今日は朝一番のお教室。この方は9時からなので早目なのね。
いらっしゃると、すでにバックは全部張ってあり、目地だけになっていた。
すると、katsuさん・・・俺、バックなめてました。もっと簡単で楽だと思ってました。
俺、次から本気でやります・・・って言うのね。
勿論、今までだってちゃんとやっていたと思うのね。ただ気持ちの問題。
いくらか慣れてしまった事で、出来るかな・・・・?って緊張感があった頃と違い、
後これだけだから・・・とか、時間や難易度を自分なりに計るようになったりしているんだろうね・・・?だから、その予定していた事に大きなズレが生じて痛む。
先日のオ-ドリ-も同じ事。良くある話で、慣れた事による過信。
良く初心に返る・・・とは?こんな事を経験して、元に戻る事を意味する。
ただ、ここに大きな意味があって、初心・・・つまり最初は腕はへたっぴだったのだ。
へたっぴが出来るかな?・・・と謙虚な姿勢で臨むのだから、心も腕もバランスが良い。
所が、上手くなった事で過信をする。しかし過信とは思わない・・・それどころか、
上手くなっている自分自身にも気が付かない・・・そもそもそこに問題がある。
最初は、脇を締めて、パチンコは遠くを持つ、刃は全部入れない、ゆっくり握らない、
タイルとパチンコの頭を平行に保つ・・・切る事1つ取っても、何個も言われたはず。
それがいつしか、切る行為に何1つ言われなくなり、当然張る事でも、ピンセットの持ち方、ボンドの付け方、いちいち言われていたはず。なのに、もう何も言われない。
では、一体今は何を言われるのだろうか?それはモチ-フとして選んだものの是正だったり、位置、バランス、精度の確認・・・・と質の向上だったりする。
所が今回のクラッシュのような場合、割ったの入れれば良いんでしょ?狙って切ったパ-ツをここまで切れるようになったのだから、簡単に思っても仕方無い。
ただ問題なのは、割れたのを拾って入れられるのなら・・・?ね。
そんな人なら楽だろうね。しかし、もし、katsuに習って何ヶ月も掛かった表札のバック
・・・と感じてしまったら?そんな手抜きにも思える仕上がりを最後の最後に出来るかな?
あはははは、そんな事が出来る人は、リピ-タ-さんとして続かないのね。
つまり知らず知らず、上手くなり、知らず知らず目が肥える。その肥えた目で作ろうとしていたとするのなら?つまり思い込んだ脳と上手くなった腕と、肥えた目のバランス・・
すべて自分がきちんと把握していたのなら、ほぼ何も起こらないのだが、常に自分を
パソコンのように更新しないとならないのに、大抵は進歩している自分に気が付かない。
そして、知らず知らずその肥えた目は、高み高みを要求するので、こんなじゃない・・・
とか、正解は判らずとも、違う事だけは感じてしまう・・・それを沢山感じて、
手が止まると時間だけが過ぎ去り、向き合った所で上手く行かず、焦りすら感じる。
いよいよと追い込まれると、場合に寄っては、まっ良いか・・・仕方無い・・・と、
進めたりする。こんな感じであろう。一見、これだけの状況説明だと、最悪だな?と
思ったりするだろうが、それは単なるやっていない人の見解で、やっている人なら、
それこそが進歩の一歩。そんな葛藤の中、結果としてはたどり着いた。それが結果。
自分と向き合い、葛藤してどんな形であっても、終わったのだ・・・自宅で・・・1人で
今までの経験値、その腕を持ってして、肥えた目で、悩んで、1人で・・・初心者がやったのでは無く、きちんと向き合って・・・素晴らしい。良く頑張った。たどり着いた。
本当にこんな日は嬉しい。しかも、自ら本気でやります・・・って。
なら、こちらも本気で向き合える・・・・えっ?じゃ今までは違うの?・・・・
あっ・・・いえ・・・本気だったんですけど・・・毎日コツコツやります・・・って、
言うのね・・・うん、判った・・・じゃ、毎日やろうとするのを辞めて。
きちんと指導したいから。そもそも、昨日と今日で毎日やる・・・に変わるのなら、
とっくにやっているのね。だから無理なのね。
そうじゃなくて、意気込みなんだよ・・・それは。だから、リバウンドしないように、
きちんと根拠を持って続けて行く事。そうね・・・1週間に1.2度、軽くテレビでも
見ながら、パ-ツ切りでもやる習慣を付けようかな?・・・そんな程度でOK。
物足りないくらいで十分。そもそもそれでも、ムラがあった以前よりも、きちんと定期的
習慣って言うのは、そうして身に付けるもの。もしそれが何ヶ月も出来るようになったら、1日増やす・・・それを増やす時に、自分の時間で暇つぶしでやっている事を削って
・・・って意識を持って、いらない・・・この時間・・・ってモザイクに変えれば良い。
それと、大事なのはモザイクをやる時間をきちんと取れた人は、意識の時間を増やす。
モチ-フ決めをする時に、自分の決めたものが、例えば花としたら?眼に入ったすべての
ものが、花であっても無くても、花に見えて来るはず・・・・なのね。
あっ、あれ花に見える・・・そう子供だった頃はそう見えていたはず。
ただ、見えただけでは子供に戻っただけ。見えたものをきちんと絵にして、
モザイクにする・・・ここまでやって、身になる。つまり構想・・・考えるって言うのを
習慣にする事、これこそがオリジナル制作の基本である。
本気になった・・・って人への次なる指導って言うのは、考え方。
自分が思い描くものを現実にする為の・・・・。
では現実。恐らく予定通りにこの表札を付ける為の壁は、何の進展も無いはず。
それはどうしてか?それはすべてを終える為には、何日も掛かるから。
当然何日も続けて休みが取れるなんて、盆と正月しかない。じゃ正月はすぐだね・・・
でもね、12月に暇な職人では、どうかしちゃうね、きっと・・・。
だから、きっと忙しい・・・休みが来たら、休みたい・・・それが本心。
でも今更、自分でやるって言って、人にお金を出して頼むかな?・・・・だよね。
ほら、すべてさっき言った通り。最初は意気込みで言ったものの、こうなる。
だから、1日分だけキリの良い所ずつやる・・・これしか無い。
1段だけでも積む。基礎だけけでも打つ・・・そうしてしまえば、やらない訳には行かない・・・となる。そしてトドメは、みんなに表札が付いたら見せたいので、完成したら
アップしますから・・・である。本気でやる・・・って言うのは、見たい人だって出て来る作品を作る人になる・・・そうとも取れる。何故なら、こんな話があったのね。
かぐやさんのブログ何で無くなっちゃったんですか?・・・新作見たかったのに・・って。師匠としては嬉しい限りである。しかしながら、自分はどうなのであろうか?
その表札が取り付けてある姿を観たい人は、1人もいないとでも?少なくとも俺は先生として、見たいと思うのである。そう思われる作品を作れるようになる事を目指す事・・・
これこそが上手くなる・・・に繋がるのでは無いかな?人が見て見たい・・・って。
これがアマチュアの最高峰であるのなら、プロはお金出しても欲しい・・・でしょ?
そう願われないのなら、自称プロ程度って事。資格も無く名乗れば良いだけなら、誰にでも出来る事なのだから・・・・。
いずれにせよ、本気で・・・って言うのなら、こちらも言いやすくなった。
何せ仕事に生かしたいって言うのだから・・・。
いつまでも、自分を下に置いてはいけないのね。かぐやは凄くて、自分はまだまだ・・・
辞めないで続けている、しかもこうしてたどり着いた・・・そして結果を出した。
追い掛けているのなら、差は縮んで来る。ただかぐやとて止まらない・・・こんな繰り返しが、自分が気付かぬままに成長していた・・・に繋がる。
ただこれは作品として、表札なので外に付いて本当の完成なのである。
そして、これが外に付いた後、何かが変わるはずである・・・・世の中広しと言えど、
これだけの凝った表札が付いている新築・・・・俺はそうそう観た事が無い。
楽しみにしています。
さて、そんなこんなで小物製作。

これなんだけれど・・・・どうなのかな?大型のお休みに入ったら作る作品の前フリ・・
いらっしゃると、すでにバックは全部張ってあり、目地だけになっていた。
すると、katsuさん・・・俺、バックなめてました。もっと簡単で楽だと思ってました。
俺、次から本気でやります・・・って言うのね。
勿論、今までだってちゃんとやっていたと思うのね。ただ気持ちの問題。
いくらか慣れてしまった事で、出来るかな・・・・?って緊張感があった頃と違い、
後これだけだから・・・とか、時間や難易度を自分なりに計るようになったりしているんだろうね・・・?だから、その予定していた事に大きなズレが生じて痛む。
先日のオ-ドリ-も同じ事。良くある話で、慣れた事による過信。
良く初心に返る・・・とは?こんな事を経験して、元に戻る事を意味する。
ただ、ここに大きな意味があって、初心・・・つまり最初は腕はへたっぴだったのだ。
へたっぴが出来るかな?・・・と謙虚な姿勢で臨むのだから、心も腕もバランスが良い。
所が、上手くなった事で過信をする。しかし過信とは思わない・・・それどころか、
上手くなっている自分自身にも気が付かない・・・そもそもそこに問題がある。
最初は、脇を締めて、パチンコは遠くを持つ、刃は全部入れない、ゆっくり握らない、
タイルとパチンコの頭を平行に保つ・・・切る事1つ取っても、何個も言われたはず。
それがいつしか、切る行為に何1つ言われなくなり、当然張る事でも、ピンセットの持ち方、ボンドの付け方、いちいち言われていたはず。なのに、もう何も言われない。
では、一体今は何を言われるのだろうか?それはモチ-フとして選んだものの是正だったり、位置、バランス、精度の確認・・・・と質の向上だったりする。
所が今回のクラッシュのような場合、割ったの入れれば良いんでしょ?狙って切ったパ-ツをここまで切れるようになったのだから、簡単に思っても仕方無い。
ただ問題なのは、割れたのを拾って入れられるのなら・・・?ね。
そんな人なら楽だろうね。しかし、もし、katsuに習って何ヶ月も掛かった表札のバック
・・・と感じてしまったら?そんな手抜きにも思える仕上がりを最後の最後に出来るかな?
あはははは、そんな事が出来る人は、リピ-タ-さんとして続かないのね。
つまり知らず知らず、上手くなり、知らず知らず目が肥える。その肥えた目で作ろうとしていたとするのなら?つまり思い込んだ脳と上手くなった腕と、肥えた目のバランス・・
すべて自分がきちんと把握していたのなら、ほぼ何も起こらないのだが、常に自分を
パソコンのように更新しないとならないのに、大抵は進歩している自分に気が付かない。
そして、知らず知らずその肥えた目は、高み高みを要求するので、こんなじゃない・・・
とか、正解は判らずとも、違う事だけは感じてしまう・・・それを沢山感じて、
手が止まると時間だけが過ぎ去り、向き合った所で上手く行かず、焦りすら感じる。
いよいよと追い込まれると、場合に寄っては、まっ良いか・・・仕方無い・・・と、
進めたりする。こんな感じであろう。一見、これだけの状況説明だと、最悪だな?と
思ったりするだろうが、それは単なるやっていない人の見解で、やっている人なら、
それこそが進歩の一歩。そんな葛藤の中、結果としてはたどり着いた。それが結果。
自分と向き合い、葛藤してどんな形であっても、終わったのだ・・・自宅で・・・1人で
今までの経験値、その腕を持ってして、肥えた目で、悩んで、1人で・・・初心者がやったのでは無く、きちんと向き合って・・・素晴らしい。良く頑張った。たどり着いた。
本当にこんな日は嬉しい。しかも、自ら本気でやります・・・って。
なら、こちらも本気で向き合える・・・・えっ?じゃ今までは違うの?・・・・
あっ・・・いえ・・・本気だったんですけど・・・毎日コツコツやります・・・って、
言うのね・・・うん、判った・・・じゃ、毎日やろうとするのを辞めて。
きちんと指導したいから。そもそも、昨日と今日で毎日やる・・・に変わるのなら、
とっくにやっているのね。だから無理なのね。
そうじゃなくて、意気込みなんだよ・・・それは。だから、リバウンドしないように、
きちんと根拠を持って続けて行く事。そうね・・・1週間に1.2度、軽くテレビでも
見ながら、パ-ツ切りでもやる習慣を付けようかな?・・・そんな程度でOK。
物足りないくらいで十分。そもそもそれでも、ムラがあった以前よりも、きちんと定期的
習慣って言うのは、そうして身に付けるもの。もしそれが何ヶ月も出来るようになったら、1日増やす・・・それを増やす時に、自分の時間で暇つぶしでやっている事を削って
・・・って意識を持って、いらない・・・この時間・・・ってモザイクに変えれば良い。
それと、大事なのはモザイクをやる時間をきちんと取れた人は、意識の時間を増やす。
モチ-フ決めをする時に、自分の決めたものが、例えば花としたら?眼に入ったすべての
ものが、花であっても無くても、花に見えて来るはず・・・・なのね。
あっ、あれ花に見える・・・そう子供だった頃はそう見えていたはず。
ただ、見えただけでは子供に戻っただけ。見えたものをきちんと絵にして、
モザイクにする・・・ここまでやって、身になる。つまり構想・・・考えるって言うのを
習慣にする事、これこそがオリジナル制作の基本である。
本気になった・・・って人への次なる指導って言うのは、考え方。
自分が思い描くものを現実にする為の・・・・。
では現実。恐らく予定通りにこの表札を付ける為の壁は、何の進展も無いはず。
それはどうしてか?それはすべてを終える為には、何日も掛かるから。
当然何日も続けて休みが取れるなんて、盆と正月しかない。じゃ正月はすぐだね・・・
でもね、12月に暇な職人では、どうかしちゃうね、きっと・・・。
だから、きっと忙しい・・・休みが来たら、休みたい・・・それが本心。
でも今更、自分でやるって言って、人にお金を出して頼むかな?・・・・だよね。
ほら、すべてさっき言った通り。最初は意気込みで言ったものの、こうなる。
だから、1日分だけキリの良い所ずつやる・・・これしか無い。
1段だけでも積む。基礎だけけでも打つ・・・そうしてしまえば、やらない訳には行かない・・・となる。そしてトドメは、みんなに表札が付いたら見せたいので、完成したら
アップしますから・・・である。本気でやる・・・って言うのは、見たい人だって出て来る作品を作る人になる・・・そうとも取れる。何故なら、こんな話があったのね。
かぐやさんのブログ何で無くなっちゃったんですか?・・・新作見たかったのに・・って。師匠としては嬉しい限りである。しかしながら、自分はどうなのであろうか?
その表札が取り付けてある姿を観たい人は、1人もいないとでも?少なくとも俺は先生として、見たいと思うのである。そう思われる作品を作れるようになる事を目指す事・・・
これこそが上手くなる・・・に繋がるのでは無いかな?人が見て見たい・・・って。
これがアマチュアの最高峰であるのなら、プロはお金出しても欲しい・・・でしょ?
そう願われないのなら、自称プロ程度って事。資格も無く名乗れば良いだけなら、誰にでも出来る事なのだから・・・・。
いずれにせよ、本気で・・・って言うのなら、こちらも言いやすくなった。
何せ仕事に生かしたいって言うのだから・・・。
いつまでも、自分を下に置いてはいけないのね。かぐやは凄くて、自分はまだまだ・・・
辞めないで続けている、しかもこうしてたどり着いた・・・そして結果を出した。
追い掛けているのなら、差は縮んで来る。ただかぐやとて止まらない・・・こんな繰り返しが、自分が気付かぬままに成長していた・・・に繋がる。
ただこれは作品として、表札なので外に付いて本当の完成なのである。
そして、これが外に付いた後、何かが変わるはずである・・・・世の中広しと言えど、
これだけの凝った表札が付いている新築・・・・俺はそうそう観た事が無い。
楽しみにしています。
さて、そんなこんなで小物製作。

これなんだけれど・・・・どうなのかな?大型のお休みに入ったら作る作品の前フリ・・