読書という「対話」
今年3月3日、作家の大江健三郎が88歳で亡くなった。大学在学中、『飼育』により23歳で史上最年少の芥川賞作家となったのは昭和33年だ。以来、60年以上も文学の最前線に立ち続けてきた。
ETV特集『個人的な大江健三郎』(NHK)が放送されたのは11月11日だ。大江作品やその人生について、様々な分野の8人が語る番組だった。
たとえば歌手のスガシカオは、将来に迷っていた時代に「自分を巨大なエネルギーが通り抜けていった」ような衝撃を受けたとして、『芽むしり仔撃ち』を挙げる。
太平洋戦争末期、集団疎開した感化院の少年たちが、疾病の流行によって山村に閉じ込められる物語だ。社会的に疎外された人間の実相が描かれていた。
また『この世界の片隅に』などの漫画家・こうの史代は、大江の『ヒロシマ・ノート』がなかったら、原爆や広島をテーマにした作品を描かなかったと語る。
「絶望的な状況に陥ったとしても、悲観し続けることでも、楽観視しようと努めることでもなく、冷静に現実を見つめながら、それでも希望を捨てないこと」を大江から学んだ。
そして、特に強い印象を残したのが作家・中村文則の話だ。自分が窒息しそうなほど悩んでいた時期に読んだのが、脳に障がいのある長男をモチーフに大江が書いた小説『個人的な体験』だった。
大江はこの息子と暮らすことで「人々の悪意」に触れ、同時に「他者の善意」にも触れたのではないか。だからこそ、大江の小説は「どんなにしんどい話でも希望が見えた」と中村は言いきる。
この番組に登場した人たちに共通するのは、その「読書」体験が、大江との「対話」体験になっていることだ。読書という対話である。
今年10月に出版された大江の『親密な手紙』にも、恩師の渡辺一夫をはじめ、大岡昇平、林達夫、井上ひさしなど、大江が影響を受けた人物と作品が並んでいる。
大江は彼らの亡き後も読書による「対話」を続けてきた。書物は自分に苦境を乗り越える力を与えてくれる、親密な手紙だったのだ。
優れたドキュメンタリーもまた、見る側にとっての”親密な手紙”になる得るのではないか。そんなことを思わせる、見応えのある1本だった。
(しんぶん赤旗「波動」2023.11.30)