1月28日
竹田に寄ったのは岡城に登るためです。ただ私の中のイメージだけで行ってしまったのですが、どうも「天空の城」の竹田(たけた)城と
混同してしまっていたらしい。岡城は臥牛城(がぎゅうじょう)・豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)とも呼ばれる。
「竹田の子守歌」は京都伏見の竹田と私の頭の中で竹田がごっちゃまぜになっていました。
明治維新後の廃城令により、明治4年(1871年)にすべて廃却され石垣だけが残っている。滝廉太郎が竹田市で少年期を過ごし、「荒城の月」
を作曲した城です。
明治維新は興味深い革命ですが、廃仏毀釈といい、廃城といい愚かしいことをしたものです。革命は文化の破壊を伴うことが多いのは
非常に残念なことです。
バスで岡城址について、チケット売り場でロッカーのことを問い合わせると、ないので受付で預かってくれることに
なりました。広いので後半早歩きをしたので、預かってもらえてよかったです。
訪れている人もいない、他に1~2名くらいしか出会わない場所でした。
ここでやっとステッキを組み立てました。
この城山の上では強風が吹き、吹き飛ばされそうなくらいでした。
この難攻不落の城も火災が多かったとどこかで読みました。よくこんな場所で暮らせたと
思います。そしてなぜ石垣しか残っていないのかは後から調べて分かりました。
このロウバイが咲いている屋敷跡で最後のレモンケーキを食べて、ブレーク。
とにかく少しでも風が来ないところで・・・
とても広大な城跡。三の丸からの景色と確かビュー・スポットがあったはずと急いで回りました。
その周りのさらに広大な九州の自然。
写真のトーンが違うので一眼レフの写真をまとめて
阿蘇山方向か?
くじゅう連山
Jan. 28 2025 Takeda (Oita)
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