今日も作品作り。しばらく振りなのね・・・・こんな続け様に作家katsuは・・・。
ここ数日、終わりも近づいている事もありいの、着地のふち周りをどうするのか?
更に言えばバックは?本来なら蝶尾は金魚なのだから、水色のような色で花もそれなら
水中花なんて見せる方法もあるが、ただね・・・これから冬に向かうのに、水色って。
恐らく何も考えずに単なる模様って考えるのなら、緑なんてのは四季に関係無く、
エントランスに合う事になるだろう・・・ん・・・悩むね・・・。
こんな時、作家のエゴかモラルや倫理なのか?ただね、作家のエゴってのが少なくて、
大抵この辺かな・・・って、落し処を探しちゃうのね・・・。
そもそもが考え方1つでどうにでも変わってしまうのね・・・作品ってのは。
例えば、ママに頼まれたんだからママの好みで作れば良い・・・じゃ聞けば・・・・
何て話になるだろうけれど、katsuさんにお任せします・・・の場合、俺の問題になる。
ただその俺すらも、ママに向けて作るのか?病院のエントランスに設置する事を考えれば
患者さんに好まれるように・・・とも取れるような気もする・・・。
こんな事は、教室下地とて一緒で、時間内に楽々終わる事を考えれば、より簡素化し、
その為に仕上がり度として、本当により良く見えるだろうか?・・・それとも、サンプルはあくまで先生なのだから、ぶっちぎりで絶対出来ない、何しろ引き付けられる事のみを
考えれば良いのか?・・・こんな事と大して変わらない。つまりあっちをたてると、こっちが・・・・ってな感じでね。
それが本当に凄いものは、必ず折り合いの付く処に落ち着く・・・やはりこれだったと。
両者共に悪く無い落し所と言うものが、必ずあると信じてやっているのだが。
勿論作家katsuの場合、作るのは自分だから、納得行くまで・・・最後はお金を捨ててまで美を追求しに行く覚悟がある。何しろ残る作品を作る為に・・・ね。
その妥協無い作品をいつか観るべき人に見て貰う日を想定して作る・・・
そうすれば、必ずチャンスはやって来る・・それが人に出来ない事をしようとする生き様
そう考える。ただお教室の下地となると話は別で、早い、安い、上手い・・・・
まるで牛丼屋さんのコマ-シャルだが、体験って言うのはこんな事を求められている。
そう考えてやっているのは事実。それがリピ-タ-さんや常連さんになると、その日に
完成じゃないので、こだわりが加わり、その分、よりオリジナル感が出せる。
つまりリピ-タ-さんや常連さんは、かなり作家katsuに近い状況の作品作りになっているから、体験とは一線引いた仕上がりになっているのね。
だから、底上げと言うのなら、もし体験教室の下地がさっきの比喩のように3拍子揃うと
何かを変えられるのだけれど・・・・。
それはずっと課題なんだけれど・・・・中々ね・・・結果が出ないのが事実。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/f9/b662c094d282f6333851ef6dd7be4691.jpg)
作家katsuのみの時間が増えると言う事は、ずぅぅっとこんな事を考えつつ、1日が終わって行くと言う事。ただひたすら考えて、ただひたすらやり続けて、踏ん切りが付いたら、
下地作りを休憩に使ったり、いずれにせよ大作に向き合うって言うのは、ギリギリの中で
作るって意味なのね・・・だからこそ凄いと言われる作品となり、だからこそそれが
買ってでも欲しい・・・って作品になる訳で・・・。いずれにせよ、毎回きついのね。
しかも上手くなればなるほど、自分自身が強欲になってね・・・もっと・・・もっと・・
って、きりが無くなるのね。果てしない事をしたくなるのね・・・・一生の宝になる。
そんな作品を作りたいから・・・。
そう言えば、昨日、かんすけに材料の注文をして、しばらく振りにちょっと長く話をした
・・・大変らしいが、元気そうで何よりだった。
何しろこっちはブログでまるはだかぁ・・・なのだから、見る気があれば、こっちは
すっかり知られちゃうのだから、向こうがどうか?は聞いて見ないと判らない・・・。
そんな話の中、タイル屋を辞める人もいれば、消費税の事もあり建築は好調でもある・・
しかも、今は大きな会社に入ったので、仕事の形態も変わり、同じ問屋であっても、
見るものすべてが驚く事ばかりらしい。こんな話も俺の場合も同じで、1人親方の父を
見てタイル屋の修業として、行った先が大きな会社で、まさか15階の足場でタイルを
張るとは思わなかった・・・もっと言えば、来る日も来る日も材料上げばかりで、
このまま一生終わるのかな・・・って、そんな毎日だった。
そんな事でも、同じ業種である事で比較出来るし、今だってそう。同じタイルを張る職業であっても、1日数万の手間になった昔と、今とでは比較にならない・・・
ただ、未来の無い日々の手間と、未来に期待のある今とでは、いきがいとして続ける事が
苦痛にはならない。むしろ、大変なのは修業であって、神様に選ばれしき者であるか?
試されているのだろう・・・と考える。だから、どうぞ・・・お試し下さいなのね。
日々、なるべく後悔の少ない1日でありますように・・・とね。
この作品も、そんな気持ちで作っているのだから、自分らしくなっていると思われる。
ここ数日、終わりも近づいている事もありいの、着地のふち周りをどうするのか?
更に言えばバックは?本来なら蝶尾は金魚なのだから、水色のような色で花もそれなら
水中花なんて見せる方法もあるが、ただね・・・これから冬に向かうのに、水色って。
恐らく何も考えずに単なる模様って考えるのなら、緑なんてのは四季に関係無く、
エントランスに合う事になるだろう・・・ん・・・悩むね・・・。
こんな時、作家のエゴかモラルや倫理なのか?ただね、作家のエゴってのが少なくて、
大抵この辺かな・・・って、落し処を探しちゃうのね・・・。
そもそもが考え方1つでどうにでも変わってしまうのね・・・作品ってのは。
例えば、ママに頼まれたんだからママの好みで作れば良い・・・じゃ聞けば・・・・
何て話になるだろうけれど、katsuさんにお任せします・・・の場合、俺の問題になる。
ただその俺すらも、ママに向けて作るのか?病院のエントランスに設置する事を考えれば
患者さんに好まれるように・・・とも取れるような気もする・・・。
こんな事は、教室下地とて一緒で、時間内に楽々終わる事を考えれば、より簡素化し、
その為に仕上がり度として、本当により良く見えるだろうか?・・・それとも、サンプルはあくまで先生なのだから、ぶっちぎりで絶対出来ない、何しろ引き付けられる事のみを
考えれば良いのか?・・・こんな事と大して変わらない。つまりあっちをたてると、こっちが・・・・ってな感じでね。
それが本当に凄いものは、必ず折り合いの付く処に落ち着く・・・やはりこれだったと。
両者共に悪く無い落し所と言うものが、必ずあると信じてやっているのだが。
勿論作家katsuの場合、作るのは自分だから、納得行くまで・・・最後はお金を捨ててまで美を追求しに行く覚悟がある。何しろ残る作品を作る為に・・・ね。
その妥協無い作品をいつか観るべき人に見て貰う日を想定して作る・・・
そうすれば、必ずチャンスはやって来る・・それが人に出来ない事をしようとする生き様
そう考える。ただお教室の下地となると話は別で、早い、安い、上手い・・・・
まるで牛丼屋さんのコマ-シャルだが、体験って言うのはこんな事を求められている。
そう考えてやっているのは事実。それがリピ-タ-さんや常連さんになると、その日に
完成じゃないので、こだわりが加わり、その分、よりオリジナル感が出せる。
つまりリピ-タ-さんや常連さんは、かなり作家katsuに近い状況の作品作りになっているから、体験とは一線引いた仕上がりになっているのね。
だから、底上げと言うのなら、もし体験教室の下地がさっきの比喩のように3拍子揃うと
何かを変えられるのだけれど・・・・。
それはずっと課題なんだけれど・・・・中々ね・・・結果が出ないのが事実。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/f9/b662c094d282f6333851ef6dd7be4691.jpg)
作家katsuのみの時間が増えると言う事は、ずぅぅっとこんな事を考えつつ、1日が終わって行くと言う事。ただひたすら考えて、ただひたすらやり続けて、踏ん切りが付いたら、
下地作りを休憩に使ったり、いずれにせよ大作に向き合うって言うのは、ギリギリの中で
作るって意味なのね・・・だからこそ凄いと言われる作品となり、だからこそそれが
買ってでも欲しい・・・って作品になる訳で・・・。いずれにせよ、毎回きついのね。
しかも上手くなればなるほど、自分自身が強欲になってね・・・もっと・・・もっと・・
って、きりが無くなるのね。果てしない事をしたくなるのね・・・・一生の宝になる。
そんな作品を作りたいから・・・。
そう言えば、昨日、かんすけに材料の注文をして、しばらく振りにちょっと長く話をした
・・・大変らしいが、元気そうで何よりだった。
何しろこっちはブログでまるはだかぁ・・・なのだから、見る気があれば、こっちは
すっかり知られちゃうのだから、向こうがどうか?は聞いて見ないと判らない・・・。
そんな話の中、タイル屋を辞める人もいれば、消費税の事もあり建築は好調でもある・・
しかも、今は大きな会社に入ったので、仕事の形態も変わり、同じ問屋であっても、
見るものすべてが驚く事ばかりらしい。こんな話も俺の場合も同じで、1人親方の父を
見てタイル屋の修業として、行った先が大きな会社で、まさか15階の足場でタイルを
張るとは思わなかった・・・もっと言えば、来る日も来る日も材料上げばかりで、
このまま一生終わるのかな・・・って、そんな毎日だった。
そんな事でも、同じ業種である事で比較出来るし、今だってそう。同じタイルを張る職業であっても、1日数万の手間になった昔と、今とでは比較にならない・・・
ただ、未来の無い日々の手間と、未来に期待のある今とでは、いきがいとして続ける事が
苦痛にはならない。むしろ、大変なのは修業であって、神様に選ばれしき者であるか?
試されているのだろう・・・と考える。だから、どうぞ・・・お試し下さいなのね。
日々、なるべく後悔の少ない1日でありますように・・・とね。
この作品も、そんな気持ちで作っているのだから、自分らしくなっていると思われる。