Reflections

時のかけらたち

夜に ・・・ when I melt into night air

2016-03-03 23:58:49 | thoughts



子ども園では卒園を間近に、心が壊れそうになった園児のケアで、昨日から大変です。
柔らかな心を持つ子供たち。それでも甘やかすのではなく、心の整理をさせて、できることから
手が付けられるように持っていく。母親も働いているので、相談などに時間をたくさん取ることができません。
今まで溜まっていたことが爆発して、また生活の変化がプレッシャーになっているようでした。

今回のお子さんは、私を見てというか、かまって注目してほしいという
気持ちが強いのだという。とても屈託なく明るくここで社会生活している子どもたちも
どこかにもっと親と一緒にいたいという気持ちが潜在的にあるのだろう。

私が子供を預けていた時は、夕食後に子どもとよく遊んで寝るのが遅くなり、
よくお父さんに怒られていたっけ。うちでは保育園時代、そんなに問題があると思わなかったけれど
子どもはいろいろな思いを抱えて生きているんだね。





この頃夜寝るときに聴く曲はずっと久しぶりのモーツァルト、クラリネット協奏曲だったけれど
ちょっと前からヴァイオリン曲でクライスラーや、パガニーニのカンタービレなどがおやすみ曲だった。
数日前から急にまたバッハが聴きたくなり、ヴァイオリンソナタでツィンマーマン。バッハってやっぱり
魂が落ち着く。





ときどき夜寝るときに、亡くなった懐かしい人たちが星のように私を取り囲むときがある。
何か包まれている感じがする。29日もそうだった。2月28日は30代で亡くなった祖父の命日。
朝に死にたいと言っていたという。時代の先を行っていた人で結核で亡くなり最後は闘病の句を詠んだ人で
写真でしかあったことのない祖父は私がこの世では会うことができなかった一番素敵な男性です。

血に痴れてヤコブのごとく闘へり   縷々

没後50年に俳句の同人誌が特集を組んでいて、祖母から聞き取りをして、その生涯や俳句が紹介されている。
久しぶりに開いてみたら、何か泣けてきた。雪の日の葬儀の時、祖父を慕っていた杉田久女が小さな数珠を持ってきて
祖母に指にはめてほしいと頼み、祖母はそれをはめてあげた。久女が縷々に熱を上げたのは当時も有名な話で
父は久女の夫である美術の先生にいじわるされたらしい。祖母は久女からの手紙をたくさん持っていたが、だれにも見せなかった。
俳句のことが多かったとのことだったが、最後精神に異常をきたした彼女の手紙は人に見せられないとのことで
ずいぶんたってから、久女の子供さんに返したと母から聞いた。その昔松本清張からも話が聞きたいと申し込みがあったが
断ったようなことを聞いたことがある。
祖母と祖父は旅館(のち小倉市長)の養女と書生の関係で、祖母はもしほかの人と結婚しても縷々を一生支えると思っていたそうだ。
今になって私の中にその祖母の血が生きていたのだと思った。父が亡くなる前に父が父のいとこに私の強さは両親には
ないものだと話していたとのことで、そのことを私に死後伝えてくれて、私は泣いた。私の結婚に猛反対した父が
私を認めてくれていたのだと思って。でも私の中にあのおおらかな祖母の血が少し流れていたのだ。私は祖母ほど
大胆ではないけれど。





久しぶりに私の祖父、祖母、そして縷々の親友だった母方の祖父と私をかわいがってくれた祖母、両親と
思い出した。特集の記事の中に縷々は美しい精神の持ち主で男が惚れる男であったと書かれていた。
もう一人の祖父も「海賊とよばれた男」のなかで実名で「サムライ」として書かれている。背が低く、ハンサムでなく
縷々とは正反対だけど、私の生きている人間の中では一番尊敬している人だった。その平等に人を愛する心や
バランス感覚が抜群だった。社葬の時 "little man , big heart"と弔辞が読まれた。芸術家でイケメンで短い生涯だった
縷々と学生結婚した祖母と、生涯尽くされて長生きした祖父と結婚した母方の祖母とどっちが幸せだったのだろうかなんて
思ってしまうことがよくあった。

なんだかファミリーヒストリーを書きたいと
思ったけどなかなか続かなかったことを思い出した。


写真は2月11日の新宿御苑から
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