庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

火事と青空

2007-02-18 14:50:00 | その他
今朝早く、近所のアパートで火事があって、2階建て8世帯が全焼した。ケガ人がないのは何よりだったが、私の知り合い二家族も焼け出されてしまった。

そして、今日のこの青空・・・天は無情といえば無情だ。しかし、常に、我らが住む地上と共に世界を大きく二分しながら頭上に輝いている。

「神は人間に乗り越えられない試練は与えない」とは誰の言葉だったか・・・ともかく天上にまで届く希望と地上での忍耐を忘れることなく、この苦境を乗り越えてほしいと願う。


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田中正造

2007-02-17 00:27:44 | 言葉
 今日の質問は、亡国に至っている、我が日本が亡国に至っている、政府があると思うと違うのである、国があると思うと違うのである、国家があると思うと違うのである、これが政府に分からなければすなわち亡国に至った。これを知らずにいる人、己の愚かさを知ればすなわち愚かにあらず、己の愚かであることを知らなければこれが真の愚かさである。国民を殺すことは国家を殺すということであり、法を蔑如することは国家を蔑序することであり、人が自ら国家を殺すのである。財用を乱して、国民を殺して、法を乱して滅びないというものは、私はいまだかつて聞いたことがないのでございます。
 自分で知っていてなされるのではなかろうと思う。知っていてすれば、これは悪人という暴虐無道である。その本人その人間が暴虐無道である。政府というものは集まった集合体の上で知らず知らず悪いほうへ陥って行く。これは政府が悪い。この政府という集合体の上で悪いのであるか。これを知っているのであるか。本人が承知しているのであるか。承知していて直すことができないのであるか。これが質問の要点であります。国家が乱れるからといって、にわかに乱れるものではない、段々歴史のあるものである。
- 田中正造




先日、この春の地方選挙に出ようという方と少しじっくりお話しする時間を持った。立憲主義の本質、地方自治の本氏E・・など幾つか、耳慣れない方にはちょっと小難しいテーマを私の方から振る形になったのだが、話の中で、敬愛する政治家として、明治の田中正造、昭和の石橋湛山の名前を挙げさせてもらった。

今日2月17日は、その田中正造が衆議院において、あの「亡國に至るを知らざれば・・・」の大演説をぶった日だ。これに対する総理・山縣有朋の回答が「質問の趣獅ェ不明であるから答弁しない」というものだった。

この演説の明治33年から50年を待たずして、日本という国家は悲惨と苦悩の極限とでも言うべきものを国民全体にもたらしたあげく、まさに“亡国に至る”のである。

この日本が世界に誇るべき大政治家については、またいつか別に書きたいと考えている。
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ガリレオ

2007-02-15 09:43:58 | 言葉
I have never met a man so ignorant that I couldn't learn something from him.
- Galileo Galilei

私は何か学び取ることがないほど無知な人に会ったことがない。
- ガリレオ・ガリレイ

You cannot teach a man anything; you can only help him discover it in himself.
- Galileo Galilei

人は人に何も教えることはできない。ただその人自身の中にあるものを見つけ出すのを助けることができるだけだ。
- ガリレオ・ガリレイ




今日は科学の父とも呼ばれるガリレオの誕生日だ。最初の言葉は吉川英治の「我以外皆我師」そのままだろうし、次の一文はルソーの教育論にもつながる。

日本ではようやく戦国時代を脱して徳川政権が固まりつつあったころ、イタリアのフィレンツェには当時絶大だったローマ教皇の権威権力と巧みに戦いながら、こういうことを言う人物がいたのである。

彼もやはり哲人の顔をしている。
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仕事との付きあいかた

2007-02-14 13:30:45 | 自然
今朝の愛媛新聞に、私の好きな元解剖学者の養老孟司が良いことを書いていた。

「・・・好きな仕事は、お金を稼ぐ仕事とは違う。それならお金を稼ぐ仕事は、別にやらなければならない。そういう立場だと仕事に客観的になる。好きでやっているのではないから、自分の思い込みが少ない。命がけではないから、ダメめだと思えばさっさと身を引ける。引け時を誤るのは、仕事上では最大の危険の一つである。・・・」

自然に関することごとと長年付き合っていると、自ずとこのような考え方に帰着するのかもしれない。私も長いこと風に吹かれているうちに、およそこの通りの仕事観・趣味観を持つに至っている。

どうしてそうなるのか・・・簡単に言うと、お金になる仕事は社会の中でするものであり、趣味を含めたお金にならない仕事は自然の中でするものだからである。そして、社会での仕事は常に人為的に作られたもので大概どこかに無理を伴い、自然はあらゆる無理を簡単には許容しないからである。

西から風が吹いている時に、自然の力を借りてまっすぐ西に進むことはできない。海の風読みならジグザグにタックを繰り返しながら少しずつ上っていくしかないし、空の風読みなら飛行速度から風速分を差し引きながらゆっくり進むしかない。

文中、養老は“命がけ”に触れ、“さっさと身を引く”と言っているが、自然相手の世界では、これはきわめて当たり前の、生き延びるために必要な基本姿勢なのだ。


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夜の散歩

2007-02-13 23:25:56 | 自然
去年の秋にロビンが亡くなって、日課になっていた夕方の散歩がなくなった。自転車でゆっくり20分の道程には、田んぼや畑や溜池や楠の林など、身近な自然と触れ合うための条件がおよそ揃っていて、ホウネンエビの不思議や夕日に輝くエノコロ草の美しさやクスノキの清冽な香りなどを初めて知ったのもこの散歩道だった。

忙しい時や気乗りのしない時などはブツブツ言いながら始める散歩ではあったが、どれだけ多くの驚きや発見をさせてくれたか・・・彼には感謝しなくてはならない。しかし、散歩するのに必ずしも連れ添いは必要ないではないか・・・こんな当たり前のことに思い至って、先日から体が欲するままに同じコースで夜の散歩を始めた。

普通に歩いて30分。ウンチやシッコで止まる必要はないし良い運動にもなる。足首の力を抜いて運びを柔らかくすると上半身も下からの振動を感じ取って気持ちが良い。脚から始まって体全体が喜んでいるのがよく分かる。体が喜ぶと精神も喜ぶ。

一部を除いて灯りはないが、ここは街中の田舎みたいなところだから街明かりの輻射が夜空を照らして暗闇にはならない。それでもよく晴れた日は2等星以上の星は難なく見ることができ、月夜の明かりは身体の芯まで届くような気がする。

今夜は、畑の角のしだれ梅から漂う甘い香りに足を止められた。近づいてよく見るとまだ5部咲きというところだが、やはり例年よりちょっと早い気がする。


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孤独と喧騒

2007-02-12 23:11:42 | 言葉
The best thinking has been done in solitude. The worst has been done in turmoil.
- Thomas A. Edison

最も良き思索は孤独の中でなされてきた。最も悪しきは喧騒の中でなされてきた。
- トーマス・エジソン

Avoid popularity if you would have peace.
- Abraham Lincoln

もし平穏を望むなら、大衆的人気を避けよ。
- エイブラハム・リンカーン

Fame and tranquility can never be bedfellows.
- MICHEL EYGUEM DE MONTAIGNE

名声と平穏は決して仲間足り得ない。
- ミシェル・ド・モンテーニュ


昨日はエジソンの、今日はリンカーンの、今月の28日はモンテーニュの誕生日だ。発明家と政治家と哲学者が似たようなことを言っているのが面白かったのでちょっと拾い出してみた。

私も一人でいてあんまり孤独を感じないタイプの人間らしく、最近はなかなか出来ないでいるが、人気(ひとけ)のない場所で何日間キャンプしても寂しくなるということはない。ますます元気になる。山間(やまあい)を抜ける風や谷川のせせらぎや浜辺の潮騒にどっぷり漬かっていると、徐々に本来の生命感覚が蘇ってきて生き返ったような気になるのだ。

逆に、それがどのような種類のものであれ、人が大勢の集団の中にいると、だんだん疲れが溜まってくる。同じような年代の社会人の多くは、この種のストレスを、街中の適当な場所で飲んだり歌ったり騒いだりすることで発散しているようだが、私にこの効果がないのは既に実証済みだ。

この性向は生来のものらしく、私は幼稚園に行くのを隣家の門柱にしがみ付いて拒否したらしいし、小中高通じて学校という小さな社会にもなかなか馴染めなかった。特に高校時代の学校嫌いは顕著で、3年間のうち三分の一つまり1年ほどは、「行ってきます!」と家を出て、そのまま街の図書館や本屋や木の下でボンヤリした時間を過ごしていた。それでもなんとか卒業できたのは、幾人かの慈悲深い恩師のおかげであることは間違いない。

ああ・・・これ書いてるうちに、またちょっと長めのキャンプに出かけたくなった。
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ハードクラッシュ

2007-02-11 23:45:00 | その他
この3年余り愛用してきたレッツノートが今日遂にハードクラッシュを起こした。昨年末に調子がおかしくなり、この正月に思い切ってOSの再インストールをして復旧したのだが、やはりハード自体にかなり深手を負っていたらしい。旅行の時もキャンプの時もどこに行くにも携行して随分手荒い使い方をしてきたから、そろそろ音を上げるのもまあ仕方あるまい。ヘビーユースのディスクの寿命は3年~5年ということだ。

しかし、このノートほど親密に付き合ったPCはない。私の感性や用法に実にしっくりとフィットしていた。いつも傍において触っているだけで何かやる気が出てくる・・・という単なる道具を超えた伴侶みたいなところがあった。こないだのブログに、私にとって自転車は近現代文明が生んだ三大傑作の一つだ・・・と書いたが、実はパソコンもその一つなのだ。(後の一つは幾つか候補があってまだ決まっていない)早速、ハードディスクの換装をするついでに40GBの容量を少しUPしてやろうと考えている。

バックアップは外付けハードにマメにとってあるから特に困ることはない。昨年の頭からフライトシミュレーターとテレビ録画用に使っていたデスクトップがものを言うことになった。実は性能的にはこちらのほうが数段上で、CPUやメモリは2倍、ハードの容量など6倍以上ある。

ところで、人生のリセットやバックアップもこんな風に気楽にできれば、人はもっと楽しく生きていけるだろうにな・・・と思ったりする。

どんな人間も等しく稀な幸運でこの世界に生まれ出てくる。その後、生まれ持った個性や生活環境の違いなどによって、人それぞれの人生模様を描いて行くわけだが、一つ一つの喜びや悲しみや成功や挫折が、消しがたい痕跡となって“人生”というハードディスクに刻まれていく。

ただ、パソコンと人間が決定的に異なるのは、人間は事実を“評価することができる”ということだ。変えようのない事実としての過去の傷や痕跡も、自分が変わればその評価、つまりその意味が変わる。これは実質的には過去が変わるに等しいだろう。自分が大きく変われば過去も大きく変わる、決定的に変われば決定的に変わる。

だから、どんなに消しがたく癒しがたいような悲痛な過去を抱えていたとしても、人間は決して希望を失う必要はないし、失ってはいけない・・・と思うのだ。
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千の風になって

2007-02-10 22:15:02 | 自然
ここのところ、しばしば良い番組に行き当たる。今夕はNHKの『千の風になって』という番組。この歌は昨年末の紅白歌合戦でも歌われたほど有名らしいのだが、私は何も知らなかった。

「千の風になって大空を吹きわたる」・・・良い歌詞だなぁ・・・風と縁の深い日々を過ごしている私には充分すぎるほど魅力的な歌だ。この歌にゆかりのある地をあちこち巡りながらレメ[トを進める女優もよろしい。最愛の父を亡くした彼女もこの歌に救われた一人なのだ。

中でも、ワシントン州ベリンガムにある先住民・ラミ族の居留地でのビルさんの『サーモン女』お話は、特に最後の部分、感動的だったので記録しておくことにする。


音声ファイル MP3 3mb

We have a story, stories told by the old people of the salmon woman.
And the salmon woman is feeling bad she was way out on the water, and she was crying...ah Whelmoch people, first nation's native American people, they didn't have any salmon any more.

So, people were starving, there was no food, so they had to go on a canoe they went way out there.
They found a salmon woman and she was crying, crying out there.
The man asked her. He said "How come you crying? Are you hungry like we are? You don't have any food?"
"No" She says "I'm OK but I don't have any place to go."
She says to him take off here his cap and dip it into the water. He did that and there was just a full of salmon, full of salmon in his canoe.
"They're some of my children. You take them"

So he invited her to come to live with them. So she went to live with them at the village up there .
One day, somebody said, " Ah, salmon again. That's all we ever eat around here salmon salmon...I'm just tired of salmon."
Salmon woman heard that...her feelings got hurt inside. So she says well it's time to go. And our people starved again.

At one time, the trees, birds, animals, fish...they were all human beings, and they were all people. That's the way our story goes. And the creator,the changer came and worked on our earth and he took human beings and he changed them into different things. They are relatives everything in life out there, at one time, even the mountains and the trees were people at one time.
We honor life, we honor death. We have to respect every thing, we have to respect every thing.

私たちには『サーモン女』という言い伝えがあります。
ある日、サーモン女は落ち込んで海の上で泣いていました。
我々の先祖(フェルモホの人々)は食料がなくて飢えていました。

そこでカヌーに乗って沖に出ると、泣いているサーモン女に会ったのです。
「どうして泣いているの?君もおなかが空いているのかい?」
女は言いました「いいえ、大丈夫。でも、私には居場所がないの」
女は男に水をすくうように言いました。

男が言われたとおりにするとカヌーは鮭でいっぱいになりました。
女は「これは私の子供たちよ、どうぞ持っていって」と言いました。
男は女に自分の家に来るように勧めました。
そうして女は村で暮らすようになったのです。

ある日誰かが言いました。
「またサケか」「サケかサケか・・・もう食べ飽きた」
彼女はそれを聞いてとても傷つきました。
彼女は村を去り、人々はまた飢えたのです。

かつて、木や、鳥も、動物や、魚もみんな人間だった。
そこに創造者が現れ、人を様々な生き物に変えていった。
だからすべては兄弟なのです。山も木も、人間だったのですから。
だから生命を敬い、死を敬います。
すべてのものに敬意を払うのです・・・すべてのものに敬意を・・・

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アインシュタイン

2007-02-10 13:48:13 | 言葉
Our task must be to free ourselves by widening our circle of compassion to embrace all living creatures and the whole of nature and its beauty.
Albert Einstein

私たちの為すべきことは、全ての生きものや大自然やその美しさの全てを抱擁する慈愛の和を広げることによって、自分自身を自由にすることである。
<Aルバート・アインシュタイン 
(March 14, 1879 April 18, 1955)



私もストレートパイプでタバコを吸うが、これは紙巻タバコを何回も止めたあげく(つまりその度に挫折し)、最後の半年禁煙の後で同じ紙巻にもどるのがあんまり癪だったのでパイプに変えただけのことで、パイプスモーカーだったアインシュタインやマーク・トゥエインの影響ではない。

しかし、このお二人の残した言葉の中に、殊に味わい深く感じるものが多いように思うのは、似たような“有用な無駄”を少しは共有しているからかもしれない・・・などと、パイプの煙でぼんやり瞑想しながら、なんも意味がない推理をしたりする。

A hundred times every day I remind myself that my inner and outer life depend on the labors of other men, living and dead, and that I must exert myself in order to give in the same measure as I have received and am still receiving.

「私の内面的外面的な生活が、その生死を問わず他の人々の労苦に拠っているということ、そして私がこれまでに受け取り、現在も受け取りつつあるものと同じだけのものを与えるために自分の生命を使わなければならない、ということ私は毎日百回は思い出す。」

・・・“毎日百回”、これはすごい。彼はそれだけ“感謝”を忘れない人だったということだろう。

A person who never made a mistake never tried anything new.

「一つも間違いを犯さなかった人間は、何も新しいことを試みなかったということだ。」

・・・前向きに生きるために避けることのできない失敗をどう評価するかで、その人の成長とことの成否が決まると言える。

A table, a chair, a bowl of fruit and a violin; what else does a man need to be happy?

「テーブル、イス、ボール一杯の果物、そしてバイオリン・・・人が幸せになるために他に何が必要だろう?」

・・・たまたまそういう時期年齢に当たったのかも知れないが、自転車に乗り始めて、人が幸せになるには余り多くのものを必要としない、ということが分かり始めたような気がしている。

All religions, arts and sciences are branches of the same tree.

「すべての宗教、件p、科学は同じ一本の樹の枝である。」

・・・“真・善・美”を連想する。この世界のあらゆる現象も、それらと向き合う人間やその他の生きものたちも、“すべてが全体として一つ”である、ということを分析的に説明することは容易ではないが、直感的には疑いようがないこの世界の実相のように思える。

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.

「常識とは18歳までに習得した偏見の集積である。」

・・・偏見とは“偏(かたよ)った見方”のことをいう。人間は一度に全ての方向からものごとを見ることはできないのだから、自分の“ものの見方”が常に或る程度の“偏見”を含んでいるということを自覚しておくことは、大きな間違いを犯さないための必要条件かもしれない。

Confusion of goals and perfection of means seems, in my opinion, to characterize our age.

「私の意見では、目的の混乱と手段の完全が我々の時代を特徴づけている。」

・・・鋭い。科学技術など、手段の世界は否応なくどこまでも進歩発展しようとする。しかし、一体どこに向かって進もうとしているのか。目的を自覚できない個人の多くが退廃への道をたどるように、目的を失った文明は荒廃せざるを得ないのではないか。
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自由に不可欠なもの

2007-02-09 12:07:25 | 言葉
Liberty is the prevention of control by others. This requires self-control and, therefore, religious and spiritual influences; education, knowledge, well-being.
- Lord Acton

自由とは他者による支配を防止することである。これには“自律”を必要とし、従って、宗教的・精神的な影響力、教育、知識、健全性が不可欠である
<Aクトン卿




アクトンについては2年ほど前に一度書いた。この若い頃の写真はどこかマヨネーズのキューピーに似ていて、私は見る度にニヤリと微笑んでしまう。これが壮年以降になるとその特徴的なあごひげと相まって、味のある峻厳な“哲人”の顔になるのだ。

40歳を超えた男は自分の顔に責任を持て・・・と言ったのは自分の貧相な顔に自信が持てずあご髭を生やしたA・リンカーンだが、アクトンは顔だけでなく究めてリベラルで博学な歴史家としての生き方に責任を貫いた良き男爵であった。
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