碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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【書評した本】 牟田都子『文にあたる』

2022年10月05日 | 書評した本たち

 

 

「見えないところで文章を強靭にする」存在

牟田都子『文にあたる』

亜紀書房 1760円

 

本や雑誌などの出版物は、執筆者が書いた原稿がそのまま印刷されるわけではない。校正という作業を経るのが一般的だ。校正とは、『広辞苑』によれば「校正刷りを原稿と引き合わせて、文字の誤りや不備を調べ正すこと」である。校正刷はゲラとも呼ばれる印刷物だ。

執筆者は編集者と顔を合わせることはあるが、校正者と直接向き合うことはほぼない。原稿に対する様々な指摘が書き込まれたゲラを通じてのコミュニケーションとなる。

近年は校正者が主人公の小説が刊行されたり、テレビドラマになったりしたが、この仕事の実態が広く知られているとは言えない。その意味で、校正の第一人者が自身の体験や想いを綴った本書は、本好きや活字好きの興味に応える貴重な一冊だ。

著者の場合、一通のゲラを最低3回は読む。文字や言葉を見る「素読み」。次に固有名詞や数字、事実の確認をする「調べもの」。最後が「通し読み」だ。

執筆者のミスを正すのではなく、「事実としては、こうではありませんか」と確認する形でゲラに書き込んでいく。その指摘を採る、採らないは編集者と執筆者次第。たとえ採られなくても、費やした時間が「見えないところで文章を強靭にする」というのが持論だ。

また、文芸書の校正には独特の難しさがある。一見誤っているかのような言葉遣いや表現の中に、作者の隠された意図があるかもしれないからだ。

校正には必ず「正解」があるとは限らず、校正者が違えば指摘の中身も異なってくる。書き手は「もっと自分の言葉に頑固であっていい。譲らなくていい」のであり、校正は「絶対ではない」と言い切る。

どこまでを「校正の範囲」とするか、著者は常に自問している。本書で問いや迷いが何度も吐露されるのは、真摯な取り組みをしているからこそだろう。校正者に救われているのは執筆者だけではない。その本を読む現在と未来の読者も同様だ。

(週刊新潮 2022.10.06号)