明治時代から軽井沢で夏を過ごしてきた一人のアメリカ人女性、エロイーズ・カニングハム。音楽を愛し、
軽井沢に親しんだ彼女が、音楽家を目指す若者たちのためのホールを建てました。設計を担当したのは
建築界の巨匠・吉村順三。30年余りの歳月を経て、青少年たちの夢を見守り続けたホールは雨風で傷み、
取り壊しの危機に。その夢と貴重な建築を守り、受け継ぐべく、2015年にカフェ&シェアハウスとして
新たな物語が始まりました。
ハーモニーハウス Harmony House
1983年、日本の青少年の音楽教育に生涯を捧げたエロイーズ・カニングハムが、音楽を学ぶことを目的
とした若者たちのために、練習場兼音楽ホール「ハーモニーハウス」を建設した。吉村順三が設計を担当。
老朽化により修繕が必要となり、一時は解体の危機に。2015年に、建物を維持・保存するためにカフェとして
活用が始まった。
エロイーズ カニングハム Eloise Cunningham
宣教師の両親と共に明治時代から軽井沢を訪れ、戦前まで毎夏を過ごしてきた。戦時中はアメリカの大学で
音楽教育を学ぶ。戦後に再び来日し、音楽教師を務めた。1939年に「若き人々のための交響楽演奏会」を開催、
子供のために毎月無料コンサート活動を行う。1983年、音楽を愛し、音楽を学ぶことを目的とした若者たちの
ために、練習場兼音楽ホール「ハーモニーハウス」を建設。人種・宗教に関わりなく、大切に使われることを
希望していた。1987年に勳四等瑞宝章を受章、1999年の100歳祝賀・青少年音楽協会60周年記念シンフォニー
コンサート(日比谷公会堂)の翌年、西麻布の自宅にて生涯の幕を閉じた。
吉村順三 Junzo Yoshimura
東京美術学校建築科(現東京芸術大学)で学ぶ。卒業後、1931年にアントニン・レーモンドに師事。モダニズム
建築を体現するとともに、レーモンドに日本建築を伝え、日本の伝統とモダニズムの融合を図った。
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軽井沢に行く前に行った歯医者さんで見た雑誌に紹介されていたので、行ってみたいと思ったところ、
家からも近く、いつも自転車でプリンスホテルに行くときに通る道の近く。軽井沢ゴルフクラブに挟まれた
道を通っていくとわりにすぐ着く。
吉村順三の名前は建築会社のアトリエで絵や彫金を習っていた頃知って本も持っていたけど
どうやら残念なことに手元にない。軽井沢に設計した有名な山荘がある。一度見てみたいと思ったので
最終日の午前中に行って、早い昼食でフレンチ・トーストをいただきました。
建築は全体を見ることができなかったので、よくわからなかったけれど静かで落ち着いたいい空間でした。
別荘にお邪魔した感じで何でもないけどいい感じ。
思い出したけれどもう一人建築家の作品の本を持っていた。村野藤吾。吉村順三と村野藤吾は40年近く前に
なるけれど設計をする人たちにとって、とても勉強になる建築家だったのだと思う。
最終日の朝は朝の支度をしていたら台所の目の前に鳥がやって来た。
コーヒーは丸山珈琲。ハルニレテラスより高め。
はちみつをたっぷりかけて。
入口近くにあったのはコンサートホールだった。何やら花とか無造作に置かれていて
記念の何かイベントでもあったよう。
家に戻って、掃除をして、帰る準備が済んだところで、隣の叔母のところに挨拶に行くと、
なんと帰りに雉がお出まし。叔母から雉が来ていると聞いたばかり。
最後にアウトレットで早い夕食を取ってから新幹線に乗りました。
July 24 2017 Karuizawa