ノック打ちボールが遥か彼方に消えていく
今は懐かしき名将の執念
家で仕事をするパソコンの横に、「白球去来」という本を置いています。野球の短歌集です。仕事でちょっと疲れたなと思うときに読んでいます。
出版したのは、今は亡き、元柳ヶ浦高校・明豊高校、青豊高校の野球部監督の大悟法久志さんです。大悟法先生は、父方の親戚になります。本の題字は、叔父が書いています。
野球を通しての子どもたちのこと、自分の思い、野球観、生き方・・・などを歌に綴っています。先生からはたくさんの短歌を綴った短冊もいただいて飾っています。歌の意味にいろんなところで共感するところがあります。
先生は、この本を出版してまもなく他界しました。その前に、「野球林」という本も出版しています。野球に対する「心構え」から始まり、「チーム作り」「投手」「守備」「打撃」「走塁」・・・・・など、先生が持つ持論を展開しています。投手としての技術、気持ちの持ち方など読みながら学ぶことが多いです。
先生が本を出版する前に、先生がたくさんの原稿を学校に持ってきました。
「悪いけれど、これ間違いの字がないか見ておいてくれないか。」
出版する前から、本の内容をふれることができ、ちょっとだけ、満足感を持ちながら、読んでいきました。
自分自身監督をする中で、取り入れるところが多くありました。最近、「野球林」の本がない・・・と思っていたら、よく考えてみると、野球をしていた子どもが持って行っていたので、戻すように頼みました。
本を見ながら、いろんなことが蘇ってきます。
教えて生徒に技術の高い投手がいました。これからどのように指導したらいいのか相談しました。先生が関わってくれている明豊中学校を連れてきてくれました。
ちょうど、監督ではない期間だったので、先生も試合をしている球場まで見に来てくれて、克明にメモをしてくれました。足がアウトステップになっている、足の上がり方、入れ方・・・基本線のずれを指摘してくれました。
基本からずれている部分はしっかりと指摘してくれ、あとは個性を伸ばす指導でした。その後も明豊中学校とはたびたび試合をさせてもらいました。今はソフトバンクフォークスで活躍をしている選手も何度か中学校時代、中学校にも来て戦っていきました。
いとこの家で、先生とNHKドラマ「フルスィング」の最終回を偶然にも見ました。イチローや小久保を育てた高畠コーチが福岡の高校の先生になり、思春期の生徒と優しく接していきます。感動のドラマでした。しかし、最後はガンで亡くなるという実話です。「この高校と試合をしてみたい。」とつぶやいていました。
先生は2011年8月夏に他界しました。
その年の5月。ゴールデンウィークに長男の方の結婚披露宴が行われ、当時森高校のS先生と祝辞を言いました。S先生もその2ヶ月後7月、甲子園予選開会式の帰りバスの事故で亡くなりました。
この年の夏、2人の野球人と悔しくも惜別していきました。いろんなことを思い出すとせつなくなります。
夏の風が吹くと、心が寂しくなる思いが募ってきます。それだけに「白球去来」「野球林」は大切な宝物です。
今は懐かしき名将の執念
家で仕事をするパソコンの横に、「白球去来」という本を置いています。野球の短歌集です。仕事でちょっと疲れたなと思うときに読んでいます。
出版したのは、今は亡き、元柳ヶ浦高校・明豊高校、青豊高校の野球部監督の大悟法久志さんです。大悟法先生は、父方の親戚になります。本の題字は、叔父が書いています。
野球を通しての子どもたちのこと、自分の思い、野球観、生き方・・・などを歌に綴っています。先生からはたくさんの短歌を綴った短冊もいただいて飾っています。歌の意味にいろんなところで共感するところがあります。
先生は、この本を出版してまもなく他界しました。その前に、「野球林」という本も出版しています。野球に対する「心構え」から始まり、「チーム作り」「投手」「守備」「打撃」「走塁」・・・・・など、先生が持つ持論を展開しています。投手としての技術、気持ちの持ち方など読みながら学ぶことが多いです。
先生が本を出版する前に、先生がたくさんの原稿を学校に持ってきました。
「悪いけれど、これ間違いの字がないか見ておいてくれないか。」
出版する前から、本の内容をふれることができ、ちょっとだけ、満足感を持ちながら、読んでいきました。
自分自身監督をする中で、取り入れるところが多くありました。最近、「野球林」の本がない・・・と思っていたら、よく考えてみると、野球をしていた子どもが持って行っていたので、戻すように頼みました。
本を見ながら、いろんなことが蘇ってきます。
教えて生徒に技術の高い投手がいました。これからどのように指導したらいいのか相談しました。先生が関わってくれている明豊中学校を連れてきてくれました。
ちょうど、監督ではない期間だったので、先生も試合をしている球場まで見に来てくれて、克明にメモをしてくれました。足がアウトステップになっている、足の上がり方、入れ方・・・基本線のずれを指摘してくれました。
基本からずれている部分はしっかりと指摘してくれ、あとは個性を伸ばす指導でした。その後も明豊中学校とはたびたび試合をさせてもらいました。今はソフトバンクフォークスで活躍をしている選手も何度か中学校時代、中学校にも来て戦っていきました。
いとこの家で、先生とNHKドラマ「フルスィング」の最終回を偶然にも見ました。イチローや小久保を育てた高畠コーチが福岡の高校の先生になり、思春期の生徒と優しく接していきます。感動のドラマでした。しかし、最後はガンで亡くなるという実話です。「この高校と試合をしてみたい。」とつぶやいていました。
先生は2011年8月夏に他界しました。
その年の5月。ゴールデンウィークに長男の方の結婚披露宴が行われ、当時森高校のS先生と祝辞を言いました。S先生もその2ヶ月後7月、甲子園予選開会式の帰りバスの事故で亡くなりました。
この年の夏、2人の野球人と悔しくも惜別していきました。いろんなことを思い出すとせつなくなります。
夏の風が吹くと、心が寂しくなる思いが募ってきます。それだけに「白球去来」「野球林」は大切な宝物です。