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かったかくんの子育て論①

2015年05月11日 | Weblog
日本には古くから、妊娠5ヶ月目に入った最初の「戌の日」に、妊婦さんが腹帯を巻いて安産祈願のお参りをする風習があります。



戌の日の祝いとは5ヶ月目に入った最初の戌の日に腹帯を締めてお母さんや子どもの健康を祈願するものです。戌がお産が軽いことにあやかっていると言われています。



昨日はそのお宮参りに参列をさせてもらいました。たくさんの家族がお参りに来ていました。


 

子どものお母さん、お父さんは、おなかに子どもを授かったと病院で分かったときに、二人して涙をこぼしたという話を聞きました。お母さんのご家族の方も話を聞いたときに、

「泣きました。」


と言っていました。
 


お宮参り、つながりの会と昨日は、いろいろ子どもたちの幸せについて、考えさせられることが多くありました。


 

今生活をしている子どもたちは、大きな前提として、

「生まれてきてくれてありがとう。」


の上に立って存在をしてきているんだと思いました。
 


しかし、残念ながら、私たち大人は、日々の生活の中で、ついつい目の前のことばかりを見てしまいがちになります。
 


でも、必要なのは、1年先、10年先、いや20歳になった時の子どもの姿をしっかりイメージしながら、幸せな生き方をするための子どもたちを育てていかなければならないと思います。



話は変わりますが、ゴールデンウィーク中に大分文化農業公園に行きました。ほとんどの子どもたちは、芝生の上でシャボン玉で遊んだり、ボール投げなどをして家族たちと楽しそうに遊んでいました。
 


でも気になったのは、2つの光景に出会ったときでした。こんな快適な環境の中でも、何か、親にとってご機嫌を損なう行動をしたのでしょう。ばしっ、ばしっと子どもをたたきながら歩くお父さんがいました。
 

違う場所では、子どもに罵声を浴びせながら、子どもをひきずっていくお母さんがいました。
 


しつけも大事でしょう。しかし、どのような方法でどのような場所で、どのような機会で子どもに伝えていくのかは、親も学んでいかなければなりません。

親が時には失敗することも大切なことです。



そこでまた方法を変えていけばいいのですから。100%の子育てなど存在しません。底辺に慈愛が流れていれば、多少の失敗も子どもには影響を与えません。物を与えたり、わがままを許すという愛情も時には必要でしょう。


しかし、子どもを見守りながら、本質的な部分の深く愛する気持ちがあるならば、あの2つの光景はないのかなと思いました。



愛情が不足すれば、行動のリズムが崩れてくるであろうし、コミュニケーション能力の悪化という症状がでるでしょう。究極的には、顔相(顔つき)にも出るとわたしは思っています。笑顔が消え厳しい顔になっていきます。
 


また親にも強いところ、弱いところがあります。あって当然です。弱いところを補うために、意識的にいろんな人と出会わせながら、たくさんの人との関わりを持たせることです。


「親も楽をし、子も育つ方法」

であると思います。そうすることでいつも親が完璧でいなければならないという重い気持ちが消えます。子どものコミュニケーションの力も高まります。それを何もかもが

「わたしがなにもかも・・・。」


と思うと、親がこけたら、子もこけたという負のスパイラルに陥ります。
 



子どもの健やかに幸せに生き抜かせるために、昨日のお参りの気持ちを昨日のお父さんやお母さんの純粋な「無条件の涙の気持ち」をいつまでも持ち続けて欲しいと願っています。
                  



次回の話の②はいつかに。