今日は午後からお教室。当然それまで作品作り。
まっ、見てくれている人も毎度毎度同じような画像で・・・・と思ったので、
張る前に今の所の全貌紹介。アトリエ前に出して見た・・・・
何だか訳が判らないでしょ・・・・?・・・・ねっ?
まっそれはそれとして、少しは進んでいるのね・・・・少しは。
それはそうと、ちょっとだけ枕を入れるのなら・・・・あまちゃん・・・かぐやに
言われて見るようになったのね。今まで俺発進で見て貰う、ドラマ、アニメ、音楽・・・
とあったが、かぐやが良いと言うので、観る事になったが、これが中々良い。
まっ内容的には少女の成長のような話だから、宮崎アニメにもありがちなんだけれど、
そのありがちな事が大好きな俺にはたまらない・・・・。
古き良き昭和の匂いがする・・・・そうね、人はそう見ないかも知れないが、
俺の作品作りも、どちらかと言うと、そちらよりなんだけれど・・・・
まっ、何よりもかぐや発信で、単に娯楽にしか見られないのなら、とても残念な事に
なるが、宮藤官九郎さんって言うのも、良い所を突いて来たのもある。
木更津キャッツアイ、タイガ-&ドラゴン・・とあの人の人情モノは本当に良い。
それを知っての上で・・・だからもあるが、かぐやが良いと言っている理由がまた良い。
きちんと感情移入して、きちんと自分はそうしているか?と投げ掛けている。
そもそもがすべてフィクションなのだから、作り物なんだけれど、
実は実在しなくとも、ほぼノンフィクションに見えるのね・・・俺にはすべて。
少なくとも俺はモザイクに会うまで、そこそこ生きていただけ。
悪くは無いけど、良くは無かった。それが何かに打ち込む、そして続ける・・・・
終わりが来るまで・・・と諦める事無く続ける・・・そうすると、回りの人達の応援の元
自分自身の成長に繋がる・・・まっだからと言って、図々しく俺はあまちゃん・・・とは
言わないけれど、スカウトやマネ-ジャ-の水口さん〔登場人物の名前ね〕くらいには、
なってないと・・・・なんて考えちゃったりもする。いずれにせよ、作者の意図するものがあって、その人は目指す成功を持っていて、その人が教えてくれている気がするのね。
宮崎さんにしてもそう。もののけ姫では、生きろ・・・と命令形だったのが、
震災があって、更に年齢を重ねると、作者の伝え方は、生きねば・・・に変わる。
俺は、好きな人達には従順なのね・・・・何しろ先人の成功者には、得るものが多い。
しかもただ成功者では無く、目指したい内容がほぼ一致する、そんな人達の作品は・・・
何しろ作品とは、その人の生きている証だったり、主義主張、メッセ-ジ、警告、・・・
だからこそ、その人自身なのである。だから、受け入れるも受け入れないも自分自身。
だから、見る側になる時には、気分では見られない。何しろ頂きます・・・って感じ。
そんな感じで、かぐやと見終わった感想のやり取りをしているのね。
中々、的を得ている感想が多い。単に視聴者になっていなくて、作り手の気持ちを
読み取ろうとしている。それでいて楽しんでもいる。
ようやくそんな事が出来るようになって来た・・・後はそれを自分なりに吸収して、
何にどう反映させるか?になる。勿論、俺達はモザイクなんだけれど、
すべてがオリジナルなのだから、考え方を学ぶのね。別に映画監督になりたいのでは、
無いのだから・・・・。と話を戻して、あまちゃんを例にテクニック論になると、
前フリでちょこちょことヒントを出して置いて、答えを出した時に、前のシ-ンの映像を
見せて解説をする・・・なんて手法が取られたりしている。
説得力があり、観ている側も納得しやすい・・・・こんなのが前フリの考え方とするのなら・・・・・?・・・とタピオカ教室へ突入。
今日は小バラとなるのだけれど、下絵は無い。勿論、描いても良いが、タピオカくらい
切れるようになったら、この位の小バラは描かなくても良い。
ではそのやり方。そもそもそのイメ-ジする小バラの大きさを円で描く。それが基準。
それでイメ-ジするのね・・・・一体何個くらいのパ-ツで構成されるだろうか?ってね。
所がタピオカは、小さくする事はイメ-ジ出来るんだけれど・・・つまりほって置くと、
恐らく10パ-ツとかになっちゃうんじゃないの?って感じになっちゃうのね。
それが想像出来る会話の1つが、えっとこの小バラはやっぱり中心からですか?・・・ここ
確かに手馴れない時には、必ず細かい所、細い所、そこからスタ-トします・・と教える
がしかし、もう常連となると、単なる細かい、細いなんて言うパ-ツに困る事は少ない。
つまりそっちは得意なのね。つまり逆なのね・・・逆。
敷地の○は描いたのだから、その外側の一番大きなパ-ツを切る。その最大の大きさから
段々と小さくして行く・・・けれど、段々と・・・のこの言葉が曖昧過ぎる。
そこで何個と決める。・・・聞いているだけで束縛感とか、面倒なル-ルっぽいでしょ?
けれど、タピオカには非常に合っているル-ルなのね・・・実はタピオカは窮屈なのが
得意なのね。逆を返せば自由が不得意・・・好きにやって・・・これが苦手。
そこでこんな人は自分なりのマニュアルの作り方を教える事になる。
そんな事を踏まえて戻ると、得意なのは小さく切る事、自由は苦手、それでは対比して
考えると、不得意が大きく切る事で、不自由が得意・・かもね。となる。
つまり敷地の○の外側の一番大きなパ-ツさえ決まれば、それよりも小さく、そして小さく・・・と繰り返せば良いのだけれど、タピオカにそれだけでやらせたら、
どんどんと小さくするのが得意なんだから、きりが無くなる。・・・でしょ?
そこで基準を決める。それが一番大きなパ-ツ。それを見て、あと最低何個でバラに
見えるか?を考える。最低ね。それが5.6個じゃないのかな?になるのね。
それで普通はあるべき場所に置きながら作るのだけれど、そうでは無くて、
すべて1パ-ツで花びらを作らないとならないのだから、大きなバラのような線で描くのでは無くて、5.6個の点で描くバラを作るのである。だから最初から並べる必要は無い。
まずは背の順みたいに1年生から6年生を切り並べるって感じ。しかもどんなに小さい子にも並べられるくらいにはっきり切り分ける事。
これが大事。同じ点で描く場合、同じ○なら何処でも張れるが、段々って大きさを変える
事で、はっきり切り分けられる事が出来れば、迷う事無く、後は大きい順に外側から
並べて見て、具合の悪い所を微調整で切る・・・とやれば、自分なりのサンプルが出来る
・・・後はそれを見て繰り返す。こうすれば、タピオカには向いている作り方となる。
それ位、段々って切り方は難しいのね・・・何故なら決まりが無いようで、ガッチリあるから。一見流動的な表現だけれどね・・・。つまり流動的が苦手なタピオカには、
向いているって事になる。決まり事がね・・・きちんと掘り下げれば、きちんと答えは
出てくるものなのね。少なくとも、俺はそう思うのね。
まとめると、大きなバラがきちんと出来ているから、前フリとして効いている。
それで、物理的に敷地が狭くなるのだから、それに合わせてデフォルメしないとならない
その簡素化に当たって、段々小さくって表現になり、それには大きいのはいくつで構成しているんだから・・・中くらいのはいくつで、小さいのはいくつ?って考える。
そうしてイメ-ジしているものを具体化する。これが図面を引ける、描ける人は簡単に
スラスラ描いてしまったとしても、じゃそれ切れる?となると、上手く描けただけになる
だから、大きなバラは描いてと言って、小さなバラは描かなくて良いになったのね。
つまり描いただけの人では無くて、タピオカは切る技術を持っている人だから。
つまり、下絵を描く事で安心したり、描けなくて不安になったりせず、ここは必要、
ここは無くても出来る。けれど描かないのなら、描かなくても良い根拠が必要で・・・。
こんな事をしっかり理解出きれば、後は経験値で作品が終わる頃には上手くなる。
また1つ階段を登るようにね・・・技術の進歩とはそんなもんの繰り返し。
ってそんな後になんだけれど、人に言うのだから・・・・
俺もやっているのね・・・・・
まっ、見てくれている人も毎度毎度同じような画像で・・・・と思ったので、
張る前に今の所の全貌紹介。アトリエ前に出して見た・・・・
何だか訳が判らないでしょ・・・・?・・・・ねっ?
まっそれはそれとして、少しは進んでいるのね・・・・少しは。
それはそうと、ちょっとだけ枕を入れるのなら・・・・あまちゃん・・・かぐやに
言われて見るようになったのね。今まで俺発進で見て貰う、ドラマ、アニメ、音楽・・・
とあったが、かぐやが良いと言うので、観る事になったが、これが中々良い。
まっ内容的には少女の成長のような話だから、宮崎アニメにもありがちなんだけれど、
そのありがちな事が大好きな俺にはたまらない・・・・。
古き良き昭和の匂いがする・・・・そうね、人はそう見ないかも知れないが、
俺の作品作りも、どちらかと言うと、そちらよりなんだけれど・・・・
まっ、何よりもかぐや発信で、単に娯楽にしか見られないのなら、とても残念な事に
なるが、宮藤官九郎さんって言うのも、良い所を突いて来たのもある。
木更津キャッツアイ、タイガ-&ドラゴン・・とあの人の人情モノは本当に良い。
それを知っての上で・・・だからもあるが、かぐやが良いと言っている理由がまた良い。
きちんと感情移入して、きちんと自分はそうしているか?と投げ掛けている。
そもそもがすべてフィクションなのだから、作り物なんだけれど、
実は実在しなくとも、ほぼノンフィクションに見えるのね・・・俺にはすべて。
少なくとも俺はモザイクに会うまで、そこそこ生きていただけ。
悪くは無いけど、良くは無かった。それが何かに打ち込む、そして続ける・・・・
終わりが来るまで・・・と諦める事無く続ける・・・そうすると、回りの人達の応援の元
自分自身の成長に繋がる・・・まっだからと言って、図々しく俺はあまちゃん・・・とは
言わないけれど、スカウトやマネ-ジャ-の水口さん〔登場人物の名前ね〕くらいには、
なってないと・・・・なんて考えちゃったりもする。いずれにせよ、作者の意図するものがあって、その人は目指す成功を持っていて、その人が教えてくれている気がするのね。
宮崎さんにしてもそう。もののけ姫では、生きろ・・・と命令形だったのが、
震災があって、更に年齢を重ねると、作者の伝え方は、生きねば・・・に変わる。
俺は、好きな人達には従順なのね・・・・何しろ先人の成功者には、得るものが多い。
しかもただ成功者では無く、目指したい内容がほぼ一致する、そんな人達の作品は・・・
何しろ作品とは、その人の生きている証だったり、主義主張、メッセ-ジ、警告、・・・
だからこそ、その人自身なのである。だから、受け入れるも受け入れないも自分自身。
だから、見る側になる時には、気分では見られない。何しろ頂きます・・・って感じ。
そんな感じで、かぐやと見終わった感想のやり取りをしているのね。
中々、的を得ている感想が多い。単に視聴者になっていなくて、作り手の気持ちを
読み取ろうとしている。それでいて楽しんでもいる。
ようやくそんな事が出来るようになって来た・・・後はそれを自分なりに吸収して、
何にどう反映させるか?になる。勿論、俺達はモザイクなんだけれど、
すべてがオリジナルなのだから、考え方を学ぶのね。別に映画監督になりたいのでは、
無いのだから・・・・。と話を戻して、あまちゃんを例にテクニック論になると、
前フリでちょこちょことヒントを出して置いて、答えを出した時に、前のシ-ンの映像を
見せて解説をする・・・なんて手法が取られたりしている。
説得力があり、観ている側も納得しやすい・・・・こんなのが前フリの考え方とするのなら・・・・・?・・・とタピオカ教室へ突入。
今日は小バラとなるのだけれど、下絵は無い。勿論、描いても良いが、タピオカくらい
切れるようになったら、この位の小バラは描かなくても良い。
ではそのやり方。そもそもそのイメ-ジする小バラの大きさを円で描く。それが基準。
それでイメ-ジするのね・・・・一体何個くらいのパ-ツで構成されるだろうか?ってね。
所がタピオカは、小さくする事はイメ-ジ出来るんだけれど・・・つまりほって置くと、
恐らく10パ-ツとかになっちゃうんじゃないの?って感じになっちゃうのね。
それが想像出来る会話の1つが、えっとこの小バラはやっぱり中心からですか?・・・ここ
確かに手馴れない時には、必ず細かい所、細い所、そこからスタ-トします・・と教える
がしかし、もう常連となると、単なる細かい、細いなんて言うパ-ツに困る事は少ない。
つまりそっちは得意なのね。つまり逆なのね・・・逆。
敷地の○は描いたのだから、その外側の一番大きなパ-ツを切る。その最大の大きさから
段々と小さくして行く・・・けれど、段々と・・・のこの言葉が曖昧過ぎる。
そこで何個と決める。・・・聞いているだけで束縛感とか、面倒なル-ルっぽいでしょ?
けれど、タピオカには非常に合っているル-ルなのね・・・実はタピオカは窮屈なのが
得意なのね。逆を返せば自由が不得意・・・好きにやって・・・これが苦手。
そこでこんな人は自分なりのマニュアルの作り方を教える事になる。
そんな事を踏まえて戻ると、得意なのは小さく切る事、自由は苦手、それでは対比して
考えると、不得意が大きく切る事で、不自由が得意・・かもね。となる。
つまり敷地の○の外側の一番大きなパ-ツさえ決まれば、それよりも小さく、そして小さく・・・と繰り返せば良いのだけれど、タピオカにそれだけでやらせたら、
どんどんと小さくするのが得意なんだから、きりが無くなる。・・・でしょ?
そこで基準を決める。それが一番大きなパ-ツ。それを見て、あと最低何個でバラに
見えるか?を考える。最低ね。それが5.6個じゃないのかな?になるのね。
それで普通はあるべき場所に置きながら作るのだけれど、そうでは無くて、
すべて1パ-ツで花びらを作らないとならないのだから、大きなバラのような線で描くのでは無くて、5.6個の点で描くバラを作るのである。だから最初から並べる必要は無い。
まずは背の順みたいに1年生から6年生を切り並べるって感じ。しかもどんなに小さい子にも並べられるくらいにはっきり切り分ける事。
これが大事。同じ点で描く場合、同じ○なら何処でも張れるが、段々って大きさを変える
事で、はっきり切り分けられる事が出来れば、迷う事無く、後は大きい順に外側から
並べて見て、具合の悪い所を微調整で切る・・・とやれば、自分なりのサンプルが出来る
・・・後はそれを見て繰り返す。こうすれば、タピオカには向いている作り方となる。
それ位、段々って切り方は難しいのね・・・何故なら決まりが無いようで、ガッチリあるから。一見流動的な表現だけれどね・・・。つまり流動的が苦手なタピオカには、
向いているって事になる。決まり事がね・・・きちんと掘り下げれば、きちんと答えは
出てくるものなのね。少なくとも、俺はそう思うのね。
まとめると、大きなバラがきちんと出来ているから、前フリとして効いている。
それで、物理的に敷地が狭くなるのだから、それに合わせてデフォルメしないとならない
その簡素化に当たって、段々小さくって表現になり、それには大きいのはいくつで構成しているんだから・・・中くらいのはいくつで、小さいのはいくつ?って考える。
そうしてイメ-ジしているものを具体化する。これが図面を引ける、描ける人は簡単に
スラスラ描いてしまったとしても、じゃそれ切れる?となると、上手く描けただけになる
だから、大きなバラは描いてと言って、小さなバラは描かなくて良いになったのね。
つまり描いただけの人では無くて、タピオカは切る技術を持っている人だから。
つまり、下絵を描く事で安心したり、描けなくて不安になったりせず、ここは必要、
ここは無くても出来る。けれど描かないのなら、描かなくても良い根拠が必要で・・・。
こんな事をしっかり理解出きれば、後は経験値で作品が終わる頃には上手くなる。
また1つ階段を登るようにね・・・技術の進歩とはそんなもんの繰り返し。
ってそんな後になんだけれど、人に言うのだから・・・・
俺もやっているのね・・・・・