神奈川県逗子市小坪(自宅)⇒長野県東筑摩郡麻績村(山荘)⇒神奈川県津久井郡相模湖町(自宅)⇒神奈川県逗子市沼間(自宅)⇒長野県諏訪郡原村(山荘)と私は5軒の家を建てて来た。今度は私にとって6軒目の家で、両親の家の話である。
両親が新しい家に移り住みたいと思っていることを知り、最初私は八ヶ岳山麓だけでなく、伊豆や箱根の別荘地でも土地を探した。2001年のことだった。伊豆などかなり地価が高いの驚いた。伊豆では私が買える土地というと、狭い土地であることが多かった。湘南の住宅街とたいして変わらない、狭苦しい別荘地も多かった。
伊豆・箱根、あるいは八ヶ岳山麓でいくつか候補になるところがあったが、いずれも一長一短。やがて適当なところが見つかった。長野県西麓、茅野市の標高1250m。大手ゼネコンが開発した巨大別荘地の中の一区画である。私の山荘からもすぐのところにあった。
面積は400坪弱。きわめてフラットな土地で、道路からはわずかに上がる。南面道路は二車線のアスファルト舗装。しかし別荘地でも端っこに位置することからクルマの往来はほとんどない。山の中というのに上下水道が備わっていた。自宅も含めてその土地も抵当に入れて、その上に両親の家を建てるからお金貸してくれる?と自宅のローンを借りているメガバンクに申し込んだら、あっさり通ってしまった。
その時点で両親は三重県の山林の中に住んでいた。母が打ち込んでいた陶芸の釜やその作業場や展示室やジャグジー風呂も備えた大きな家で、平成不況の真っ只中、そこを売却することはかなり困難と思われた。実際売りに出してみると、まったく売れそうになかった。見に来る人さえいなかった。10年近く前の購入価格の4分の1まで下げても売れなかった。
結局新しく購入する両親のための土地、およびそこに建てる建物のローン全部を、私が背負うことになった。涙のローン返済人生である。一方で自宅のローンもまだまだたくさん残っていたのである。