6月14日
きものクリニックに久し振りに銀座の呉服屋さんまで行きました。
最終日に滑り込みです。この期間に丸洗いなどが特別安くなります。
地下鉄から地上に上がると銀座通りは歩く人もまばらです。
観光客も消え、静かな銀座です。海外からの観光客がいなければ成り立たないなんていつから
何がずれてきてしまったのでしょう・・
呉服屋さんでは、お店の方々にマスクをしていてもバレバレでよく覚えているので驚きます。
着付けを習っていたのはもう5年くらい前のことになります。あの頃が遠い昔のことのように
思えます。そのころの先生たちもずいぶんやめられています。
袷の時の長襦袢と木綿の着物を丸洗いに出しました。
家で着物を探したりしていたら、今年は虫干ししていなかったので、今頃空気を入れて
天気も良くないのにね。
そしたら小さな包みが出てきて懐かしくなりました。それは小学校低学年の頃お人形さんの着物や
お布団を同居していた祖母が作ってくれたものの一部でした。今見ても素晴らしいです。
祖母のことを関連して思い出し、もっといろいろ話を聞いておけばよかったと思いました。
すてきな縷々さんとのことを。
旅館のお嬢さんと書生。祖母も養女だったのですが、祖父も養子だったのですね。どちらも親類関係だったような。
旅館の経営者だった養父は小倉市長でもありました。祖母はもし結婚できなかったとしても一生支えたいと思っていたと。
やっぱすごい人だったのだ。母にはいつも縷々さんは男が惚れる男だったと話して、息子であった父とは比べ物に
ならないと話していたそうです。夫と息子を比較してどうするの? 母であるより妻であった祖母だったようです。
でもこうして作ってくれたものがまだ手元にあるとなんだか祖母自体がすごくいとおしく思えてきます。
おおらかで細かいことは全く気にしない豪快な人でした。めちゃくちゃ正直でそれがまた周囲の人を
傷つけていました。特に母を。
私の宝物のタイトルで
数年前にもブログにアップしていました。
このごろ自分の衰えを感じるのはちょっとつらいかも。それが自然とはいえ。
主人や母もそういう自分を見つめていくのがつらかったと思います。母はよく言っていましたが、
難病の主人はそういうことは口にしませんでした。そう言う余裕もなかったのかもしれません。
子どもが生まれた時に、高校時代の友人がたくさん洋服を作って送ってくれました。
彼女は舞台衣装もどんどん作っちゃうクリエイティブな人です。
いろいろ思い出されます。
あじさいの写真は5日の神代植物公園の水生植物園で撮ったものです。
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