古典が気になる人に最良の”道案内”
『文学こそ最高の教養である』
駒井稔+「光文社古典新訳文庫」編集部
(光文社新書)
イタリアの作家であるイタロ・カルヴィーノは、須賀敦子が訳した『なぜ古典を読むのか』の中で、「おとなになってから読むと、若いときにくらべて、より多くの細部や話の段階を味わうことができる(はずだ)」と言っている。
かつて読んだ古典を再読したいと思う人、未読の古典がずっと気になっている人にとって、駒井稔+「光文社古典新訳文庫」編集部『文学こそ最高の教養である』は最良の道案内だ。
登場するのは、2006年に誕生し、すでに300冊を超える「新訳」シリーズの翻訳者14人。それぞれの訳書をベースに、作家と作品の評価から時代背景、さらに現在の私たちとのつながりまでを語っている。聞き手は創刊時の編集長だ。
たとえば、プレヴォ『マノン・レスコー』の野崎歓は、この作品を「瞬間に賭けるというフランス恋愛文学の伝統のオリジン」だとして、「文学は経験の一種です。(中略)本を読むだけでも未知の自由を体験させてくれる」と官能と情熱の世界へといざなう。
またドストエフスキー『賭博者』の亀山郁夫は、ギャンブル狂だった作者にとって「創作するときに感じる高揚感と、賭博にのめりこむときのある種の官能的な喜びみたいなもの」が表裏一体だったと指摘する。
他にも債務者監獄に入っていたデフォーの『ロビンソン・クルーソー』、訳者が「エロス三部作」の一つに挙げるトーマス・マン『ヴェネツィアに死す』など危険な教養が勢揃いだ。
(2020.09.03 週刊新潮)