katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピ-タ-さんとオ-ドリ-教室・・・・と・・・・

2012-06-17 08:17:13 | モザイク教室
まずは午前中はリピ-タ-さんから。以前トカゲを作った人なのね・・・。
それでは今日は?となって、メ-ルでは言葉として、青い海と青い空、そして白い建物

・・・そんな景色を作って飾りたい・・・それが無理なら他を考える・・・
そこでまずこんな話から始まる・・・。

まずそれをぺきぺきでやるには、相当な腕が無いと色数が無い以上、青と白のみで作る
ような絵は難し過ぎるし、時間とお金を使って結果が満足に得られない・・・こんな事に

なる可能性が高過ぎるので今は無理・・・そう言わざるおえなかった。
そもそもオ-ドリ-のように毎週来るって言うのなら、自宅でも相当やると言うのなら、

多少進み具合や道具等、その他の慣れって言うものも出て来るだろうが、
因数分解とかやってみたいんですよねぇ・・・けど九九も満足に言えないんですけど・・

こんな感じじゃない?ステップアップするには基礎が必要だから、反復練習して貰わないと・・・・ね、家を自分で作りたいんですけど・・・・のこぎりって何ですか?とか、

そんな話と同じようには思って貰えない・・・まずは何をするにしてもモノ作りは道具を
自由自在に使える事が基本。知識はル-ルを憶えた上でが基本。こう言う基礎の上に

成り立つ。そう言う前提であれば、まずは道具に慣れる事と慣れる為に犠牲にして行く
作品が必要になる。まっ医療に付き物の実験だね・・・。モルモット作品。

ただ医療には何万と失敗が付き物だから死体の山になる・・がしかし、モノ作りも死体は
無くとも、タイルやボンド・・・下書きの紙・・・何でもそんな山の上に上手いって行為

が成り立っている訳で。そうなると大き過ぎる作品をいきなりって言うのは、モルモット
と言うよりもカピパラって大きさになる訳で・・・失敗は許されない。

何しろ始末が・・・。ね・・・。そうならないようにするには段階を経てとなる。
それといかに今の生活を改善するか?いつもと同じで何も変えずに・・・では、

結果が出るには果てしなさ過ぎる訳で。そうなると結果を焦るが余りに質を落として
進むか、それに耐えられず諦めるか、そんな結果が多い。

勿論それでも終わった時に後悔なんかして・・・それをバネに続けるなんてのもあるし
目的を果たしたので結果はともかく終了・・・なんて事もある。

いずれにせよいきなり進級のような話よりも、堅実に出来る事で腕を上げて、
やりたい事に近づける・・・本来それが本当の近道であって、それとて果てしない。

所詮時間の短縮って言うのは楽になるだけ。まずそれだけの事に耐えられた自分を
作る事によって大作は質を落とさず作りるもので、時間が掛かる事に慣れるって言うのも

基本な訳で。今回の場合も定期的に来る事は出来ないし、自宅でも出来るかどうか?
と言う話では、そうそう大きな作品は無理だし、先生サイドとしては、大きさ的には

30cm程度。それ位なら忘れた頃に来たとしても、暇が出来た頃に自宅でやれば、
数回で結果が出る。するとそんな事も踏まえた下絵がこの花だったのね。

これは別に悪く無い。こうしてやれるのだから。しかし最初は15cmくらい・・・
いや18cm・・・では20cmで・・・・と大きくして貰ったのだけれど、

さっきの景色では60cmくらいの大きさだったものが、この鏡だと15cmが・・・と
小さくなる。しかも考え方はモザイク前提では無く、インテリアとしての大きさ。

つまりここに飾る絵はこの大きさ、ここに飾る鏡はこの大きさ。と大きさから入る。
実はそれが作れますか?だから、逆で本当に欲しいのなら、これを作るには

どの程度の大きさなら私は作れますか?って質問になる。そしてその大きさが許容範囲
をほぼ越えた大きい作品になる・・・ここに耐えても欲しいかどうか?となる。

そもそも考え方の問題。例えばジグソ-パズルをするのが好きなのか?それとも、
作り終えた絵が飾りたいだけなのか?もっと言えば作りたくなくて、出来合い無い?

そもそもモノ作りの教室であって鏡がメインでは無くてモザイクがメイン。
だから考え方としては、どうしてもそれが作りたい・・・だから大きさは辞さない。

当然、時間も・・・そんな覚悟が必要で、小さければ早く終わるって言うのも、
単なる錯覚のようなもので、全く間違った考え方なのである。

だから上手くなる為の作品であって、出来た作品がまずまずならラッキ-なのね。
だって練習らしきものは体験の1回のみなのだから・・・・

まして模写では、似ているか?似ていないか?のみ。となると、パソコンでドットア-ト
にした方が、似ている作品になると思われる。そのプログラミングさえ出来れば、

後は並べるだけで誰でも似ているものが作れる。しかしタイルを切って作るとなると、
自由自在に切れる前提で小さくも作れるかも知れない・・・になる。

そもそもドットア-トは1cmタイルを沢山並べて作るのだから、数を少なくやると
お粗末に簡素化してしまうのが欠点。つまり大きい壁などで沢山のタイルを使うと

まるで本物のように見える・・・つまりある程度って言う適度な大きさが必要になる。
それがハンドカットの仕上がりの場合、切れる前提で小さな作品も作れるが、

それとて同じで、切ったと言う必然の形なら作ったって言う仕上がりになるが、
ゴミにも見えるただ割れたの繰り返しでは、美しさを語る前に、良く出来たね・・・が

やっと。それが満足な結果ならともかく、そうにはならない事が多い・・・。
しかも結果から言えば、前回のトカゲは完成したが、今回はペキペキであっても、

例え小さくしても、考え方として続けるって言うのなら、別だけれど何しろ理想を
作りたいと思ったら、それ相応の覚悟は必要になる。

そもそも通常は先生が弱者救済、つまりサンプルを用意し、それを真似する事で
多きなる失敗をしないように・・・これを数回やると、そこそこの仕上がりの作品が

得られる事にはなる。がしかし、その先・・・問題はここにある。
何回作ってもそれ以上の作品にはならない・・・何故なら無理が無いから。

そこそこ止まりになるから。限界を見ないから。でも別に強制もしないのね。
何故なら辛い事は一番俺が判るから・・・俺しか知らない事だから。

とんでもない事を考えたり、時間が無かったりすれば・・・いつ終わるか判らないから。

まっ、どう考えるか?なのね。つまりサンプル教室をし続けて、その上にオリジナルを
自宅で作るのなら、自分の作りたいものへ・・・と言う事もあるかも知れ無いが、

教室内ではほぼ無理だろう。がしかし、ここは最初からオリジナル。
サンプルが無い以上、やりたい事さえあればすぐに届いてしまう事もある。がしかし、

大きく欲張った事をしようとした瞬間、明らかに実力の無さを知る事になる
つまりやりたい事と出来る事は違う・・・当たり前の事なんだけれど・・・・。

何でも出来るって訳では無い。出来る可能性があるかも・・・なのだ。
ただ目指すものがあれば、それに向かう指導はあっても、期間や時間が決まって

いるような場合は、ほぼ特訓・・・やんなきゃ終わらないからやれ・・・的指導。
それに着いて来れれば、恐らく何とかなるだろうけれど、それをも超越するような

無理難題だったりした時に、もっと時間を作ってやれば、それでも意外と届くし、
それが大作で無ければ、時が経ってもそんなに実力は変らないので、仕上がりも同じ。

しかし小学1年が4年になってやろうとすると、もうその作品に向き合うすべが無い。
もう色々な事が成長していて、あの時の自分では無い・・・。

けれどこれが大人の場合、腕は1.2年じゃ何も変わらないし、変わってしまうのは、
モチ-フだったものが時代遅れになっていて、テンションが上がらない・・・ってな事。

勿論、その時の勢いなんてのも欠如するのもある。そんな事があるので、最初は
体験で1回終了で、お試しをしてその後に数回で終わるものにして、いよいよ半年なんて

事をすると、作るモノにバリエ-ションが出来る。簡単に言えば、コ-スタ-が
鍋しきになってテ-ブルになる・・・そんな感じ。

ただ半年って言っても、1ヶ月に1回しかモザイクをしなければ6回。
そうなると、中々そう簡単には終わらない・・・こんな事が起こるだろう・・・と

こんな事を気分良く、気分を壊さず伝えるのは非常に大変だし、そもそもはい・・・と
二つ返事になるような人はオリジナルなんて作ろうとは思わず、サンプルを黙って

作っているだろう・・・何も疑う事無く、何も考えず・・・。
だから、こんな事が何度と無く繰り返されるのが、俺の教室では当たり前だろうが、

それをきちんと伝わり、きちんと自分のやりたい所へ連れて行く指導って言うのが
手に入る・・・・それは本当に果てしない・・・何しろ結果が出るまでが長くなるから。

そこまでたどり着ける人って言う人だけが、真のオリジナルを手にして、本当の
作る喜びに出会えるのだけれど・・・・。

そんな事を何度と無く経験して弟子となったオ-ドリ-も途中同席したが、


この程度が遊びとして、悩まずこなせるようになる。何故なら答えは簡単。
そもそもデザインがオリジナルでは無いから。

すでに切る、張る、を教えるような事は無くなったし、特にそこを教える事は無い。
ならば何が必要とされるか?それがオリジナルを作る為の相談。

そして具体的になるまで連れて行った後の下地作り。これはそうそう誰でもやって
くれるものでは無いし、そんな事すべてが俺の教室なんだけれど・・・・

中々難しいのね・・・ここまで育てるのは・・・・そんな中・・・・あっ・・・・
福の神。何とも有難いのね・・・・後光でも射してんじゃないのぉぉって・・・・

さくらがやって来た。あははははは。とても疲れてらっしゃる。けれど、ここまで
こうしてやって来るのだから、まずまずなのね。

何とも嬉しい限りである。弟子が2人も揃うと、いるだけでも有難いし心強い。
しかも先日頂いたタイルの使い道なんかを一緒に考えたりもしてくれて・・・・

いつかこんな事がしたかったのね・・・・ただ残念ながらもう1人の弟子のかぐやは
引越しなんかがあったりして、アップアップらしいが・・・・。

いずれここをいっぱいにして、そんな事を一緒にやってみたいものである。
とは言うものの、さくらが来たのはとても有難たかったのね。

何しろこうしてフラッと来るほど健康な人じゃないし、良くここまで来たのね・・・・
しかもここに来るって言うのは、元気で余裕があるか、具合悪くやっとの事、来たか?

いずれにせよ、満面な笑顔ってだけでは無く、お互いに何も言わなくてもほぼ判るので
説明はいらない。たださくらはブログを見ていて俺の事は判るだろうから、

自分を語れば良いだけ。時間内に必要な事だけ・・・・恐らく5分もいらない話をすれば
何らかの答えは出るだろうから・・・。

ただ今日、さくらを引き止めたのは、オ-ドリ-だったから、何ともお手柄だったのね。
今度はお教室で会いたいものなのね・・・・。






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