午前中はタピオカがやって来て、ペ-パ-掛けから始まって、輪郭周りのタイルを張った。
これがやった人だとすぐに判るんだけれど、黒のクロ-バ-のタイルを2箇所切って、
ハ-トにしたり、丸いタイルを半分に切ったり、一見簡単そうに見える仕込みも、
中々はかどらなかったりもする・・・・ピッタリ半分にならなかったりしてね・・・
こんな事は同じ事を何度も出来る下地なんて言うのは、良い練習になるのね。
それが自分の作品だけでは、中々ね・・・・1回きりでは慣れる前に終わってしまう。
ただ経験値としては、縁取りってそう簡単では無かった・・・と思い出せば、
注意して、意識してやるようになるから、油断はしなくなる。
こんな事1つ出来るようになるだけで、簡単だ、楽だ・・・って思わないだけでも、
全然違って来るものなのね。こう言う地味な事は、送りバントの練習のようなもので、
ほぼきちんと張る、きちんと切る・・・って基本中の基本なのね。
これは何度もやる事が大事なのね・・・・何度も。それをただやるのでは無く、
きちんと意識して・・・この意識が大事になる。ただそう思えるだけで、タピオカなら
そもそもが丁寧だから、考え方としては、新しい事が入って来ても、経験値を上げて、
そもそもの丁寧に繋げて行けば、大きく外さない。新しい事は上手く行かなくて当然で、
例え基本であれ、経験値が少ないのだから、上手く行かなくても良い訳で、
こんな事は出来る・・・と始まれば、思うように行かなかった場合、ダメ-ジになる。
要するに慣れるのは手作業としての手先であって、心が慣れると雑になる。
まっ、人との付き合いなんてのも同じようなもので、良い事と悪い事は背中合わせって
良く口にするが、慣れなんてのも同じで、結局、慣れによって良い事があって、
慣れによって悪い事がある・・・チャンスの後にピンチありとかの比喩も同じで、
理由はそこにある。いかに手に入れられたものを上手く活用出来るか?になる。
それをきちんと使いこなせると、それがもしかしたらベテランになる事なのかも知れない
・・・・なんて事で、この後のさくらにも言える前フリとして、ここでおしまい。
そんな中、ひと休みぃぃぃって事で、この暑さ・・・・って言えば・・・・・
初めてガリガリ君で当たったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
ってそんな中、さくら教室。
やっぱり右手が思うように動かない・・・それでも慣れているだけに右手に頼る・・・・
そこで右手を捨てようかっ・・・って話をする。
慣れで今、左手でやるより結果が出ても、その内に痛くて出来なくなる・・・
結局衰退が待っているのなら・・・・発展的な話を取ろうかっ・・・って。
つまり衰退する右手よりも、可能性の左に掛けた方が続けるに当たって都合が良い。
しかも、右手も無理しない事で負担は減る。つまり休ませる事も出来る。
要するに、昔ぎっちょ・・・なんて左手が利き腕の人を差別したような時代は、
親が強制して直した・・・って事は、俺がさくらは左で行く・・・って直す事にする。
昔は、さくらが病気って事もあって、何でも自由にさせた・・・つまりやり続ける事で、
経験値は上がるし、今は慣れる事・・・ってね。
しかし、今のように右手は頑張っても上手くなるってよりも、痛くて無理している・・・
って言うのなら、あえて無理せず、痛みの回避をする。
ただ体の痛みは回避は出来ても、折角上手くなった右を捨てるって言うのは、折角・・・
なのである。折角少しは上手くなってたのに・・・・ってね。
ただそれはすがるって意味でもある訳で・・・さくららしくない。
捨てろっ、捨てろっ・・・ポンコツなんだから。良かった、見切りが付けやすい。
って事によって、捨てさえすれば、今度はまともな左手。みんなと一緒。
つまり経験値を持った初心者って事になる・・・・ほらほら、良く聞くあれよあれ。
えっと・・・今の経験値を持ってして、昔に戻れたら・・・?ってあの間抜けな質問。
ほら同じでしょ?こんな事があの質問なのね。
ただの初心者じゃない。つまりさくらの場合、プライド・・・心の問題。
続けられる事が大事って考えられれば、続けられる幸せって考える事が出来たのなら、
確実に心が変われる。それによって必ず進歩する。心さえ何とかなれば継続は力なり。
それはさくらにとって一番得意な事。ただ続けるに当たって喜びや支えが欲しくなる。
それがさくらにとって、上手くなった・・・と自分自身が思える事・・つまりプライド。
こんなつまらんものを捨てる事。これが出来れば、左手で1から始めるんだ・・・・
まだ続けられる・・・って思えれば、みんなと同じのまともな左手。基本から忠実に
教える事が出来る。だから、左手はいつかみんなと一緒になる。
ただ今度は右手で細かいタイルを持たなければならない・・・・。これが病気と向き合う
・・・って姿勢な訳で。でもね、右手で切れば、切った衝撃で痛い・・・・けれど、
持つだけなら、痛くは無い。痛いのは持った感覚が無い・・・また右手かよっ・・・って
気持の問題になる・・・・。ただまだこれで左にして3回目。経験値は浅い・・・・
必ず良い事はある。悪い事だけでは無い。それをしっかり何が都合が良くて、何が悪いか?って考えられれば、そのダメ-ジと向き合える強ささえ身に付ければ、
それによって手に入れられる良い事もあるはずである。何しろ大事なのは、
続けられる事であって、ポンコツな右手が動かなくなるまでに・・・1つでも作品を
作り続ける・・・なんて、戦で突っ込むだけの戦法にも思える。
まずは立て直して、どう戦うか?と戦略を立てる事。がむしゃらにやれば良いでは、
結果が思うように付いて来るとは思えない。後は信じる者は救われるなのか?
触らぬ神に祟りなしなのかは?本人の問題になる。
これがやった人だとすぐに判るんだけれど、黒のクロ-バ-のタイルを2箇所切って、
ハ-トにしたり、丸いタイルを半分に切ったり、一見簡単そうに見える仕込みも、
中々はかどらなかったりもする・・・・ピッタリ半分にならなかったりしてね・・・
こんな事は同じ事を何度も出来る下地なんて言うのは、良い練習になるのね。
それが自分の作品だけでは、中々ね・・・・1回きりでは慣れる前に終わってしまう。
ただ経験値としては、縁取りってそう簡単では無かった・・・と思い出せば、
注意して、意識してやるようになるから、油断はしなくなる。
こんな事1つ出来るようになるだけで、簡単だ、楽だ・・・って思わないだけでも、
全然違って来るものなのね。こう言う地味な事は、送りバントの練習のようなもので、
ほぼきちんと張る、きちんと切る・・・って基本中の基本なのね。
これは何度もやる事が大事なのね・・・・何度も。それをただやるのでは無く、
きちんと意識して・・・この意識が大事になる。ただそう思えるだけで、タピオカなら
そもそもが丁寧だから、考え方としては、新しい事が入って来ても、経験値を上げて、
そもそもの丁寧に繋げて行けば、大きく外さない。新しい事は上手く行かなくて当然で、
例え基本であれ、経験値が少ないのだから、上手く行かなくても良い訳で、
こんな事は出来る・・・と始まれば、思うように行かなかった場合、ダメ-ジになる。
要するに慣れるのは手作業としての手先であって、心が慣れると雑になる。
まっ、人との付き合いなんてのも同じようなもので、良い事と悪い事は背中合わせって
良く口にするが、慣れなんてのも同じで、結局、慣れによって良い事があって、
慣れによって悪い事がある・・・チャンスの後にピンチありとかの比喩も同じで、
理由はそこにある。いかに手に入れられたものを上手く活用出来るか?になる。
それをきちんと使いこなせると、それがもしかしたらベテランになる事なのかも知れない
・・・・なんて事で、この後のさくらにも言える前フリとして、ここでおしまい。
そんな中、ひと休みぃぃぃって事で、この暑さ・・・・って言えば・・・・・
初めてガリガリ君で当たったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
ってそんな中、さくら教室。
やっぱり右手が思うように動かない・・・それでも慣れているだけに右手に頼る・・・・
そこで右手を捨てようかっ・・・って話をする。
慣れで今、左手でやるより結果が出ても、その内に痛くて出来なくなる・・・
結局衰退が待っているのなら・・・・発展的な話を取ろうかっ・・・って。
つまり衰退する右手よりも、可能性の左に掛けた方が続けるに当たって都合が良い。
しかも、右手も無理しない事で負担は減る。つまり休ませる事も出来る。
要するに、昔ぎっちょ・・・なんて左手が利き腕の人を差別したような時代は、
親が強制して直した・・・って事は、俺がさくらは左で行く・・・って直す事にする。
昔は、さくらが病気って事もあって、何でも自由にさせた・・・つまりやり続ける事で、
経験値は上がるし、今は慣れる事・・・ってね。
しかし、今のように右手は頑張っても上手くなるってよりも、痛くて無理している・・・
って言うのなら、あえて無理せず、痛みの回避をする。
ただ体の痛みは回避は出来ても、折角上手くなった右を捨てるって言うのは、折角・・・
なのである。折角少しは上手くなってたのに・・・・ってね。
ただそれはすがるって意味でもある訳で・・・さくららしくない。
捨てろっ、捨てろっ・・・ポンコツなんだから。良かった、見切りが付けやすい。
って事によって、捨てさえすれば、今度はまともな左手。みんなと一緒。
つまり経験値を持った初心者って事になる・・・・ほらほら、良く聞くあれよあれ。
えっと・・・今の経験値を持ってして、昔に戻れたら・・・?ってあの間抜けな質問。
ほら同じでしょ?こんな事があの質問なのね。
ただの初心者じゃない。つまりさくらの場合、プライド・・・心の問題。
続けられる事が大事って考えられれば、続けられる幸せって考える事が出来たのなら、
確実に心が変われる。それによって必ず進歩する。心さえ何とかなれば継続は力なり。
それはさくらにとって一番得意な事。ただ続けるに当たって喜びや支えが欲しくなる。
それがさくらにとって、上手くなった・・・と自分自身が思える事・・つまりプライド。
こんなつまらんものを捨てる事。これが出来れば、左手で1から始めるんだ・・・・
まだ続けられる・・・って思えれば、みんなと同じのまともな左手。基本から忠実に
教える事が出来る。だから、左手はいつかみんなと一緒になる。
ただ今度は右手で細かいタイルを持たなければならない・・・・。これが病気と向き合う
・・・って姿勢な訳で。でもね、右手で切れば、切った衝撃で痛い・・・・けれど、
持つだけなら、痛くは無い。痛いのは持った感覚が無い・・・また右手かよっ・・・って
気持の問題になる・・・・。ただまだこれで左にして3回目。経験値は浅い・・・・
必ず良い事はある。悪い事だけでは無い。それをしっかり何が都合が良くて、何が悪いか?って考えられれば、そのダメ-ジと向き合える強ささえ身に付ければ、
それによって手に入れられる良い事もあるはずである。何しろ大事なのは、
続けられる事であって、ポンコツな右手が動かなくなるまでに・・・1つでも作品を
作り続ける・・・なんて、戦で突っ込むだけの戦法にも思える。
まずは立て直して、どう戦うか?と戦略を立てる事。がむしゃらにやれば良いでは、
結果が思うように付いて来るとは思えない。後は信じる者は救われるなのか?
触らぬ神に祟りなしなのかは?本人の問題になる。