朝、自転車に乗って出かけようとすると空気が抜けていて、車で空気入れ買いに行って
自転車で通勤・・・って思ったら、それでも駄目で、結局歩いて自転車屋さんに。
けれど、折角出足につまずいたので、つまずきついでに車に乗って、ある所へ出かけた。
ある所とは、実家の近くのポニ-ランド。
ここん所、そんな事も無くひたすら自分の事ばかりだったし、気分を変えるにも良いって
思った・・・
弟子達のかぐやとも-が偶然にも羽のある馬をデッサンしている。
何かのヒントになればいいとも思ったし、俺自身の指導としての参考にもとね。

んでまずはかぐやから。


非常についていたのは、運動中だった事。やっぱり動きが無いと意味が無い。
生き物を作るのに、動かないって言うのは臨場感や、迫力、・・・何をほざいても
リアルには近づけない。それでは見てもらおう。
さて写真家じゃないからブレは勘弁ね。3枚は同じ位置から取ったモノ。
何か違いを感じる事は無いか? 角度が違うと首や表情その他が全く持って異なって
見えはしないか? 特に気になるのは首。
頭を下げた時の首、頭を上げた首、胸を張った時の首・・・・それぞれが違う。
同じコ-スを同じように走っているのに、1周ごとに変わってくる。
そんな事を踏まえてかぐやのブログを見て欲しい。上手い下手では無い。不自然さ。
一体かぐやは何がしたいのだろう・・・・?
リアルなのか?デフォルメなのか?生き物の命と言える眼を可愛くかぐやらしく描いてある。ここですでにデフォルメになろうとしている。
なら都合良く変化させるべきだと思う。つまりアニメチックの方向だ。
例えば、少女漫画家の描いたと思われる馬を想像して欲しい・・・こんなに首は太くない
むしろ少し痩せ気味で、それでいて走ったら早そうな感じにね。たくましいでは無くて
素早そうとかにね。
だから本物より細身に変えて行く。眼に合わせてね。
そしてその下絵に細かく切ってリアル感を出す。これが融合ってモノ。
俺が作るなら、少し太めであっても、羽を大きくする事で、力士を乗せても力強く羽ばたくように筋骨隆々にする。リアルならね。
イメ-ジとはこうやって1つ1つ思い描くモノに近づける行為。かぐやはこんなに長く
やった事が無いのでアップアップ。
ではも-。夕方、下絵を持って来た。これで3回目かなぁ・・・?見るの。
今回はオッケ-を出した。

2人ともまず羽が小さく飛べたモンじゃなかった。おいおいペンギンか?ド-ド-鳥か?ってね。まずはそれを是正させた。
まず大きさ。も-は小さかったから。そして羽とね・・・・
するとも-は馬は残して羽を変えた。俺もそれが良いと思った。
今度はその後、細かなバランスを注意した。それは両足をそろえるな・・・だった。
またイメ-ジ。馬が走ってる時の音。 タカタン。 スタッカ-トが入っている。
つまりバラバラに足を蹴る。って事は動きを付けるなら、左右対称で無い方が良い。
しかし人は、左右対称が好き。そこでこれもイメ-ジだが、やじろべえをイメ-ジして
この絵を描け。と言った。それがバランス。
すると片足だけが地に付く。前足に動きがあるのだから、後ろ足が片足になると、
離着陸している姿になると思ったからだ。案の定動きが出た。
そして今日、も-さぁほぼ完璧なんだけれどさぁ、若いのと年寄りどっちがいい?って
言うとポカンとした顔しているから、左のおしり下がっているよ・・・・って言った。
3mmから5mm上げては駄目か? って隠してやると・・・・にこぉぉぉって笑って
10mm上げて下さいだとさ。あはははは。やり過ぎぃぃ。
これについては任せてくれるらしいから、明日下地を切る。
じゃかぐやね。ありゃ瞑想しているね。そりゃそうだわ。弟子がお題がかぶって、
なおかつ、先輩だわ、絵が苦手だわ、も-のは見れないのに、完成でも無いデッサンを
ブログに載せろと言われるは・・・・過酷だろうなっ。
しかしあいつは、弟子のトップとしてやってもらわなければならない。
先輩なら、追われる怖さや不安を大いに経験し、大いに困ってくれ。
確かに美術、芸術は勝ち負けじゃない。それは俺も認める。しかし俺の描く団体での美術はそんなに甘く無い。つまり、切る張るだけは平等にみんなでやる。
しかし、今回のようにお題がかぶれば、選ばれる絵としての勝ち負けはある。
勿論それはシュチュ-エ-ションや、お客さんに選ばれる事になる。
その場合、俺を含めてみんながライバルなのだ。
勿論、場合によっちゃ構想だけはっきりしてくれれば、俺が手直しして使う事もあろう。
そう構想さえしっかりしていてくれれば・・・・
今のかぐやに必要な事。 遠いハンデはしょっている。ばかちぃぃぃぃん。
こっちは師匠として想像力で拾い屋。伝える気力さえあれば何の問題も無いはずだ。
どうしてもやりたい事をまとめれば、どうしてもやりたいんだって気迫で伝えれば、
俺が何とかする。己自身が見つけられないのなら、相手には何も伝わらない。
しっかり困れ。一緒に見ててやるから・・・・
そもそも2人に言いたい。一体何を作っているんだ?それは・・・・
その羽のある馬は己自身なんじゃないのか?作品は永遠に残るモノなんだぞ。
お前らが死んだ時に、それが残れば母親が一生懸命にやっていたモザイクとして、
仏壇に飾られるかも知れない・・・そんなものになるかも知れないとは思わないか?
辞めない・・・と約束したのだから、その権利があるはずだ。
俺はいつも眼のあるモノは、そういう気持ちで作っている。何故なら生き物は全て死ぬ。
人間よりも先にね。 生きている時は、それはそれでいい。
でも、その生き物が死んだら、心の弱い人はそれを封印するかも知れない・・・・
もしかすると、そんな作品になるかも知れないのだ。
感受性が豊か・・・良い時は繊細といい、悪い時はウザイ、キモイ・・・
誠に勝手でよろしいと思う・・・・人はそんなもんなのだから・・・・
俺はいずれにせよ、メッセ-ジの無い作品なら、作るつもりは無い。
テレチャンの優勝した時の挨拶は、俺の気持ちを伝えるモノ・・・と答えたのだから。
なら一緒にやると名乗った奴は、それに従ってもらう。これは遊びじゃない。
生きがいや夢を乗せた、俺の俺達の夢なのだから・・・・
いつか世界遺産を一緒に作ろう・・・って壮大なプロジェクトの・・・・
自転車で通勤・・・って思ったら、それでも駄目で、結局歩いて自転車屋さんに。
けれど、折角出足につまずいたので、つまずきついでに車に乗って、ある所へ出かけた。
ある所とは、実家の近くのポニ-ランド。
ここん所、そんな事も無くひたすら自分の事ばかりだったし、気分を変えるにも良いって
思った・・・
弟子達のかぐやとも-が偶然にも羽のある馬をデッサンしている。
何かのヒントになればいいとも思ったし、俺自身の指導としての参考にもとね。

んでまずはかぐやから。


非常についていたのは、運動中だった事。やっぱり動きが無いと意味が無い。
生き物を作るのに、動かないって言うのは臨場感や、迫力、・・・何をほざいても
リアルには近づけない。それでは見てもらおう。
さて写真家じゃないからブレは勘弁ね。3枚は同じ位置から取ったモノ。
何か違いを感じる事は無いか? 角度が違うと首や表情その他が全く持って異なって
見えはしないか? 特に気になるのは首。
頭を下げた時の首、頭を上げた首、胸を張った時の首・・・・それぞれが違う。
同じコ-スを同じように走っているのに、1周ごとに変わってくる。
そんな事を踏まえてかぐやのブログを見て欲しい。上手い下手では無い。不自然さ。
一体かぐやは何がしたいのだろう・・・・?
リアルなのか?デフォルメなのか?生き物の命と言える眼を可愛くかぐやらしく描いてある。ここですでにデフォルメになろうとしている。
なら都合良く変化させるべきだと思う。つまりアニメチックの方向だ。
例えば、少女漫画家の描いたと思われる馬を想像して欲しい・・・こんなに首は太くない
むしろ少し痩せ気味で、それでいて走ったら早そうな感じにね。たくましいでは無くて
素早そうとかにね。
だから本物より細身に変えて行く。眼に合わせてね。
そしてその下絵に細かく切ってリアル感を出す。これが融合ってモノ。
俺が作るなら、少し太めであっても、羽を大きくする事で、力士を乗せても力強く羽ばたくように筋骨隆々にする。リアルならね。
イメ-ジとはこうやって1つ1つ思い描くモノに近づける行為。かぐやはこんなに長く
やった事が無いのでアップアップ。
ではも-。夕方、下絵を持って来た。これで3回目かなぁ・・・?見るの。
今回はオッケ-を出した。

2人ともまず羽が小さく飛べたモンじゃなかった。おいおいペンギンか?ド-ド-鳥か?ってね。まずはそれを是正させた。
まず大きさ。も-は小さかったから。そして羽とね・・・・
するとも-は馬は残して羽を変えた。俺もそれが良いと思った。
今度はその後、細かなバランスを注意した。それは両足をそろえるな・・・だった。
またイメ-ジ。馬が走ってる時の音。 タカタン。 スタッカ-トが入っている。
つまりバラバラに足を蹴る。って事は動きを付けるなら、左右対称で無い方が良い。
しかし人は、左右対称が好き。そこでこれもイメ-ジだが、やじろべえをイメ-ジして
この絵を描け。と言った。それがバランス。
すると片足だけが地に付く。前足に動きがあるのだから、後ろ足が片足になると、
離着陸している姿になると思ったからだ。案の定動きが出た。
そして今日、も-さぁほぼ完璧なんだけれどさぁ、若いのと年寄りどっちがいい?って
言うとポカンとした顔しているから、左のおしり下がっているよ・・・・って言った。
3mmから5mm上げては駄目か? って隠してやると・・・・にこぉぉぉって笑って
10mm上げて下さいだとさ。あはははは。やり過ぎぃぃ。
これについては任せてくれるらしいから、明日下地を切る。
じゃかぐやね。ありゃ瞑想しているね。そりゃそうだわ。弟子がお題がかぶって、
なおかつ、先輩だわ、絵が苦手だわ、も-のは見れないのに、完成でも無いデッサンを
ブログに載せろと言われるは・・・・過酷だろうなっ。
しかしあいつは、弟子のトップとしてやってもらわなければならない。
先輩なら、追われる怖さや不安を大いに経験し、大いに困ってくれ。
確かに美術、芸術は勝ち負けじゃない。それは俺も認める。しかし俺の描く団体での美術はそんなに甘く無い。つまり、切る張るだけは平等にみんなでやる。
しかし、今回のようにお題がかぶれば、選ばれる絵としての勝ち負けはある。
勿論それはシュチュ-エ-ションや、お客さんに選ばれる事になる。
その場合、俺を含めてみんながライバルなのだ。
勿論、場合によっちゃ構想だけはっきりしてくれれば、俺が手直しして使う事もあろう。
そう構想さえしっかりしていてくれれば・・・・
今のかぐやに必要な事。 遠いハンデはしょっている。ばかちぃぃぃぃん。
こっちは師匠として想像力で拾い屋。伝える気力さえあれば何の問題も無いはずだ。
どうしてもやりたい事をまとめれば、どうしてもやりたいんだって気迫で伝えれば、
俺が何とかする。己自身が見つけられないのなら、相手には何も伝わらない。
しっかり困れ。一緒に見ててやるから・・・・
そもそも2人に言いたい。一体何を作っているんだ?それは・・・・
その羽のある馬は己自身なんじゃないのか?作品は永遠に残るモノなんだぞ。
お前らが死んだ時に、それが残れば母親が一生懸命にやっていたモザイクとして、
仏壇に飾られるかも知れない・・・そんなものになるかも知れないとは思わないか?
辞めない・・・と約束したのだから、その権利があるはずだ。
俺はいつも眼のあるモノは、そういう気持ちで作っている。何故なら生き物は全て死ぬ。
人間よりも先にね。 生きている時は、それはそれでいい。
でも、その生き物が死んだら、心の弱い人はそれを封印するかも知れない・・・・
もしかすると、そんな作品になるかも知れないのだ。
感受性が豊か・・・良い時は繊細といい、悪い時はウザイ、キモイ・・・
誠に勝手でよろしいと思う・・・・人はそんなもんなのだから・・・・
俺はいずれにせよ、メッセ-ジの無い作品なら、作るつもりは無い。
テレチャンの優勝した時の挨拶は、俺の気持ちを伝えるモノ・・・と答えたのだから。
なら一緒にやると名乗った奴は、それに従ってもらう。これは遊びじゃない。
生きがいや夢を乗せた、俺の俺達の夢なのだから・・・・
いつか世界遺産を一緒に作ろう・・・って壮大なプロジェクトの・・・・