10月16日
早朝の生身供を見るために5時ころおきて、支度をして5時半にはゲストハウスを出ます。
日本人の宿泊客は他1名しかいなかったけれど、多くの人がバタバタと出かけて行きました。
そういえば前夜にお参りに行ったときも、出会うのがほとんど外国人で、お坊さんによる
英語のナイト・ツアーもやっていました。
うっすら明けてきそうな朝の空気の中を歩いて・・
多くの魂が眠る中を歩いて奥へと進みます。
お化粧地蔵
お化粧が上手になりますようにという願いなのか・・
なかよし地蔵の前では人見知りが治るようにお祈りしていた友人。
こんなに小さなお地蔵さまにも新しい高野マキが供えられていました。
古る~いお墓が続いています。
生身供と朝の勤行
20名くらいの観光客が遠くから見守っていた生身供。ついたらすぐ出発したので写真を撮る
チャンスを逃し、観光案内からの写真を借りました。日本人は私たち以外1~2名くらいしか
いませんでした。
御廟橋を渡れば撮影も私語も禁止です。
燈籠堂の中では1時間近く読経の世界にいました。なんともいい声で内容がわからないので
外国人同様ですが、無の世界に入っていく様でした。
足がしびれて大変でしたが、無か無限かの空間の中で貴重な体験をしました。
最初は宿坊に泊まってそこでいろいろ体験するのもいいかとも思いましたが、この厳粛な空気は
格別でした。奥之院だけに絞った高野山はいい選択だったと思います。
後で燈籠堂の中を見てまわりましたが、何万という燈籠の輝きが見事でした。
帰り道には汗かき地蔵や姿見の井戸などを見てからゲストハウスに戻りました。
なんだかとめどなく話し、私が玉三郎の話をしたら、若い頃はきれいだったとそこから
建築を学んでいた学生時代に地方の芝居小屋を見て回っていた時に辻村ジュサブローに出会って、そのまま
しばらく人形芝居の手伝いをしたとか、昔聞かなかったような面白い経験ばなしがでました。泉鏡花の作品の
舞台がすばらしかったとか。小村雪岱の話をした時も、昔の歌舞伎のいい舞台芸術は雪岱が作ったもので、
甲斐荘楠音の次に好きとも話していました。
カメラも広角レンズから望遠まで持っているけど、今は全く撮らない、撮った写真は全部処分したけど
ソール・ライターの写真は好きだとも話していました。何を捨てるかと考えたソール・ライターはきっと彼に
合っていたのでしょうね。人に見せるための写真ではなく自分のために撮った写真がいいとも。
趣味が重ならない人との話も面白いけど、重なる部分があるとまたもっと面白い。若いころと違って
もっと深く経験して変わって行った人との再会は発見も多くて。竹田嘉兵衛の家を見ることでまた十何年
ぶりかに交流が始まった不思議。
すっかりお地蔵様シリーズになってしまいました。
汗かき地蔵をお祀りしているお堂。 このとなりに小さな井戸があり、姿見の井戸と呼ばれていて
この井戸をのぞきこんで、自分の顔が映らないと三年以内に死んでしまうといわれているそうです。
彼に先に覗いてもらって顔が映ったので私もやってみました。あと三年は大丈夫かしら・・
奥之院の杉は樹齢何年なのだろう・・・すごく大きいです。
親鸞聖人のお墓はお参りしました。
秀吉のお墓には登ってみませんでしたが。
kokuuに戻り8時過ぎの朝食。
チャイがおいしかったです。
チェックアウトして、再び奥之院へ。
御朱印帳を買いに行きました。朝の勤行の時は早すぎてやっていませんでした。
奥之院を3回も行き来したので、同じお墓の前も何回も通りました。企業の広告のような
慰霊塔もあれば、古くは秀吉時代の朝鮮戦争の慰霊塔もありました。第二次世界大戦の犠牲者のためや
最近では東日本大震災のものもありました。
戦争のなくならない人間の歴史も思いました。「風に吹かれて」ではないけど・・
10時1分奥之院前発の高野山・熊野聖地巡礼バスを千手院橋から変更してもらっていたので
時間まで奥之院にいることができましたがまた御廟橋のほうに行ったので、時間は結構ギリギリ
でした。
次は季楽里龍神にバスで高野龍神スカイラインを通り、護摩壇山でバスを乗り替えて向かいました。
友人が高野山の御朱印の文字はいいと言っていたけど、さすがの御朱印です。
御朱印帳を改めて、もし四国に行けるようなことがあればここから始めようかと思った
曼荼羅のすてきな御朱印帳です。
後から見て、レビューしました。
Oct. 16 2023 Koyasan