かったかくんのホームページ

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2016年05月17日 | 大分県
今朝の気温は、10度を切っていました。真冬まではいきませんが、寒い朝でした。それでも太陽が出てくるにつれて、どんどんと気温が上昇。今度は一転、少し動けば汗ばむ陽気となりました。


気ままな自然の動きに、合わせていくのも大変です。
 


そんな中で、今日は、いろんな方が来校してくれました。

昼間は、高校の先生。生徒が見えない中で、じわじわと入試に向けての取り組みが始まってきています。耶馬溪で若手で地区のまとめをしている方。

夜は、PTAの三役の方々・・・。PTA専門部会に向けての三役会議が行なわれました。


にぎやかにたくさん、話が横道にそれながらも学校のこと、PTAの専門部会に向けて、子どもたちのこと・・・などについて、前向きに、すべてがうまく回転できるように話をしていただきました。

いろいろとPTAの方が、あたたかく支援をしていただけるのが、勤務する学校の強みです。
 


今日の朝、電話がありました。教頭になって、単身赴任をしながら、勤務した五馬中学校の校長先生だった方からです。
「午後から行っていいかなあ。」
ということでした。突然の電話でしたが、嬉しく感じました。
 

兄貴的な校長先生でした。
「あなたたちは、きょうだいのようですね。」
とよく言われていました。校長先生は迷惑だったかも知れませんが、自分にとっては、尊敬しているだけに、なんとも言えないちょっと自慢の言葉でした。
 


教頭という仕事に慣れない、初めて故郷を離れて、日田の生活。知り合いもほとんどいません。まだその時は、日田との人事交流も行なわれていませんでした。

先生を見ても、保護者を見ても、子どもたちを見てもだれも知らない土地に赴任しました。

仕事をしていて、ふと顔を上げると、

「あれ、なんで、自分がここにいるのかなあ。」

と錯覚するような心細いスタートでしたが、あたたかい校長先生、先生方、地域の方と関わりを持つことができました。やさしく誠実な子どもたちでもありました。


わずか2年間の生活でしたが、今でも日田の方といろんなつながりがあるのは、「宝」です。第2の故郷です
 


校長先生と同時に日田の中学校に異動しました。初めて引き継ぎに行ったときは、まだ3月だったので、校長先生の勤務する小学校に行きました。中学校に異動するために、片づけをしていました。

春休みにもう一度、行くときは、日田の警察官だった佐々木さんがアパートも見つけて下さり、佐々木さんのパトカーに先導されて学校まで行きました。学校へ行くには、道が狭くわかりにくいところにありました。その時に、パトカーのあとに着いて行くと、面白い。

「何かあったのか。」

と道々パトカーを見る人もいました。狭い道も対向車がよけてくれます。
 


学校では玄関まで校長先生が出迎えてくれました。
 

赴任しての2年間は、念願の校舎建築がありました。3つの校舎で生活をしながら、校舎完成を迎えました。旧校舎、プレハブ校舎、新校舎です。
 

楽しい思い出ばかりが残っています。おおざっぱなようで、緻密でした。

「ここはこうしたらいいよ。」

などと的確にアドバイスをいただいたり、休みの日には、一緒にドームなどへも野球観戦に行きました。気持ちのリフレッシュです。校長先生は1年で転任していきました。寂しく感じました。


五馬を校長先生が離れていくとき、涙を流しながら見送ったのが昨日のようです。
 

今日は、あの日に戻ったような懐かしい時間が過ぎました。用件もあったのですが、用件はあっという間に終わり、あの時代の話に時間を忘れ話を弾ませました。
 

旧校舎、プレハブ校舎での生活。旧校舎の解体、新校舎の完成。落成式の準備、開催。猛烈な2年間でしたが、たくさんの感動をもらいました。

 
いろんな来校する方で、つながりも深めることができました。自分自身を支えてもらっていることを痛感しました。