学び舎で遠い昔をはせしのぶ
君が想いを照れつつ語る
一昨日は、校内研究会でした。国語科の先生が授業をしました。古典「枕草子」の単元でした。古典であったけれど、生徒たちはしっかりと学習を深めていました。
「枕草子」は今で言う「エッセイ集」です。このエッセイ集の中に清少納言のいろんな思いが詰まっています。また清少納言は、百人一首の句の
「よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ」
を創っています。
31音の中に清少納言の思いを伝えています。「枕草子」の第一段覚えていますか。かつて古典の時間に習って懐かしい思いがします。
春はあけぼの
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。
冬は、つとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。
(現代語訳)
春は、あけぼのの頃がよい。だんだんに白くなっていく山際が、少し明るくなり、紫がかった雲が細くたなびいているのがよい。
夏は、夜がよい。満月の時期はなおさらだ。闇夜もなおよい。蛍が多く飛びかっているのがよい。
一方、ただひとつふたつなどと、かすかに光ながら蛍が飛んでいくのも面白い。雨など降るのも趣がある。
秋は、夕暮れの時刻がよい。夕日が差して、山の端がとても近く見えているところに、からすが寝どころへ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽などと、飛び急ぐ様子さえしみじみとものを感じさせる。ましてや雁などが連なって飛んでいるのが小さく見えている様は、とても趣深い。
日が沈みきって、風の音、虫の音など、聞こえてくるさまは、完全にいいようがない。
冬は、朝早い頃がよい。雪が降った時はいうまでもない。霜がとても白いのも、またそうでなくても、とても寒い時に、火を急いで熾して、炭をもって通っていくのも、とても似つかわしい。昼になって、寒さがゆるくなってくる頃には、火桶の火も、白い灰が多くなってしまい、よい感じがしない。
古語で書かれていると、なんとなく難しい表現のような気がしますが、現代語訳で見ると、書かれている内容は、「なるほど・・・」と思いが一致します。生徒たちに「自分の体験と重ね合わせて感想を伝えて下さい。」という授業を展開しました。
思いを綴っているエッセイなので、生徒たちも「枕草子」の思いを汲みいろんな編から感想を書いていました。
生徒たちが少し照れながら発表をしました。
「祖父は助からないかも知れないと病院の先生から言わました。しかし、手術を受けて祖父は頑張りました。今も病気と闘っていますが、これからも長生きをしてほしいです。」
「サッカーを見ているとき、相手の選手が倒れました。そのとき、敵のチームの選手が故意にボールを外に出して倒れた選手に寄り添っていったシーンを見て感動した。」
などと、またふだんの学校生活の中では感じることのできなかった生徒の優しさや感性にふれることができ、感動をしました。
この授業の前日も、生徒の会話の中で心打つものがありました。いろんな体験をしながら、生徒たちはしっかりと心豊かな青春期を迎えています。
君が想いを照れつつ語る
一昨日は、校内研究会でした。国語科の先生が授業をしました。古典「枕草子」の単元でした。古典であったけれど、生徒たちはしっかりと学習を深めていました。
「枕草子」は今で言う「エッセイ集」です。このエッセイ集の中に清少納言のいろんな思いが詰まっています。また清少納言は、百人一首の句の
「よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ」
を創っています。
31音の中に清少納言の思いを伝えています。「枕草子」の第一段覚えていますか。かつて古典の時間に習って懐かしい思いがします。
春はあけぼの
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。
冬は、つとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。
(現代語訳)
春は、あけぼのの頃がよい。だんだんに白くなっていく山際が、少し明るくなり、紫がかった雲が細くたなびいているのがよい。
夏は、夜がよい。満月の時期はなおさらだ。闇夜もなおよい。蛍が多く飛びかっているのがよい。
一方、ただひとつふたつなどと、かすかに光ながら蛍が飛んでいくのも面白い。雨など降るのも趣がある。
秋は、夕暮れの時刻がよい。夕日が差して、山の端がとても近く見えているところに、からすが寝どころへ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽などと、飛び急ぐ様子さえしみじみとものを感じさせる。ましてや雁などが連なって飛んでいるのが小さく見えている様は、とても趣深い。
日が沈みきって、風の音、虫の音など、聞こえてくるさまは、完全にいいようがない。
冬は、朝早い頃がよい。雪が降った時はいうまでもない。霜がとても白いのも、またそうでなくても、とても寒い時に、火を急いで熾して、炭をもって通っていくのも、とても似つかわしい。昼になって、寒さがゆるくなってくる頃には、火桶の火も、白い灰が多くなってしまい、よい感じがしない。
古語で書かれていると、なんとなく難しい表現のような気がしますが、現代語訳で見ると、書かれている内容は、「なるほど・・・」と思いが一致します。生徒たちに「自分の体験と重ね合わせて感想を伝えて下さい。」という授業を展開しました。
思いを綴っているエッセイなので、生徒たちも「枕草子」の思いを汲みいろんな編から感想を書いていました。
生徒たちが少し照れながら発表をしました。
「祖父は助からないかも知れないと病院の先生から言わました。しかし、手術を受けて祖父は頑張りました。今も病気と闘っていますが、これからも長生きをしてほしいです。」
「サッカーを見ているとき、相手の選手が倒れました。そのとき、敵のチームの選手が故意にボールを外に出して倒れた選手に寄り添っていったシーンを見て感動した。」
などと、またふだんの学校生活の中では感じることのできなかった生徒の優しさや感性にふれることができ、感動をしました。
この授業の前日も、生徒の会話の中で心打つものがありました。いろんな体験をしながら、生徒たちはしっかりと心豊かな青春期を迎えています。