katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピータ―さん教室と新作4のカランコエと・・・

2020-08-19 22:24:38 | モザイク教室

今日は例の大野荘のリピータ―さん教室。自宅で花を切って来て・・・下の花はほぼ全部切ってあったのね。もうそれだけでも十分なのに、切っては来たんですけど・・・ってけど、なのね。つまり何か気に入らない事があるって事なのね。

だって、けど・・・なのだから。これが満足なら、やって来ましたぁ・・で良いのね。なのに、けど。だから一応その説明をしたのね。今は自宅でやった事が凄い話で、それは学校なら復習をして来たって事なのね。あの頃、先生に言われて

やったか?って言うと、そんな事は無く・・・それなのに大人になってこうしてやる・・・って事が凄いのね。もっと言えば趣味だし、期日も無ければ、初心者。宿題って言うなら頑張らなきゃ・・・になるけれど、けれど・・・ね。

そんな中なのだから、凄いでしょ?でも、まれに時間が取れる人がいて、それも無理に何かの時間を捨ててなんて場合があって、そんな事は辞めてね、無理をすると続かなくなるから・・って話なんだけれど、逆に新しい話を聞いたのね。

それは別の習い事があって、それを10年以上続けているらしいのね・・・それならこんな話は老婆心。お見事な話で、それなら続けるコツは知っているはず。ただそれが判るのなら、それでは無い老婆心としては、あくまで初心者なのね。

つまり出来ただけでも、見っけモノなのね。でも既に、けど・・・なのね。そこでどうして、けどなのか?を検証したのね。つまり今の段階は切っただけなのね。つまり仕込みのパーツに気に入らないパーツがあるって事になる。

って事は、その気に入らないパーツが直せれば満足が行く事になる。それならそれを見つけ出す眼さえあれば良いのね。でもどれだか判らないのかと思えば、花を6枚ワンセットの中から、選び出すと、高確率で当てられるのね。

所が明らかに外してしまう事がある。それは気に入ったパーツを残そうとする癖なのね。例えば自分の中の最高のパーツがあったとする。そうなると残りの5枚は見劣りするものになるのね。そいつさえ無ければ、見劣りしないのに。

この考えがまだ判らなかったみたいで、逆にそれを残したいのなら、5枚全てを捨てる覚悟を持たないとならず、しかももっと言えば、同じ形を揃えられる人の考え方だから、それでは揃うまで失敗をし続ける事になる。

自分の100点を残したいが故に、何個無駄にするか?になるのね。そうでは無くて、安定して切れる範囲で、合格を増やす事の方が大事なのね。今その安定感を手に入れれば、例えば60点、58点、61点、59点、58点、57点の6枚なら、

揃っている分、綺麗に見える。しかしながら、偶然の100点、57点、60点、61点、59点、60点の6枚の時に、100点を外して最低の57点以下にしない考え方で切るのと、100点を残す気になると、57点を外して切る考え方の違いは?って話。

例えば前者の場合なら、上手く平均内に切れれば、見劣りもしないし、スバ抜ける事も無いから、綺麗に見える。しかし、後者の場合、偶然の100点から57点の開きがある。こんなに実力の中で、切り直しをした時、100点の出る確立は、

以上に低い。ここで大事なのは低いだけで無いのでは無いのね。これは後でにして、つまり57点以上を出さないとならず、それ以下なら切り直しになる。まぁ数字だと判りやすく単純な話なのね。その判りやすさで続けると、ではもし

60点が出たとしたら?今度は59点を外したくなる。だって見劣りするから。じゃもし失敗をし続けて、偶然70点が出たら?もうポーカーじゃ無いけれど、100点残して全部外したくなるでしょ?ってこんな事になり兼ねない。そしてもう、

こんな事になれば、失敗の数も多いし、時間もお金も掛かる・・・さぁこんなパーツの山で一体何が正しいか?判らなくなる・・・。これはご存知の人もいるだろうが、昔、ヒカルの碁ってアニメがあって、その中に登場するSaiって人を

作ったのね。その時の眼の話。凄い順調に両目が出来たんだけれど、世話になっていた人に、自分がそんな気持ちだから、そんな眼を作るんだ・・・と怒鳴られたのね。まぁ悔しくて壊したのね。その時に出入りしていた奴が来て、

katsuちゃん壊しちゃったの?何で?と聞かれて、理由を話すと、確かに怖い眼していたけれど、迫力あって良かったのに・・・と言ってたのね。その時に出入りしていた中では、そいつの眼はかなり信用出来たのね。だから今でも悪くは

無かったと思っているのね。しかしながら、そこまで言われたら意地がある。そこで直す事になるのだけれど、片目はすぐに出来たんだけれど、さっきの話と同じで、自分の100点が揃わない・・・見劣りしちゃうのね。

だから何度も何度もやり直していると、今度は自分の120点の眼が出来ちゃったのね。そうなると100点も外したくなるのが作り手のエゴ・・・もう何が何だか判らなくなり、結局2つ揃うまで2週間掛かった。しかも、そいつに見せたら、

katsuちゃん、一見穏やかに見えるけど、前のよりもっと怖くなったよ・・・って。俺もそう思うよ。ってな話。その位、こだわると、大変になる・・しかもそれを初心者でやれば、初心者なりのこんな事になる・・・って老婆心。

それと具体的に指導は?となると、ちょっと切って見て・・・って見ると、タイルを持ったらいきなり切ったのね。違うのね、そこが。それじゃいくら切っても揃わない。そうじゃ無くて、書道と一緒で、自分の気に入ったパーツを横に

置いて、それを見て比べて切る事。書道では先生の字だけれど、大事なのは自分のパーツ。それをお手本にするのね。それをしっかり見ながら・・・それを何も見ずに切れば、ただ感に頼っているだけで揃う確立は低くなる。

さっきの6枚の花びらの話と今の自分のパーツが先生って2つあれば、十分是正は可能で、上部も同じように自宅で切って来るみたいなのね。ただ話していて今度は小さい花を中心に・・・って言うので、試しに何個?って聞くと、相当な数

を言うので、余白も美しさだったりするよ・・・のアドバイスはして見たのね。さてどうなるのかな?そんな中、いつか自宅をやりたい・・・って話になり、趣味趣向の話になった時に、エトロって言うワードが出て来たのね・・・。

最初マスク越しだから、レトロかと思ったら、エトロ・・・って言うのね。エトロ?って何?って事で調べると、イタリアでペイズリー柄で・・・と色々出て来て、何と無くだけれど、どんな感じか?って言うのを知ったのね。

良いじゃん・・・こんな玄関あったら・・・。何かこんな模様の玄関あったら、そりゃ知らない人が毎日玄関の前にいる事になるなぁ・・・って思うと、俺も楽しみになったのね。さてそんな後は、昨日問い合わせがあった中学生・・・

昨日の今日でご相談となり、労作展では無いって事なので、何回位か?予算は?とかモチーフは?みたいな質問をして、日程の確認をして・・・具体的になったので、それでは後日って事になり、時間を見るとまだ行ける・・・。

そんな訳でコーナンへ。

彫ったのね・・・早速。後は輪郭を切れば良いだけまでに追い込んだのね。ここまでやれば間に合うのね。そんなこんなでアトリエに戻って、新作4のカランコエ。

抜けたかな?・・・って感じでバックも後半分になったのね。

 


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キウイ教室と新作4のカランコエ

2020-08-19 07:15:43 | モザイク作家

今日はキウイ教室。オンラインの時に随分と進んだなぁ・・・と思っていたが、改めて見るとかなり終わりが近づいていて、ご新規の方には、かぐやの作品と共に非常に興味を持たれているのね。先日、大家さんが見た瞬間、おーやってる。

って・・・それまでは、こんな進まないんじゃ、終わらずに死んじゃうよ・・・なんて茶化していたのに、そんな大家さんにも、進んだ事が判る位、進んだんだろうね。そうね、大作の終盤を判断する重さの感じでも、最近ズシッって感じ。

ただ本来は段々重くなって行くものだけれど、何か月かオンラインだったんで、いつものように段々とは行かなかったが、凄いな・・・って感覚は同じなのね。そんな中、こんな話をしたのね。それは例えば、今10何年か前のキウイの作品

を誰かが見たとする。例えばそれが初心者の人。そうすると、軽く良いですね・・・なんて位の評価だと思うのね。じゃ逆に常連の人だとすると、特に何の引っ掛かりも感じ無いので、誰のですか?って感じに、ご新規にしては上手いかな?

みたいな評価になると思うのね。そして名前を明かした時に、えっ?・・・って感じになる。このえっ?は上手いと思っているキウイが・・・って感じに、こんな時期があったのか?って親近感みたいな気持ちにさせたりするんだろうね。

では、ドラえもんのようにタイムマシーンで、10年後にもモザイクをやっていたとして、今と同じようにこの作品を見て見よう・・・今終わっていなくても、ご新規でも常連でも受けているこの作品は、10年後の評価も変わらない。

判るかな?この意味。つまり初期の頃はまだ楽しみや趣味の枠の中での作品だった。それなら自己満足で作った喜びだけで良かったのだから、人に評価を受けなくても問題は無い。けれど、この作品となると、既に今評価が高い。

しかも10年後も変わらずに。そしてご新規だろうが常連だろうが変わらずに、凄い・・・と。ただ、同じ人が作ったのに、10年前の作品は左程の評価は受けない。では一体どの作品あたりから評価を受ける事になるのか?

それが転換期の作品になるんだろうね。最初の頃と同じで、きっとキウイは楽しみだの趣味だのって気持ちで同じだろうが、もう腕はそのレベルじゃ無いし、こうして世に出せる1品が終わりを迎えている・・・そんな気持ちになる。

そしてキウイがそんな作品を終える事の本当の意味は、かぐやなら弟子なんで、仕事にしたい・・・と励んでいるのだから、上手くて当たり前だし、普通の事でビックリしない。でもキウイが出来た・・・って事は、常連さんみんなに

チャンスはある・・・って言っているようなものなのね。その人その人の大作ってものがあって、試行錯誤して中々終わらずに、しばらく遠のいたりして、何年も掛かってたどり着く・・・でも弟子では無く、あくまで生徒。

その枠の中でも、こんな作品が作れる・・・プロでも無いのに。人が凄い・・・と言ってくれる作品を作れる。そして10年後でも色褪せない作品として残れる・・・だって凄いのだから。ってここまでは、当たり前の話で、今の段階。

ここからはまだ見ぬ先の話・・・そして本当に凄いものなら、プロでも無いのに・・・ここ。最初は誰でもプロなんていないし、目指していても慣れない人もいる。ん・・・正確に言えば、今は名乗れば誰でもプロ。しかしながら、プロ

の定義が、売れる事なら現状は俺でも左程では無いのだから、全くの夢のまた夢のようだけれど、少なくとも俺やかぐやでは無いが、生徒のキウイが認められる作品にたどり着いた・・・そんな作品になっていると思うのね。

後は世の中の評価がどう変わって行くのか?・・・パッと咲いて散って行くはかない芸術もある。けれど、ガッチリ残って永遠の芸術もある。後者の場合、そう簡単では無いが、真の評価を受ける時・・・その日は必ず来る。

って言うと、もう評価を受けている・・・って思うだろうが、ここが最終評価では無いと思っている。もっと高い評価を受ける日が来る・・・と。それはこれを芸術と扱う、そんな日が。そんな後は新作4のカランコエ。

そんな作品の後に出しずらいが、これが難しい話で、モンゴル、Ducatiと大物が続いた後の、15cm作品を5つ・・・米粒に字を書いているようなもので、そこに美を追求しても、限界はある。ただやれるだけは・・・とやってるけれど、

・・・の中では、限界があって、質を上げようにも・・・こんな細かさでは・・・って、その上、キウイの大作。そりゃ嫉妬もするだろうし、比較しないはずも無い。見劣りを感じれば進まないし、違うな・・・と剥がしたり・・・

花はこんなもんだろうが、茎の部分がしっくりせず・・・何度か剥がしたものの、これで良いのか?って、結局左程進まず・・・流石に遺影の横に並ぶ作品・・・そんな簡単には終わらせてはくれないかっ・・・。


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