今日は午前午後にリピータ―さん教室だったんだけれど、午後はキャンセルになり午前のみ。そんな訳でまずは急きょ仕上げたイルカの下地を渡すと、あれって私の話だったんですか?・・・って。
流石にデイ・サービスの後にすぐ頼まれていた話なんだけど、その時の話では、次のデイ・サービスの下地の時に一緒に・・・って事になっていたのに、イチゲンさんを優先に・・・ではね。結局はこれだけになっちゃったんだけれど。
ある意味、私はラッキーな話になっちゃった・・・って。そうね、そう言うもんだと思いますよ。結局の所、忙しくなるって言うのは、時間の取り合いになるって事だから、誰かが捨てた時間は、誰かの時間になるだけ・・・。
何でも一緒ですよ。どの人も一緒。何かをしていた時間が何かにすげ変わる。ただそれだけ。けれど、継続は力なり。出来ないから言葉が残る・・・つまりすげ変わると、すげ変わったものにも魅力があったりもする。だからその前に戻るって、
そんな簡単な事じゃないのね。余程その前に魅力を感じ無いと・・・後は錆びるのね・・・腕は。だから磨き直しをしないとならない。でも錆びただけだから元に戻る。ただ休んだ分の時間は掛かる訳で・・・。これも何でも一緒。
勉強もそう、スポーツもそう、楽器の演奏だってダンスだって、楽しむだけなら元に戻すのは簡単だけれど、競技だったり、受験だったり、発表会だったりすれば、洗練された所まで戻さないとならない。けれど競う場所では相手もいる。
腕やテクニックなんてもんも大事だけれど、それをやるのは自分・・・気ってもんは余程の事が無いと、元に戻すのはいささか厳しいモノがあるのね。何せ目に見えない事だし、気が滅入れば病気になる。これもまた当たり前の話。
そう考えると、昨日の話に今日のキャンセルって言うのはマイナスな気分になっているはずなんで、こんな時こそプラスになる事を探さないとならないのね・・・何でも良いから。そんな中、リピータ―さんがこんなものを持って来てくれた。
それが何と体験教室の時に作ったらしいのね・・・あははは、本人も言ってたんだけれど、だいぶ先生が助けてくれたって・・・。そうね、これは明らかにやり過ぎだわっ・・・。ただきっとこんなのが作りたいって図案はあったはず・・・
俺にはこんなの浮かばないから。何かちょっと良い感じの間の時間になったのね。そんなこんなでお教室。何しろ同じパーツの繰返しって言うのは、最初は夢中になれる。けれど慣れると、それが普通になってしまい、その普通は飽きるに繋がる
もので、しかもそれに気が付かず、最初の緊張感の気持ちが無くなるのね。だからこんな頃は進級になる。何を?なんだけれど、そのきっかけがまた1か月3回の予約を入れて下さったのね。そうなると1回の人と同じって訳には行かないのね。
だってやはり上手くなるべきだから。同じじゃ困るでしょ?そこで何を変えるのか?になった時、普通よりも2回多い分、余裕がお互い出来るのね。例えば2時間のカルチャーとなれば、黙々と作るになる。だって余裕が無いから。
例えば歌番組。テンポを速くしたり、ワンハーフみたいにはしょったり。いっぱい人が出ればそうなるのね。それは持ち時間の関係でね。けれどそれがワンマンなら、MCとしての話も出来て、ただ歌だけじゃなく、その人のひととなりも知る。
それで身近になり、より一層溶け込む・・・なんて事は多々ある話で。ただこれも良い事と悪い事が背中合わせで、ずっと3回本気の指導だと指導疲れしちゃうし・・・お互いね。けれど、その余裕を世間話で終わっても意味が無いのね。
じゃ適切とは?となると、それだってその人その人で違って来る。ただモザイクを教えるのにモザイクの話だけって言うのは、直接表現のみになる。勿論、それの方がお金を頂きやすいし、お教室感は出るだろうが、取扱説明書的になる。
これが比喩満載で、感じる、感じ取るってやり取りで会得しようとすると、くじらじゃないが、17文字で相手に何かを伝えなければならない。けれどそこには季語とか知った上で・・・となり、そんな窮屈な事はルールの上での自由なのね。
だから取っ掛かりは作文よりは17文字だし・・・なんて知らなきゃ簡単そうでも、逆に知れば知るほど、達人同士の伝達みたいにも思えるのね。そもそも読めなかったり、聞いた所で意味も判らない言葉があったりして・・・。
だとすると、もしもそんなレベルに見えるモザイクだとしたら?もっと判りやすくしないと伝わらないかな?とも思ったりして・・・だから難しい言葉を排除し、比喩も生活感の中でみんなが感じられる事を中心に・・・とか、何しろ伝わる事を
重視にしたりして・・・ただ難しいのは、オリジナルに正解は無いのね。ただ不正解はある。ここが厄介。しかもオリジナルの正解は自分が知っているはずなのに、表現力として言葉に出ない事は、腕に頼っても頼りない・・。
何故なら好みって言う、曖昧なもので日々変わるから。それでは成長を妨げる。いくら腕やテクニックを身に付けても、やる本人の曖昧さでは、きちんとした表現にたどり着かないのね。つまりこの方の次なる進級は、言葉にする表現になる。
出来なくて良い。出来なくて良いから、こんな感じ・・・って感じを伝える練習。それが伝わるようになると共有が出来る。教える、教わるは共有が大事で、こうして、あぁして・・・は、子供やお年寄りのように、歳の差がはっきりとして
いると良い事もあるが、歳が近いとざっくばらんにもなるが、逆に馴れ馴れしくもあったりする。何かこの話のオチみたいなのを気になって来た人がいるなら、答えは簡単で、何故イルカの下地が2つなのか?なのね。お友達とやるらしいのね。
だから、比喩として接待ゴルフだよ・・・思い切り差を見せつける事じゃないよ。夢中でやるだけじゃ勝手に差は出るよ。けれど、余り教える事ばかりだと、自分の持ち時間を失えば、余裕は無くなるし、無理やり巻き返そうとすると、まだまだ
そんなに上級者じゃない。でも負けなくても良い。ただ圧倒的にはならないように・・・何故なら時間を掛けると、この犬を作っている人なのだから・・・。ただあくまでこれは、時間を掛けて教えて貰っての事。教える立場では初めての話。
その経験はきっと次に会う時の教わる行為に必ず役立つ事になる。ただなるべく楽しんで欲しいとは思う。ただ初めての事は、楽しむよりも緊張感の中で終わって行くもので、お笑いでは無いけれど緊張と緩和のバランスだったりするのね。
何より初めての事は中々上手く行かないし、でも出来たら嬉しい。いずれにせよ、初めての経験は新鮮な事なんで、こんな事を踏まえて楽しんで欲しいと思うのね。それをただ下地を売れば良いって考え方は、商売になってしまうのね。
結果良しにするには、先生やるなら、指導があっても良いはず。折角の良い話、失敗させたくないからね。いずれにしても、今日の指導はこっちよりになったかな?・・・勿論、犬の方もあって、そろそろ同じ形からもっと細いパーツも・・・
って、これもまた慣れて来たら、慣れない事へ・・・みたいな話。そんな後は、新作の花の3。ナナカマドって花なんだけれど、厄介な事があって、まず白い花。折角バックを白パールで統一だったんだけれど、それが無理になった。
しかも、細いパーツはあるは、細かい事ばかり・・・更に言うと、ナナカマドと調べると大半は実が出て来るのね。赤い実のね。そっちなら白パールのバックは出来るが、1つだけ花じゃないって言うのはどう言うものか?ってね。
そこで依頼者の娘さんに連絡すると、うーん・・・って。だよね。ちゃんと伝えて旅立ってくれよ・・・って話なんだけれど、katsuちゃんに任せるよ・・・なんでしょ?きっと・・・生きてたとしても。よろしくやるよ・・・。
って訳で、何処まで切れるのか?切りカスがあったから試して見た・・
何とかなるのかな?・・・って気にはなったけれど・・・。