かったかくんのホームページ

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最後のお参り~募る寂しさ~

2016年05月26日 | 大分県
ほたるがきれいにとびかう季節となっています。庭先にも、淡い光を放ちながら、ほたるが立ち寄ってきます。やわらかく空中に浮かんでいるほたるを見ていると、心も和みます。


そんな季節の5月25日は、かつて樋田小学校に勤務したときの校長先生の命日です。先生が亡くなってから17年が経ちました。葬儀を含めて17年間、お墓と先生のお家の仏壇にお参りを続けています。


昨日も来ることができる当時の先生たちで、お参りをしました。



先生は、自分たちにとっては、教師としての素敵なモデルでした。先生の後ろ姿を見ながら、教師として「学び」をしました。その姿から、子どもたちともしっかりと関わっていきました。


あまりにも早い旅立ちに悲しみにくれました。




毎年、この5月25日に、お参りを続けました。まずは、お墓に行って、お花などを生けて、手を合わせます。そのあと、先生のお宅に行って、遺影を見て、仏壇にお参りをします。奥様も喜んで迎えてくれました。


「毎年、申し訳ないですね。でも主人がどれほど喜んでくれていることか。」


と話をしてくれていました。
 

しかし、確実に時は過ぎていきます。だんだんと奥様も高いところにあるお墓にも行くことができなくなりました。足の手術もしています。
 

昨日も仏壇にお参りに行ったときに、悪い足をひきずって、優しく対応をしてくれました。今の近況などもお聞きしました。

そのあとに、思いがけない言葉がありました。


「17回忌も終わっています。これまで、みなさんには、主人も感謝していると思います。わたしも足が悪いし、お参りは、もう、いいですよ。」


と申し訳なさそうに話されました。奥様の気持ちをすぐに、察することができました。
 

先生の一人が代表して、

「わかりました。奥様も体に気をつけて下さいね。これで最後にしますね。」


と伝えました。もうこうして、みんなが一緒になって来ることはありません。

「最後にみんなで手を合わせようかね。」


仏壇の横に飾られている先生の笑顔の遺影を見ながら、みんなの目からは、とめどもなく涙がこぼれていきました。わたしたちにとっては、毎年ここに来て、お参りをして、先生の写真を見ることが心のよりどころでした。



しかし、時が過ぎていき、昨日が大きなけじめ、節目でもありました。
奥様もわたしたちも深々とあいさつを交わして、別れました。


もうみんなもいつしか、あの頃の校長先生の年齢を追い越したり、年齢に近くなっています。時代の移り変わりがあることに、気づかされます。



時が経とうとも、みんなの心には、先生の姿は焼き付いています。