関してはイタリア人よりはるかに寛容なようだ。



紅茶通の方々ならたいていよく知っていることだが、作家のジョージ・オーウェルが「一杯のおいしい紅茶(A Nice Cup of Tea)」という随筆を残していて、そこには彼の「どうしてもゆずれない11項目」というものが書かれている。その内のいくつかの項目を拾うと以下のようなものがある。
●インド産かセイロン産の葉を使用することが肝心
●紅茶は濃いことが肝心
●円筒形のカップを使い、浅くて平たい形のは使わない
●紅茶を先に注ぐ、ミルクは後

ジョージ・オーウェルは面白い作家だ。学生時代に彼の「動物農場」をテキストとして読まされた人も多いはずである。寓話仕立てで恐ろしさに寒気する社会体制批判だが、そのまま表面的に読んでもおかしなストーリーである。そしてこの紅茶に関する随筆も、紅茶をおいしく淹れる条件を生真面目に語っていて面白い。文章自体はものすごく短いものである。このブログの記事のタイトル「紅茶を普通に飲む」は、私個人の日常生活における私好みの紅茶の飲み方を指すが、それを前提にすれば、私は上記の4項目のうち最後のものを除きすべてについてジョージ・オーウェルに同意する。

4番目の項目「紅茶が先か、ミルクが先か」という問題はそれぞれのやり方に長所と短所があるから、単純には結論づけ出来ない。しかしオーウェルは自分の随筆に「おいしい紅茶」というタイトルを与えているわけだから、それからするとオーウェルの「紅茶が先でミルクは後」とした主張は、今では受け入れられにくいだろう。というのも、すでに回答が出てしまっているのだ。「どちらが先」論争に対しては、英国王立化学協会によるプレスリリース(http://www.rsc.org/pdf/pressoffice/2003/tea.pdf)に結論が見られる。オーウェルの「一杯のおいしい紅茶」に対し、こちらのタイトルは「一杯の完璧な紅茶の作り方(How to make a perfect cup of tea)」である。このプレスリリースにはオーウェルへの言及もあるが、化学的な説明を加えて「ミルクが先」と明確に書いてある。これもまた紅茶好きな人ならよく知る見解であろう。



オーウェル以前からあり、オーウェルが随筆に「紅茶が先」と書いた問題も、さらにその随筆から半世紀以上が経って決着を見た。オーウェルはこれ以外にもいろいろな随筆を残している。それらをまとめたのが平凡社ライブラリーの「ライオンと一角獣」である。残念ながら今は古書で手に入れるしかない。私もそうした。
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買い物に困る七里ガ浜住民は湘南モールフィル/Mr Max湘南藤沢ショッピングセンターへ行く

2009-06-23 05:40:44 | 
七里ガ浜の住民が食料品を買いそろえるのに手近なところでは西友七里ガ浜店がある。私もよく行く。しかし近所にショッピング・センターってないのか?巨大なスーパーの他、いろいろな店が併設されて書店やホームセンターもあり、衣料品も輸入食料品も家電専門店もそしてレストラン街もあるようなのが。

鎌倉市内はひとつ大船の方にコーナンがある。しかしいまひとつ華やかさに欠ける。隣の逗子市や葉山町には、そうしたものはまったくない。商業圏としては小さ過ぎるし、広い土地もない。視線を逆方向に向けると・・・あったあった、藤沢市に。



クルマなら七里ガ浜から国道134号線を海沿いにビューーッと行って、江の島を越えたらすスグの松波交差点を右折。まっすぐ北上し、JRの線路をくぐって住宅展示場を越えたらスグに左折。そこがショッピングセンターだ。JRなら藤沢駅下車でバス。あるいは辻堂駅か。残念ながらちょうど両駅の中間あたりである。

湘南モールフィルとミスターマックス湘南ショッピング・センターが広大な敷地に道路を挟んで建っている。

上の画像は湘南モールフィル内のスーパー・マーケットsanwa。食材ならかなり揃う。店舗も大きいので、同じ野菜、例えばピーマンとするなら、そのピーマンの異なる産地のものが複数並列して売られていたりする。同じことがマイタケ、エリンギ、ナス他で起こる。先日このブログで紀ノ国屋鎌倉店のセールで安く買ったと私が自慢したタイ米が、このsanwaでは常時もっと安く売られていることを発見し、愕然とした。

湘南モールフィルのHPはこれだ。http://www.shonan-fill.com/



道を挟んでミスターマックス湘南藤沢ショッピング・センターがある(上の画像)。

そのHPはこのとおり→http://www.mrmax.co.jp/sc/shounanfujisawa/

何度か行っているが、この隣接する2つのショッピングセンター全体の構造や各店の配置がいまいち頭の中に入らない。というのは、同じような種類の店舗が2つのショッピング・センターのそれぞれにたくさんあるからだ。スーパーもホームセンターも書店も衣料品も靴もインテリア用品の店等々も両方のショッピング・センターに入っている。さらに、たくさんの飲食店があちこちに散在していて、さっぱり記憶出来ない。

どちらのショッピング・センターに入ろうかと迷う必要はない。駐車場もフリーなので、人々は事前には特に考えず、2つの駐車場のどちらかに取り敢えずクルマを停め、2つのショッピング・センターを自由に行き来する。

初めて行った人は、全体を把握出来ないことだろう。そんなに高級品があるわけではない。モールであるからして日常生活の品々を売る店と飲食店ばかりである。しかし中にはアンティーク家具店なんてのもテナントとして入っている。

私はご近所さんから、このショッピング・センターの存在を教わった。確かに鎌倉の東急や紀ノ国屋やユニオンを合計したよりも桁違いに大きく、スーパーでは買えないものも売っている。興味ある人は上記HPを見てみて下さい。
コメント (8)
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