1月28日
竹田駅に戻る手段がタクシーしかなくて、岡城址の入り口で荷物を取ってタクシー会社を聞いて電話をしました。
時間があれば竹田城下町をゆっくり歩きたかったのですが、本数の少ない列車に乗るためにカットしました。
タクシーの運転手さんが城下町のめいんの所を通ってくれて、車の中から静かな街を見ました。金沢の武家屋敷と
同じように人々が昔の環境を保存しながら暮らしている街です。観光客もいなくひっそりとしていました。
駅の近くで降ろしてもらって少しだけ歩くことにしました。
滝廉太郎関連を通りながら・・・
荒城の月が岡城がモデルとだけしか知りませんでしたが、
この若い才能あふれた音楽家のルーツが大分にあり、残念なことに
23歳という短い生涯であったことを知りました。←帰ってから調べて
音楽の街
このトンネルでは滝廉太郎のメロディが流れます。
早世の天才作曲家滝廉太郎とはその功績と生涯を紹介 Art Plaza Times
住居が記念館になっていましたが、入ることは時間の都合上できませんでした。
滝廉太郎の父親は大分の日出藩家老職を務めた名門の出で明治維新後は役人になり、内務省勤務後
地方を転勤で点々として滝廉太郎の少年時代をここ竹田で過ごしました。滝廉太郎は東京芝の生まれですが
結核にかかりドイツ留学から戻り、大分で最後を過ごしたとのことです。大分はゆかりの土地だったのですね。
親しみやすい曲を作曲した滝廉太郎。短い生涯を残念に思います。
豊後竹田駅に戻りました。
最初駅に着いた時に、バスのことを聞いたりしていましたが、岡城行きのバスが来るまでに時間が少しありましたので
臼杵へのルートを観光案内で聞きました。無人駅も多いのに観光案内があって助かりました。
とても親切で私が路線検索で探した中判田駅から路線バスで40以上の停留所があるところを行くルートに不安もあり
相談すると、三重町駅から臼杵へのバスがあるのでそれがいいとの勧められました。宿泊が臼杵の石仏近くなので
そこを通れば宿は近いです。ルート変更して宿に電話して、最寄り駅「望月」を確認しました。最初に調べたルートだと
多分臼杵駅まで行ってタクシーです。
とても親切に相談に乗っていただいて大変助かりました。
竹田駅からの車窓の風景
三重町駅に着いてまずバス停を確認しましたが、駅には誰もいなくて、
表示も聞く人もいなくて、やっとタクシー運転手さんに聞くことができました。
駅から少し離れた場所のバス停を確認してから、駅の前のコーヒーショップでおいしい
挽きたてのコーヒーをいただきまた。ペストリーの一つも食べたかったのですが、
夕食のふぐのコースが食べられなくなるよと友人に止められました😢
小さなかわいい駅でした。
Jan. 28 2025 Takeda → Miemachi
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