katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

DIY・・外用のタイルの流し台

2020-02-19 07:19:32 | DIY
今日はアトリエでは初の試みの、外用のタイルの流し台のお教室の方ね。ちょっと何の事か判らない人に説明を入れると、サザエさん宅に三河屋さんがやって来る、玄関とは違うドアがあるじゃない?大抵はキッチン横辺りにあるんだけれど・・・その横に水道があったりするでしょ?あの流し台を作っているのね。

ちなみに使っているタイルはリップルってタイルなんだけれど、普通こう言う細かいタイルって言うのは、30cm角のネットだったり、あるいは紙に張ってあったりして、一括りになっていたりするのね。これが普通の四角いタイルなら、そのまま使いたい寸法に、そのネットごと張るって言うのがタイル屋さんの仕事なのね。

ただ、自分の好きな色でとか、デザイン、更にカットするとなると、そのままって訳には行かないのね。つまりバラバラにしたくなるのね。まぁこのタイルは仕入れの時からバラバラなんで、バラにする手間は省けて助かるんだけれど、更なるハードルは、色んな形が混ざっているので、気にせず張れば問題無いけれど、ひとたび、

選んで列を作ったりすれば、足りなくなるものもあるし、逆に余って行くものも出てしまうのね。つまり暫定位にしか予期出来ないのね。それをなるべく余らせたり、足りなくならないように張るのは、四角いタイルを張っているのとは、ちょっぴり考えなきゃならない分、大変さは増すのね。ただ仕上がりはきちんとした四角では、

無い分、何だか可愛いのね。何かラインがレロレロしてて。それとマットなせいもあるかな?話を戻して、そんな特徴のあるリップルで順番に張って行く・・・って話だけだと、何の参考にもならないだろうから、まずボンド選びとなると、普通に単純にタイル屋さん知り合いとかいるなら、外用のボンドが欲しいって言えば、恐らく

銀のボディのボンレスハムみたいなボンドがやって来ると思うのね、ただもしホームセンターとかで探すなら、恐らく2キロ位の大きさのボンレスハムみたいな30cmくらいの大きさで2500円位~3000円以内で買えるとは思うんだけれど。それをバターナイフなんかで、使う分を取り出してピンセットを使って張る・・・・。


それが大体この手のボンドは、インドのアイスクリーム位、ツノが立つのね。ネバーっとするのね。だからタイルに付ける時に、切れが悪く、あっ・・みたいな感じになり、手を汚す事が多くなるのね。でもそんな時、そのままで進まないで、アルコールの入った手拭きで小まめに拭いて・・・ただ今、手に入りずらいけれど・・・。

それとなるべくグッと張ったら押す。意外とここを軽く進める人がいるんだけれど、この手のボンドは押し方が優しいとタイルが下がっちゃうのね。だからしっかり押さえる。でもこれが押すとボンドが手に付いちゃったり、それが嫌だから少な目にすると、その場は良いけれど、目地幅を合わせようとずらすと、ポロっと・・

取れちゃったりするのね。あっちを立てれば、こっちが立たずみたいな話なのね。それとこうして進んで行くと、上なら落っことす事があっても被害は少ないけれど、こうした側面の場合、自宅だと汚しちゃうから、何しろアルコールの手拭きは用意してあった方が良いと思うし、新聞紙みたいなのを敷いて置く事をお勧め。

更に進めると、段々曲がる所に入ったりすると、もうさっきの張った場所は見えなくなって来るのね。つまり目地幅の記憶を残して置かないと、段々狭くなったり、広くなったり、マチマチになったりもする。そこでなるべくマメに離れて確認するのがお勧め。更に言えば人には癖ってものがあって、右下がりとか左上がりとか

要するに真っすぐ張ろうとしているのに、どっちかにズレるって現象が、長い距離に起こるのね。そんな癖も知って置くには良い機会だったりもするのね。そんなこんな諸注意ありきでここまで進むと、恐らく次回もこの程度は進むであろう・・・になる。つまり終わらないとしても、その次辺りには、上部になると思われる。

そこで次回終わらなくても、宿題として上部をどうするか?考える事なのね。まだ大丈夫・・・終わらないからって思うと、常に当日考える事になるのね。制作するのに構想を常にアドリブ・・・では、質が上がらないのね。その余裕のある1回前にやると、例え答えは出なかったとしても、何かしら考えていた事になるのね。

つまり出なかったけれど、こんな事は考えた・・・でも嫌だし・・・とか、何でも良いから口にする。そうすると、それを元に一緒に考えてあげられるから。でもノープランでは、単なる先生の好みの押し付けになるのね・・それではいつまでもオリジナルにならないのね。考えるって言うのは大変であって、生みの苦しみを味わう

事にはなるが、その分、嬉しさ倍増なのね・・・勿論、乗り切れば・・・の話なんだけれど。まぁこの方はきっと楽しみながら、結構満足な作品を手に入れられると思うのね。何せ出来たら外に置く訳だし、周りの反応、反響ありそうだもの・・・だってこんなの売って無いし、目立つしね。こっちも楽しみなのね。

そんな後は、新モンゴル日馬富士学園の額・・・・まぁこっちも悪戦苦闘って感じで、1つ解決すると、また1つ問題が出て・・・中々のプレッシャーが掛かっているって話で・・・緊張感があるのね。モザイク以外の事で・・・。何しろ苦手なんでね・・・構造や組み立てみたいな事が・・・。後少しでそこから解放されるんだけれど。

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デイ・サービス・・・10名

2020-02-18 07:29:48 | イベント
昨日はビックリなミスを回避出来て・・・そんなこんなのキウイとデイ・サービス、今日も10名。ここの所、安定した10名参加だが、入れ替わりもあって、その都度いくらか顔ぶれが変わったりしているのだけれど、その入れ替わりが終わりの時間に大きく影響したりするもので・・・常にヘルパーさんが1人付いてくれるのだけれど

、例えば初期の頃からいらっしゃる人は、もう何をするのか?判っているので、自由に始めたり出来るのね。そうかと思うと、前回は調子良くやっていたけれど、今回は調子悪く進まなかった・・とか、その人の体調や気分で大きく変わるのね。そこに新しい人が何人いるか?となるから、その人達に1から教えないとならない。

けれど館の都合もあって、常に席が決められているから、必ず初めての人達が一か所に集まっているとは限っていない。そんな中で、始まればスイスイやる人の横に初めての人がいれば、不安にも焦りにもなるし、なるべくそうならないように・・・と見まわるのだけれど、ちょっと待っててね・・・では、中々解決しなかったする。

そんな中のお雛様はかなり無謀なんだけれど、何しろお雛様を選んだ時点で2人で1つのセット・・・どうしても2つ作らないとならない。と言う訳で結果は・・・

となったのね。まぁ何とか逃げ切ったのね。そう何とか逃げ切った・・・そんな感じなのね、大体は。ただそんな中、中々進まない方がいて、でもその方は意外と古くから参加して下さる方で、どうしました?って声を掛けると、こうしたい・・・って事が、扇もピンクが良いんだけれど、着物もピンクが良いって悩んでいるのね。でも

色が被っちゃうから、どっちかにした方が良いですよ・・・と、言ったのだけれど、最初に扇を張ってから次に進めていたのね。こうして悩ませないようにね。でも、既に着物の色を先読みしちゃっていたんだろうね・・・だから悩んで張らなかった。でも結局、どちらかにしないとならず・・・じゃこれで・・・となったのね。でも・・・

そんな中、まだ悩み事があるらしく、まだあるの?って聞くと、こっちとこっちがシンメトリーにならない・・・って言うのね。えっ・・・シンメトリーって。それは無理だよ・・・それよりもここでシンメトリーなんて言葉を聞くとは思わなかった・・・って、そっちがビックリ。するとヘルパーさんがシンメトリーって何ですか?って。

そうね、聞き覚えが無くても良い気もする。ただ左右対称って意味なんですよ・・・って言うと、やはりヘルパーさんも驚いていたのね。それはそうなのね。みんな一生懸命切って張るので精一杯な感じなのに、シンメトリーって・・・。ってデイ・サービスだってこんな事は起きるのね。つまりこだわる人はいつまでも・・・。

そうね、若い頃腕が達者でいたなら尚更こだわったと思うのね。それが年配になって、段々と眼が見えづらくなったり、器用に手が動かなくなったり、肩こりだったり、集中力が続かなかったり・・・って、色々とあって、そうなるとそんな人が一番大事だったこだわる・・・って事から離れがちになるのね。だって上手く出来なく

なるから。やった所で自分の結果に満足出来なくなるから。でもね、モノ作りの好きな人って言う人は、やりたくなっちゃったりするもので・・・こんな葛藤がある。これが純粋に楽しめるのなら、出来たぁ・・・で満足が行くし、結果としてもこうして数時間で持ち帰れるのだから、新鮮であったりもする。中々デイ・サービスで、

モザイクって言う分野は珍しいだろうしね。きっとこんな方は、時間を掛けてもっと凄いの作りたいんだろうな・・・とも思うのだけれど、そうも行かないから、何とかその中で個性が出せると良いな・・・と手助けもするが、何せ終わるのに必死って人がいれば、そっちが優先になったりもして・・・だから常に逃げ切ったって

表現になる。簡単に言えば当日渡しが出来なかったら、逃げ切れなかった・・・になるんだろうけれど。これが陶芸なら、誰もが今日は持ち帰れない・・・と判断してくれるだろうが、モザイクは?と言うと、ほぼ大多数の人は、持ち帰れる・・・と判断しはているもので・・・だから、結構大変なのね。何しろ目地をするからね。

そんな事があったりする中、こうして終わるとホッとするのね。何とかなった・・・ってね。毎回。なるべくみんなが持ち帰った時に、誰かに見せて、その人達との話題の1つになるように・・・ってイメージして考えているので、そうなると良いな・・・と言う為にも、季節モノは間に合ってなんぼなのね。だから今日も良かった。

そんなこんなでアトリエに戻って、片付けと新モンゴル日馬富士学園の額を少しだけ張って・・・確定申告の準備。

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新モンゴル日馬富士学園の額の下絵と・・・

2020-02-17 01:58:51 | モザイク作家
今日は新モンゴル日馬富士学園の額の上部の下絵と寸法やら下地について。これが単に下絵としても、今までのモチーフにこれから描く絵があっているか?なんて事でも大きさが大きいだけでも難しいのに、天井までの寸法がここまでとか、壁側にも制約があって、尚且つあくまで額縁なんで、決まった寸法があるのね。

更に厚みを出したいから下地を重ねないとならず、そうなると当然材料代はアップするし、手間もまた余分に掛かる。しかも重さも加わる訳で。更に輸送にも規制があるから、何等分かに分けなきゃならないから、全長を何カットするか?になる。けれど単純に4等分とかでは無く、このデザイン部は分れない様に・・とか考えると、

更に余分に気を使わないとならず・・・何度も何度も計っては描き込んで・・・実際問題として、果たしてその重さのものを組み立てる事は出来るのだろうか?って事になったりして・・・現地に行けないので、念には念をになる。更に下絵もモンゴル色を出すには、モンゴルの方が誰でも判る古典的な模様が必要になるのね。

ここをモンゴルの事を調べて、自分のデザインで・・・なんてやると、風味位は出るかも知れないけれど、もし今の段階で日本色が強く出ていたとしたら?それを打ち消す位のモンゴル色は?となったら、そのままをシンプルに使いたい訳で・・・しかしながら、気に入った模様を見つけたとしても、丸いデザインだとしたら?こっちは

額なんで四角い・・・となると直角の角のデザインが折れてしまう事になる。つまりその角に何らかの新たなるモチーフが欲しくなる。それはすぐに決まって、軍配なんてもんが浮かんだんだけれど、そもそも軍配は1人なんで2つはいらない・・・つまりもう1つ何らかのデザインが欲しくなる訳で・・・。左右対称なら、1つのデザイン

で使い回しが出来るが、そうなるとまた下絵を別に描かないとならず・・・しかも原寸では描けなかったりすれば、コンビニで拡大やら縮小が必要になる。こんな次から次に悩み事が増える中、やっているとかなり気持ちが削られる・・・あれをやるとこれがダメみたいになるから・・・更にこれで平気なのかな?みたいに。

そんな中、明日のデイ・サービスの支度をしようとしたら・・・あっ、仕込みがやっていないって気が付き、夕方からタイル張り・・・何とか間に合ったが、こっちにばかり気を取られて・・・危なかった。

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キウイ教室と新モンゴル日馬富士学園の額の是正

2020-02-16 07:40:18 | モザイク教室
今日はかぐやが帰って、午後からキウイ教室。その間は新モンゴル日馬富士学園の額の上部の下絵・・今の状況は日本色の部分だけで、これからはモンゴル色を出して、いかに溶け込ませていくか?になる。最初のモンゴル大学では、あくまで額だから・・と、出展の先生側で考え更に、校長先生が韓国の方だから・・・ハングル

文字を入れて見たりした。その流れを汲んで2回目は、正面だった事もあり、華やかさも欲しかったんで、コロで桜の花で色を付けたりもした。ローマの時は、日本色を濃い場所と言う話だったんで、金魚なんかも入れたりもした。そしてまたモンゴル・・・その時は、美術館って事で、初の試みでモンゴル一色だった。

そんな事を踏まえての今回は、恐らく同じような大きさの額なのに、一番タイルを張るスペースを多くなっていて、完全に日馬富士に関係している相撲を取り入れている。そうね、確かに今までとは違って、日馬富士って言うワードが日本語で感情移入しやすい事もある。ただ逆にでもモンゴルの人でもある。ここが重要であって、

今までもそう言う事に寄せては来たんだけれど、今回のワードの相撲は今までの遠慮気味の寄せ方では、貧弱なものになり勝ち・・・そうなると、それを踏まえて文字にすると、ドーンと相撲色って言うと、ドーンな分だけ日本色になるって事なのね。それではバランスが悪いのね。何せモンゴルの人なのだから。つまりドーンに

負けないモンゴルのドーンが欲しくなる。ただドーンでバランスを取ろうとするには、それと同じ分の面積が必要になるのね。例えばこの話を料理とするのなら、日本食と同じ量のモンゴル食を・・になれば、お腹一杯って感じになる。それをメインに日本食と言うのなら、前菜と飲み物やデザート、サラダをモンゴル食で・・・とか

いや、店の雰囲気をモンゴルにするか?とか、ご飯の部分を半々にするハーフ&ハーフなのか?要するに融合とか、合体とか、そのたどり着きたい言葉の意味する所は何処か?でニュアンスは変わって来る訳で・・・。そんな事を踏まえて、残りの額縁部分のスペースでいかにモンゴル色を出すか?になっている。

ただここまでの話はそれでも単純な事であって、本当は、日馬富士や学校の先生、生徒さん、出展の作家さん、美術会社、そして俺・・・みたいな人がいて、その人達に感情移入をして貰うには?みたいな事が大事で、相撲を使えば、相撲好きには解決するし、モンゴル色を入れれば、モンゴルの人達も解決する。こうして、

解決って言うような回収をどうやってするか?となると、難しいのはお金を出してまで出展なさった作家の先生や美術会社をどう回収すれば良いか?になると、美術会社さんは先生方が喜んで下さり、趣旨として賛同を得られれば、解決するのなら、先生方の回収となるだろうし、ではどうしたら良いか?になる。

こうして全てが回収出来るとは思わないが、1人でも多く感情移入出来るような意味を持つ額にするには?・・・は単純作業では無く、しかもそのテーマが大きければ大きい程、お前ごときに言われたくない・・・って人もいるはず。これがテーマを持たず、単に可愛いとか、派手とか地味とか、きらびやかとか、見たまんまの

表現だけで済む事は単なる見た側の好みで決まってしまうが、テーマがあるって言うのは、その人その人の解釈で重みが増したりする訳で・・・感情移入と言うのはそう言うものだったりする。ただ反面、薄ら面倒な話で、立派な人が言えば通る話も、俺ごとき・・・と取られれば、その意味すらも判らないし、鬱陶しい。

要するにそこに意味を持たせるって言うのは、単なる額とは違うもので、それを超越すれば、凄い・・・となり、賛同を得られるが、逆に主張をした分、反動として受け入れられない人もいるはずで・・・今回はある意味、かなりのリスクを負った制作気分ではある。ただ決まれば主張した分、得られる事も大きいはず・・・。

そんなこんなでキウイ教室。今切っているガラスタイルはほぼ切って使うものでは無いが、上手く切れると、透明な分、水面のキラキラ感がリアルになる。今はそこばかりなんで、目立っているが、緑のガラスタイルが囲まれて、馴染む事になれば、かなり効果は期待出来ると思うんだけれど・・・。ただひたすら大変。

何しろ地味な事は後になって報われるものだったりするから、華やかな部分のメインな場所からすると何しろ目立たない。しかも果てしないしね。ただここまで来ると、今更・・・って話なんで、いつもの分終われば、また先に進めた訳で・・・その繰り返しなのね。そんな後は、前半の下絵とは違い、現状の是正。

昨日までかぐやとやっていた場所が、果たしてこのままで大丈夫か?となった時、連日遅くまでやっていたので、当然疲れもある。その中でやった事・・・果たしてセーフなのか?となった時、目と口に違和感を感じ、少しだけ手直しをした。ただ大幅に全面撤回って話では無く、数mm多いとか少ないとか・・・ただそんな事が

かなり大きく変化するものなのね。でもね、夜中の制作って言うのは、何か夢中で終わったぁ・・・と駆け抜ける感じになり、朝見ると違っているな・・・と感じる事が多々あったりもする。しかしかぐやと2人で、その時は納得していたのだけれど、最後は責任者としてこれで良いのか?って思った時、是正を選んだ。

弱々しい眼も嫌だが、威嚇するようなのも嫌。何せ子供達にも見せるのだから。しかもどうだ・・・と言わんばかりにも見えてしまったりもするはずであって、半信半疑・・・こっちの眼は上を目指したい・・・でもこっちの眼は戸惑い・・・みたいな、2つの眼が意味する事が違っている方が、両目の大きさを揃えて補修とは違い

難しく、果たしてそう見えるのかな?出来るのかな?は直して見ないと判らないし、是正前をしっかり確保しないと、元には戻らなくなる・・だから本当に難しい。勿論、直す腕も、気持ちも・・・。何しろ剥がすのだから。その時は最善と思ったものを・・ただ、だからこそとても大事な事であって、勇気もいる。ただ、逃げ切れれば

良くなった訳で。少し安心もする。何しろ下絵も考える、是正も考える・・・では結構きついが、直して良かったって言うのは、緊張の緩和になる訳で。もしそれが僅かな余裕を作れれば、それで下絵に取り組みたい訳で・・・。まだまだ果てしなさがある。




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新モンゴル日馬富士学園の額の4日目

2020-02-15 06:46:39 | モザイク作家
今日もかぐやと新モンゴル日馬富士学園の額の4日目。やはり案の定、進み具合としては、思った以上に進まなかった。まだ張る前の想像では、両サイドが終わるのでは無いか?と思っていたが、縁取りを回している段階で、両サイドなんて言うのは無理なんだな・・と思い、1.5位かな?と予定したものの、結果としては片側分しか

終わらなかった・・・そんな感じ。正直かぐやと2人でこんなに進まないのかぁ・・・って言う感想だけれど、こう言うもんなんだな・・・と思い知らされた感じでもある。まぁ、何も考える必要が無い縁取りの段階であれだけ時間が掛かるのだから、中身のラインを考えながら探れば、当然の結果だとは思うのだけれど・・・。

それにしても、もう少し何とかならなかったかな?って是正を考えないと、次回に活かす事が出来ないからね。それと、挽回の為、どうやってリカバリーするか?・・・何しろまだ完全に下絵が終わっている訳では無いのに張り出している状況なんで、残りのデザインを考えないとならないし、下地も作らないとならない状況・・・。

ここで時間を取られると、まだやらなきゃならない事があるので、困る事になるし・・・いずれにせよ、ここまで進まないのかぁ・・・と、見積もりの甘さが出た感じ。ただ質は悪く無い事だけは満足している。何とか巻き返したいものである・・・。まぁ、今まで以上にタイルを張っているので、仕方無し・・・って気はするが・・・。

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新モンゴル日馬富士学園の額モザイク張り出し3日目

2020-02-14 07:45:52 | モザイク作家
今日もかぐやと新モンゴル日馬富士学園の額のモザイク、張り出しの3日目。黒で縁取りが午前中には終わり、想像していた進み具合から半日遅れた気分・・。そんな中、いよいよ色を入れるんだけれど、昨日かぐやに縁取りを任せて、いくらか様子を見る為に黒の部分を埋めて見たが、結構な時間が掛かったのね。それも同時

進行で終わったんで、午後からそれを見てかぐやに、もう1つをやって貰っている間に、次の展開を・・・とやっては見たけれど、これが更に思った以上に進まない。正直、かぐやがいる間に、両サイドのモチーフが粗方終わると踏んでいたんだけれど・・・こうなると2つでは無く1.5位しか終わらないのかも・・・と言う感じ。

ただ全て勝手な想像であって、気分も予定も立て直しって話で、内容は特に問題無いし、ある意味完成に期待が出来る雰囲気も出て来たし、手ごたえはある。後は単なる縁取りでは無くて、中身を進めようとすると、どんな流れでやるか?となると、考えながら・・・って事が、まだ不慣れな分、ペースが上がらないんだけれど・・・。

もう少しやれば、そっちもいくらか解決するのかな?・・・って感じではある。

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新モンゴル日馬富士学園の額の張り出し2日目

2020-02-13 00:09:55 | モザイク作家
今日は新モンゴル日馬富士学園の額の2日目。右側の縁取りが終わったんで、今度は左側なんだけれど、結果的には終わらなかったのね・・・ほぼ似ている量だから終わるんじゃないか?とも思ったし、けれど、そんなに上手くは行かないかな?とも思ったりもしたんだけれど・・・。やっぱり簡単には行かないのね。

先日は両目を揃える事は難しいって話をしたが、正直今日は上手くすり抜けられる気はしていたのね・・・それは昨日のかぐやとは違うのね。昨日はやる気で来ていたし、楽しみにもして来たはず。ただ、もしやっていれば何とかなるって気持ちよりも安心したら、普通の縁取りも眼も一緒に考えて進めたと思うのね。その時に、

逃げ切れれば痛み無しで終われるけれど、もし引っ掛かってしまったら?逃げ切れていた分、焦りも出るし、進まない時間って不安にもなる。しかも眼1個に3時間以上・・・そりゃね。更に一緒にやっているから、待たれているような気分ってね・・・そんな2日目。痛みを知れば、是正も出来る。ただ是正は腕の話じゃなくて、気持ち。

そんな事になるんだな・・・って警戒すれば、最初から気楽な感じは薄れるし、そこに行くまでの時間を稼ごうともする。ただ、昨日は鼻も口も俺がやったんだけれど、今日はかぐやに任せようと決めていたので、当然時間は掛かるとも思っていたし、体で挽回しよう・・・なんてあおって見たけれど、今日は一切せず、終わるまで

移動せず、縁取り以外に手を付けたりしていたのね。すると、体には入れず終わってしまったが、それはそれで1日目に体はこんなペースで終われるって言う経験値もあるし、問題無し。それ所か、眼はお互いにすんなり切り抜けられたし・・・だから何で昨日と同じように進めなかったんだろう?なんて気持ちになっていたみたい。

ただ、トータルすれば元に戻るはずなのね。その分、俺が余分な事していたのだから・・・。先を読める時間を貰ったし・・・。

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かぐやと新モンゴル日馬富士学園モザイクスタート

2020-02-12 07:56:32 | モザイク作家
今日はかぐやといよいよ張り始め。やる事は下絵をリップルの黒で縁取り。モザイクの経験者だったり、かぐやや俺の実力を知っている人なら、単なる縁取りじゃん・・・って思われるかも知れないが、タイルを張る、切るって事と、絵を作るって意味は大きく違う話なんだけれどね・・・。まずは失敗をしないだろうって場所から、

タイルを切るって行為を始める。そこで失敗のダメージをせずに、タイルを切るタッチに馴染むのね。そして1時間位経つと、結果として2人でこの位のペースで、この位のグレードで進めるんだな・・・って目安が確認出来るのね。勿論、まだ疲れも痛みも無い状態で・・・なんだけれどね。そしてこれが一番簡単な部分だって事。

例えばこの縁取りの話って、もしパソコンみたいな機械の線を切って行くとなると、幅を揃えてずっと進むのだから、半分にするとか、3分の1とかルールで切れば、お互いに意志の疎通は取れるし、技術が均等であれば、どちらが切ったパーツであっても、区別が付かなくなるものなのね。つまり2人で作っても1人のように

なる。それがクネッと曲がるカーブになると、さてどう切る?って事になると、人に寄って長さも変わるし、一見、色は黒で同じであっても切り方で雰囲気は大きく変わるのね。でも、俺の教えた生徒なら、きっとこうなるだろうな・・・って思うだろうから、恐らく腕は違えど考え方は似ているだろうし、かぐやだから俺とは違わない。

だからここも一緒。そこに複雑さを加え段々細くとか段々太くとか、変化が必要だと、例えば筆タッチなら、ドンと置き、一度止めてからのスウーっと引いての時に、筆を引くから細くなり、止める時にグッとストップさせたりして、そこからはねたり・・・みたいに明らかにボールペンやマジックのタッチとは違って来る。だから、

当然どんなタッチ?って質問が来るはずだから、こんなタッチで・・・って言うと、こんな感じ?って返って来て、10cmもやってもらえば、じゃそれで・・・なんて事になる。だからここにも変化は無いのね。ここも全て時間が解決の話になるのね。所がそんな簡単な事ばかりなはずも無く、様子を見て一番重要な場所となると、例えば

生き物の目なんて作る時、2つがそれなりのバランスが必要になる。それが例えば花とかの場合に2本なら、1本ずつ作って差が出て当然だし、けれど咲いているのとつぼみだったり、色が変わったりするだけでも、雰囲気は大きく変わるのでそれもビックリする程、問題にはならないし、もっと言えば数を増やせば、量によって

豪華にも見えたりもして、色んな方法はあるが、目はそう言う訳には行かないのね。例えばさっきの単なる縁取りの場合は、タッチだけの問題だから、大きさ、幅だけだし、カーブにしてもこんな感じって言う切り方がある。けれど目の場合、優しい眼、怖い眼、なんて言う喜怒哀楽が付けられたリする。そうなると、お互いの

感じ方でのすり寄せだから、綺麗な好みとか、味の好みなんて感じの話で、微妙な表現の食い違いなんてもんが大いにある。ただ、こう言うと勘違いしがちだけれど、同じ人が作ったらどんな事が起こって、違うとどんな事が起こるか?・・・なんて何か話がごちゃごちゃになりそうなんだけれどね・・・。一旦、話を置いといて

・・・確かピカソだったかな?自画像を描いた時に老いてから、やっと子供らしい絵が描けた・・・みたいな話。この話の解釈を俺なりに考えると、著名な画家なら技術はあるはず。つまりデッサン力があるはず。それなら子供と比べて技術が負けるはずが無いのね。そうなると、やっと・・・のやっとは何だ?って事になる。

それは技術じゃない部分な訳ね。そうなると、何が?になり、子供の絵を思い浮かべると、眼がずれていたり、鼻が曲がっていたりする。そうなのね、人の顔は左右ずれていたりするのね。子供は技術は無いけれど、見たまま描いているのね。けれど、良く見てズレ過ぎちゃうんだろうね・・・きっと。技術が無いから。

けれど、それでは美しさが損なわれる。だから大人で技術があると補正したくなる。ここにたどり着くのに時間が掛かった・・・って解釈なのね。俺は。つまり1人で作る時は、それを踏まえて揃えるとか、揃えないとか・・・とやっているのね。けれど、それは単なるバランスであり、上っ面の事なのね。もっと奥にある話が大事。

それが最近良く聞く、伏線の回収って話。人はこんな事に感動をしたり、感心したり、共感したりするのね。本当に凄いのは技術も必要だけれど、その伏線を張る技術って考える行為が必要になるのね。例えば、俺は常に願う事と憂う事を柱に、良い事と悪い事とか、比較対象を使ったり、そこに意味を持たせたりもする。

簡単な場合、家族構成。男が2人に女が2人なんて場合、花なら4本色違いで・・とか、星座、花ことばだったり、子供に彼氏や彼女、いや婚約者とかになれば、虫がやって来たり、近隣、環境、状況・・ありとあらゆる事を考えたりもする。勿論作品の場合ね。でもこれが表札なら、そんな事はいらないでしょ?でも今回はいる。

そうなると、どんな目?って考えないとならない。でもね、普通下絵通りに切れば良いんでしょ?・・・と思いがちなのね。勿論、さっきまではそうだった。でも目。世の中は二重に整形を考える事がある。それならとんでも無くこだわるべきなのね。輪郭だって内側の線と外側の線なら、2cmは変わる。何せ大きいからね。

2cmも変わればかなり太るよ・・・って事になる。つまりこだわれば数mmは命取りになるのね。だから意思の疎通。どの位?が常に大事になるのね。例えば薬。大人2錠って・・・俺も相撲取りも一緒?って話。つまり制作するって言うのは、薬剤師みたいになるのね・・・この人の場合、どんな調合にする?ってね。

こんな考え方を踏まえて、最初は似ているって言う事を意識して、モチーフの魚、花、鳥、景色・・・みたいに真似る練習。けれど、それを超えるには、どんな?を全てに付けると、どんな魚?って付けると、うっかりすると、サバだのアジだのって品種を言いがち。違くて、どんな比喩とか、どんな意味?って部分の話なのね。

例えば孤独な魚・・・となると、迷子になっちゃったのかな?とか、敵から逃れるのに必死で群れとはぐれたのかな?いや、連れ添いと別れた後なのかも知れないし、子供がはぐれたのかな知れない?・・・みたいに。それを竹内まりやさんなら、救済してくれるから、切なさのみにはせずに、けれど・・・って希望を入れてくれる

。遊び心と言うのなら、例えば、水戸黄門の主題歌の一節に、いきようよ・・・って歌詞がある。それを漢字にして、生きようよ・・・にすれば、頑張れとも聞こえる。しかし、これを意気揚々・・・って聞こえたとしたら?ケセラセラぁ・・・とも聞こえる。つまり1つの言葉で、色んな意味を持たせる事で、広がりが変わって来るのね。

例えばスキマスイッチさんの全力少年では、おいてかれんだ・・・って歌詞がある。この場合、置いて行かれるんだ・・・とも聞こえるが、老いて枯れるんだとも聞こえる。つまり絶望感が大きく変わって来る。こんなさじ加減が、聞く側の気持ち1つで変わる様に、作者に伏線を張られている訳で・・・。まぁ毎日、かぐやとはその

感じ方のやり取りはしているが、常に電話・・・表情は見えない。しかし、目の前にいる場合、全ての行動が視覚から入る。いつも聴覚だけなのに・・・。だから微妙なニュアンスの違いがいつも以上に判る訳で。それをすり寄せ行為の違いが満足するまでやれば、当然時間は掛かる。昔、ヒカルの碁のsaiを作った時に、目を

ある人に、お前がそんな気持ちだから、そんな眼を作るんだ・・・と言われて、悔しくて剥がした事があって、その時に来ていた友人がそれを直す為の相談相手の目になってくれて・・・2つの目が揃うまで2週間掛かった事がある。しかしその眼は以前よりも静かなのに恐ろしい程、怖かった・・・そいつだけはそれが判った。

katsuちゃん今の方が恐ろしく怖いよ・・・でもこっちのが良いってね。そうね、そんな経験があるから、それをかぐやと目を1つずつ作るって決めていたのね。だから結構な時間は覚悟していたし、もしかすると最後は俺がやらないとならないのかな?・・・とも思っていたけれど、何とか3時間位で済んだのね。ただお互いに

結構向き合い疲れしたかもね・・・。でもかぐやは有難うございました・・・ってほっとしていた。そうね、かぐやに取ってはこれこそが、お教室であり、お稽古だし、日頃の成果を見せる時だし、もっと言えば、それが上手く行くのなら、ライバルとして俺は迎え撃つ気持ちじゃないと、同等なら教える事は無い訳で・・・。

ライバルとは上手いから切磋琢磨になるし、勝ち負けにだって繋がる。上を目指せば切り掛かっても来るし、当然俺ばかりが正しい訳じゃない。でも、それを決めるのは責任者である俺なんだけれど、何処まで任せられるか?となると、ライバルとまで言うのなら、グランメゾンの最終回のようになるし、覚悟が問われる。

お互いにね・・・勿論、朝ドラでも同じ。傷付け合う事もある中で、一緒に作るって言うのは、そうした経緯あっての作品なのであり、ただ出来たでは無くて、いかにプロとしての伏線などのテクニックを入れられるか?なんて事が俺には大事な事なのね。大体、かぐやに切る張る技術なんて言う事は無いのね。そんな後は、

色々と訳あって千葉に行く用事があり・・・

katsu散歩。少しの時間だったけれど、その割に通行人よりもキャッチのお店の人に声を掛けられたりして・・・それなりの成果があったのね。

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新モンゴル日馬富士学園用の下地の手直し

2020-02-11 07:28:12 | モザイク作家
今日は昨日のコーナンで切った、新モンゴル日馬富士学園用の下地の手直しをアトリエの外で・・流石に5mx2mの大きさ。大家さんに話すと、今日は誰もいなくなるし、良いよ・・・って事で外に出すも、パーツが80cmが5本に1mが4本・・結構な量なのね。しかももう絵になっているから、何だかは判ったりするのね。すると、向い

の板金屋さんが友人とやって来て、katsuちゃん今日のは大きいなっ・・・何?額なんだけれどね・・・と説明をするもバラバラなんで、言葉よりも見せた方がと、組み立てると、凄いな・・・って、言って貰えて、その友人も、一体これは何屋さんって言うのかな?って言うんで、それ困るんですよね・・・いつも。って言うと、板金屋さんが、

すかさず芸術家だよ・・・って言ってくれたんだけれど、正直嬉しいけれど、こっちもみんながそう思うようになったら・・・って事で、なりたいな・・・とやってます。と答えたのね。すると、だろうな・・・こんなの見た事無いし・・・って。こう言ったシーンを何度と無く出くわして来たけれど、実はここまでは不得意な分野なのね・・・。

つまり素人。まずデザイン・・・誰に習った訳じゃ無いし、先日も美大出のかぐやの娘に手直しを手伝って貰った訳で・・・そして額になる図面も同様で、どうしたらそうなるか?なんて誰にも教わっていないから、もし判らなかったら、こんな事したいんだけれど・・・とに器用な大家さんに聞くなんて事になったりするも、今回は自力。

そして木を切る。これも大工さんに刃の取り換え方と諸注意のみ聞いて、ここまで出来るようになった。そもそも切り方としても、ジグソーって機械をこんな使い方している人を見た事は無い。つまりプロがいないなら素人ってくくりしか無い訳で。ただ、ただね、モザイクとなると、それを仕事にしている人はいる。となると、比較し

て貰える訳で・・・プロがいるのならそこには意地を張りたい訳で。つまりこの工程の中で一番得意なのはモザイクなので、まだ何1つ得意な事をしていない事になる。それなのに、今の段階で凄いね・・・と言われた2票は嬉しいけれど、これから・・・ここからが挽回出来るって気持ちになるのね。いつもいつも・・・そんなこんな中

、手直しが終わり、今度はアトリエ内で2枚重ねて切ったものを合体。そんな単純な作業も何しろ大きいから、結構面倒な事で・・・それでも何とか逃げ切って。ただ今晩かぐやが来るので、送迎も考えると、切り良く終れる事を考えると、縦の額縁のデザインを追加する部分の大きさを決めて描いたりして・・・。その後送迎。

そのままアトリエに行くと、下地を見るなり凄い・・・と言うものの、特に反応が無く、良いね、その反応って・・・って話。例えば大きさ。ここは思ったより大きければ、朝の板金屋さんと同じで驚いたりもする。勿論かぐやもそうであったが、必要以上にビックリはしなかった。しかも凄いとも言った。ここも同じ。では良いね・・・の

意味は?って言うと、仮にこれが外仕事の床だったとしたら?こんなには落ち着いてはいないだろうし、経験値が浅い分、出来ない事もある。しかも大きいとなれば委縮もするだろう。がしかし、室内であれば人に見られる緊張感は無く、いつものボンド、いつものタイル、そして道具・・・モザイクに関して心配が無いのね。

だから楽しむ方向にある。緊張はしていないし、前のめりな感じも無い。随分と落ち着いているのね。しかもこれが完成した後のイメージすらも出来ている。つまり以前の外仕事の時のようなかぐやでは無いと言う事は、俺はそこに時間を取られなくて済む事になる。つまり余裕が出来た事になる。何とも頼もしい話。

そうなると今度は良い事と悪い事は背中合わせで、今度はライバルになる。自分の考えって言うものがあったりもする。これが苦手だったり、気後れしていたら、そんな事は起こらない訳で。それを踏まえて、大事なのは一緒にやると言う意味。例えば昔は2匹いたら、1匹ずつやったのね。それが個性としたから。

ならば今回も左右に2つあるのだから、1つずつやれば良いのだけれど、それが違っていて、これがオスメスみたいに違うモノなら良いが、同じ個体の場合、比較をする。その時に可愛いものは弱々しく見えたりもするし、強そうは威嚇にも通じる。例えば風神雷神を俺とかぐやが1人ずつやってしまっては、極端な差が

出てしまうと2つ似た雰囲気が出ない。つまり今回は一緒に同じものを同じように作らないとならないと思うのね。つまり理想は俺がやったか?かぐやがやったか?判らないように・・・その意味は、個性はいらない。ただひたすらルールやマニュアルを作って共有する。それによって、下絵の個性のみでモザイクをする。

ある意味、モザイクする人の個性じゃ無くて、下絵を生かして真似るだけ・・・しかしこれこそが本来の商業モザイク。良い勉強になるはずなのね。そして思った通りになるのなら、えっ?って位の時間で終わって行くはずなのね・・・。そしてそうなる1歩目が気なのね。気ってものは、元気、勇気、負けん気、根気、病気・・・と気が

付く言葉があり、腕や技術も必要だが、気がどんな状況であるか?は気分・・・なんてこれもまた気。そう言う点では、かぐやに気負いも気後れも無く、やる気のみであり、後は時間が解決する気がする・・・そんな話。そうそう、一応、気って言うのなら、気は心とも言うので、こんな事をしているのね・・・

以前モンゴルで買ったバック・・・この仕事に入ってから使っているのね。心はモンゴルにあり・・・。

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新モンゴル日馬富士学園用の下地

2020-02-10 01:51:21 | モザイク作家
今日は昨日コーナンで切った両サイドの細かな直しから・・・。あっここ穴開けるんだった・・・みたいな。その後、下の方の下絵写しとなるのだけれど、何しろ縦は2m・・こっちは何とかなったけれど、上下は5m・・・となると、5分割にしたって1m。もうある程度写したら、外じゃないと出来ない・・・。所が左右対称じゃ無いから、

バランスを見ながら整えないとならず・・・3枚目までは何とか切り抜けるものの、何しろ大き過ぎて脚立に乗らないと全体が見えず・・・結構手間取ってしまったのね・・・ようやく写し終わって夕方またコーナン・・・流石に連日、更に巨大・・・結構店員さんにも覚えられたようで・・・それはそれで知られるのも大事なのね。

そうやってunidyの時も作品展示や体験の仕事も頂いた事もあるので・・・ね。これでまた明日、手直しすれば3か所終わって、後は上のみ。まだそこはデザインも中心部しか決まっていないから、細かな事はノープランなんで、描かなきゃならないんだけれど、もう現物に当てはめて描かないと、様子を見たいのね。それと色々と

やってしまったんで、残りの上のスペースが高さの計算だとあとこれだけ・・・の計算上と実寸の誤差なんかも見て見たいし・・・いずれにせよ、後少しなんだけれど、ここまでは完成しても、出来たのは絵としてみたいな部分で、額として、今度は工夫をしないとならず・・・しかもまた木を買うにも何枚もになるし、むやみにって訳に

は行かないのね。しかも段々手狭にもなるし・・・・。ただ随分とカッコは付いて来た感じではある。

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