かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

「豊後高田市へ~お盆の最後の日に~」

2018年08月15日 | 大分県
今日は、豊後高田市の親戚の家に行きました。

今は、「長崎鼻ひまわりフェスタ2018」が豊後高田市では開催されています。
 

「開花 8月上旬」
「見頃 8月中旬~9月中旬」
「花の本数 120万本~140万本」


とインターネットでは書かれています。

インターネットで何枚か写真をお借りしながらブログを。
今日は、ひまわりを観賞に行く予定でしたが、墓のお参りに行き、昼食の準備をしたりするうちに時間がなくなり、また後日に回しました。
 
 


それでも近くの昭和の町に行ってみました。
お盆の終わりでもあり、帰省している人もいるのでしょうか。たくさんの方が通りを楽しそうに歩いていました。
 

いいお盆の雰囲気です。

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」のロケ地でもあり、なんとなくスローな時間を過ごすことができます。

先輩の家もお店屋をしています。
 


うん?「昆虫の館」で500円でくじもある。


中に入ってみると、カブトムシが売られている。店の中でも楽しませてもらいました。
かつては、家の近くのクヌギの木にいるカブトムシを獲ったりしていましたが、今日は、店に生息しているカブトムシくんを眺めていました。
 

今は、100均でもカブトムシのえさとなるジェリーが売られているらしい。
 

本物のクワガタなどのキーホールダーなども売られていました。びっくり。
  


街を離れ、算所のクスノキにも行きました。

でっかい。樹齢300年以上。

ということは、今が2018年だから、1718年か。江戸時代からこの街の時代を見てきています。


市の天然記念物にもなっています。
 


お墓参りもして、これでお盆が終わりました。
 

またまた仕事モードに戻さなければなりません。近いうちに、ひまわりを見ることを目標に、また仕事に頑張りましょう。

「津民川河川プール~涼をゲット~」

2018年08月14日 | 大分県
津民川の自然の流れを利用した「河川プール」。よく両親も孫たちを夏になると、連れて行ってくれていました。
ここは、日本で初めての河川プールらしいです。
「元祖河川プール」といったところでしょうか。
 

昨日、本当に久しぶりに河川プールに行きました。
すごい人出でした。

塩素も入っていなく、プールの川上、川下では魚を獲っている人たちも多くいます。
 
耶馬溪のちょっとした観光スポットの一つだと思います。
深耶馬渓、耶馬溪ダムなどたくさんの観光のスポットがありますが、夏の津民川の河川プールも最高です。 


今年は特に暑い暑い夏です。
ここに来るまで、外気は30度を超えていましたが、河川プールの辺りは、暑さも和らいでいます。マイナスイオンがたっぷりです。
 

こんなにたくさんの人がいるのに、入場料も無料、駐車場も無料です。

浮き輪も無料で貸してくれる・・・。駐車場の入り口で「自動販売機はありませんか。」と聞くと、
「えーっと。車に乗って、ずっと下ってからしばらくすると、販売機がありますよ。」
 
つまり、近くには売店もありません。
このアナログさがなんとも言えない良さがあります。
 
 
犬ヶ岳、永岩を通って流れ落ちてくる水は冷たいです。この暑さにこの冷たさがまたいいです。
 

楽しむことができました。きょうちゃん家族ときょうちゃんのおとうとの子どもたち、福岡から帰省してきていたHはらさん家族などたくさんの知り合いの方も楽しんでいました。


今は、川で泳ぐという姿はなかなかお目にかかることはありませんが、それでも「川」を感じる場所でふるさと耶馬溪を楽しむことができる場所です。

 
ぜひぜひ、お薦めの場所ですよ。
 


明日は、台風15号が接近します。そのあとは、秋雨前線の影響などで今のような暑さも薄らいでくると言われていますが、をゲットできるスポットです。

「耶馬溪湖畔祭り~ふるさとに活気~」

2018年08月13日 | 大分県
お盆の前の日の8月12日は、「第36回耶馬溪湖畔祭り」が耶馬溪アクアパークで開催されました。
今年はお盆直後で帰省してきた方も来場されていたので、たくさんの人でダム湖畔はにぎわいました。
 

ダム湖畔まではシャトルバスです。中学校のグランドに車を置いてからバスで会場に向かいました。すごい人出でした。
 


「ジュニアボランティアグループ」に所属している中学生も運営に携わっていました。会場の中を歩きながら、ごみ拾いをしている生徒もいました。

水上スキーのデモンストレーションも行われ、水上スキー同好会に所属している中学生は、ジャンプの披露をしたり、ステージでデモンストレーションを盛り上げました。
 


このフェスティバルも36回となります。
 

藤蔭高校吹奏楽部のレベルの高い演奏、澄み切った歌声のJILLEさんのコンサートと続きました。


源流太鼓の演奏となった時には、湖畔はしっかりと夕やみに包まれていました。いい雰囲気の空気の中、盛況に時間が過ぎていきました。
 


花火大会。今年の4月、崩落事故で尊い6名の命が失われました。悲しいできごとに見舞われました。

「耶馬溪は元気ですよ・・・といろんなところから発信をして下さい。」と奥塚市長さん。

黙とうが終わり、会場が静まり返った中で、本格的な花火があがる前に、6発の鎮魂の花火が上がりました。6名の初盆になります。





6名の中には、この花火大会を去年は見に来られた方もおられたのではないかと思います。

命のはかなさを感じます。
 

それからは、地域に元気を取り戻す花火がどんどんと上がっていきました。

湖畔の上に上がる花火、川面に映し出される花火ととてもきれいでした。歓声が上がりました。



みんなでみんなの命を守り、みんなで地域を盛り上げることができたらと思います。
 


ラストは「泉谷しげるコンサート」です。花火の跡でやりにくさもあったと思いますが、そこは、プロフェッショナルです。ステージと会場が一体になったコンサートとなりました。


最後は、ステージの前に大勢の方が行き、手拍子でのりのりです。
 


小さな地域の中で、これほどのイベントをすることは、大変なことです。たくさんの人が、このイベントを成功させることに関わってきました。それも「地域力」なのでしょう。
 

学校もこれからも少しでも関わり続けることができたらと思います。

来年もそして再来年も継続できることを期待しています。多くの方が、ダム湖畔の夏を満喫しました。

今年の夏は、異常な暑さですが、夕暮れからの会場は、暑さも薄れ、心地よい中で、イベントを楽しみました。

「おじの初盆」

2018年08月11日 | 大分県
お盆・・・

「正式名称は盂蘭盆会だそうです。先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、子孫が、報恩や追善の供養をする期間を「お盆」と呼びます。


特に、人が亡くなって49日法要が終わってから最初に迎えるお盆を初盆(はつぼん)または新盆(しんぼん、にいぼん、あらぼん)と呼び、家の門口や、お墓に白一色の提灯を立て、初盆以外のお墓には白と赤の色が入った提灯を立てるなど、特に厚く供養する風習があります。」

というのがお盆です。
 

今日は、大分におじの初盆のお参りに行きました。喪主のいとこなどたくさんの人たちが集まりました。

 

 
おじが生きていたなら、お子さん、お孫さんなどが集まり、どのくらいにぎやかでうれしかっただろうと想像します。
 

しかし、こういった法事に出ると、その家の方は大変だと思いますが、避けられない「人は亡くなる」という中で、「人の結びつきを深める」ということを感じます。

わたし自身もふだんはなかなか会えない、いとこやいとこたちのお子さんたちにも出会いました。
またたくさんの親戚の方々にも会うことができました。
 

亡くなられた方にとっては、

「わたしはいないけれど、残された人たちが仲良く、手を取り合いながら絆を深めて過ごして欲しい。」

という祈りが存在するのかも知れません。

現代は、今までのそういった文化が簡素化されていく傾向があります。
しかし人が亡くなられてから、初七日、49日・・・初盆など、たくさんの人たちとお会いする機会が多くなります。

若かりし頃は、法要の存在の重さも多く感じることはありませんでしたが、今は大切な日本伝統の文化なのだと思います。


 
北九州からもおじ、おば、いとこたちが駆けつけていました。姉たちにも会うことができました。
 


おときの中で、おじの御位牌を前に、にぎやかに話に花を咲かせることができました。
話の中で、おじの優しさにもふれながら、昔にかえることもできました。

うちも今年は、お盆が過ぎてから、両親の法要があります。少しずつ準備もしていきたいと思います。

 

 
帰りは、久しぶりに会ったきょうだいとケーキ店でコーヒーを飲みながら、大切な時間をもつことができました。
桃のケーキとコーヒーがおいしかった。
うらやましいでしょ?
 


いよいよ本格的なお盆が近づいてきています。

回顧「マンモス豊田小学校の生活」

2018年08月10日 | 大分県
昨日は、とうろうまつりでNっちゃん。エフのパフェを食べに行った時に、Mきちゃん家族に再会しました。
初めて教員として所属した豊田小学校時代のかつての子どもたち・・・とはいっても今では社会の中でのリーダーたちに会う機会が多くなっています。

ときどき、これまでの歴史を「たいせつなもの」(第1集)から振り返っていきますね。

まずは、1年目の時です。


豊田小学校に赴任。全校で1500人近くいるマンモス校でした。

耶馬溪出身のかったかくんにとって、見たことのないすごい子どもたちの数。1500人。今では考えられない児童数です。

田舎育ちの「かったか」そして、学生時代のらりくらりして過ごした直後の大規模な児童の学校。目が覚めました。
大規模だとこんな感じになります。


◇「体育館に全校児童が入らない」
全校集会などをするとき、全校児童がまっすぐ並んでは入らないのです。まっすぐに縦並んでいる学年。横に一列に並んでいる学年。

いろんな形を組み合わせながら整列をしなければ1500人を小学校の体育館に収容できません。田舎者のかったかくんにとって、1500人を前にステージから話をするときには、足がすくむような気がしました。

もちろん、人数の関係で卒業式や入学式も参加するのは、高学年と決まっていました。
また七夕集会などいろんな集会は、学年ごとや縦割りのクラスごとですることが多かったですね。

もうびっくりの人数です。



◇「運動場で前にならえができない」
体育大会など運動場で、「前にならえ」という言葉が出すことができない。

まして、
「体操隊形に開け」
などいうものなら、運動会では、後ろの子どもは、トラックの周囲のテントをはるかに超えてその後ろの塀にぶつかってしまいます。




◇「先生の人数が半端でない」
先生の人数が半端ではありませんでした。50人近くいたような気がします。

かったかくんが採用されたときは、50代の先生が多かったのです。ほとんどがお父さんやお母さんみたいな人。

だから、新任のあいさつをするときは、親が見ている授業参観で自分の意見を言うような感じがしました。

しかし、みんなとっても優しい先生ばかりでした。

また人数が多すぎて、職員会議では、時折マイクを使いながら会議をすることもありました。声が小さいと、「聞こえませーん。」と激しくクレームが。
職員室もにぎやか、にぎやか。




◇「プレハブ教室があった」
最初は、4年生担当。4年生は、6学級。学期ごとに教室が変わります。

というのは、4年生がプレハブ教室を6クラスのうち、4つのクラスが使用しなければ教室が足りません。

だから、学期ごとに教室を変えると、1年のうち、2回は、プレハブ教室を利用することになります。

実にこれは、夏は暑いし、冬は、寒いんですね。

当時、プレハブ教室は、プールのところにあったのもありました。

学年でプールを使用するので、マイクを使います。プレハブ校舎は、うるさくて仕方ありません。尊敬する先輩のUのう先生は、教室で授業の声が聞こえないので、教室の中でもマイクを。

うそのような本当の話です。




◇体育の時間は悩みました
体育は、週3時間ありました。1時間は、運動場。1時間は、体育館。そして、もう1時間は、学年合同体育と決まっていました。

そうしないと、体育の授業が運動場や、体育館が取りあいこになってしまいます。合同体育は、6クラスがあるので、リレーなど、240人みんなができるような内容にしなければなりません。

運動場の体育の日で雨の時は、、教室でしか体育をすることができませんでした。


人数が多くてとまどったのは、まだまだあります。言い尽くすことができません。とにかくそんなでっかい学校に赴任しました。
 


しかし、かったかくんにとっては、かけがえのない3年間の豊田小学校の生活となりました。

教員としての子どもたちとの思い出づくりのスタートを切りました。

「寺町とうろう祭り」

2018年08月09日 | 大分県
今日は、寺町とうろう祭りでした。

大分県観光情報公式サイトによると、

「寺町周辺に多くの紙とうろうが並びます。
夕日が沈む頃、紙とうろうに火がともされ、真夏の幻想的な夜を迎えます。

周辺の7つのお寺では「七観音参り」も行われています。

これは、京都の清水寺の「千日参り」に起源を発し、江戸時代初期より民衆の信仰を集め、参詣すれば千日の功徳があると言い伝えられています。」




夏の風物詩となっています。
 

夕方の寺町を歩きました。日暮れが迫ってくると、だんだんとろうそくの光がきれいに浮かびます。
ふだんは閑散とした寺町通も、今日だけは、浴衣を着た人たちも下駄をならしながら歩いています。写真をぱちりです。
 


午前中は、寺町の合元寺でお施餓鬼がありました。お寺の敷地の片隅にあるお墓も掃除をしました。
お施餓鬼は毎年とうろう祭りのある日に行われます。お盆が近づいていることを感じます。また寺町はお盆のムードに包まれます。
 


夕方になって、寺町を歩きました。お寺を回りました。お寺ではお参りに来た人たちにお菓子を配ります。
小さい子が袋いっぱいにお菓子を持っているのを見ると、なんとなくほのぼのとします。


幼い頃、地区のあちらこちらのおこぼさまに行って、お菓子を集めたことが懐かしく思い出されます。
 


中津の中学校の美術部の生徒たちが灯籠を制作して、展示しています。

生徒たちが、
「見ていってください。」
と通っている人たちに声をかけています。

この日に向けて、部員たちは頑張ったのでしょう。かけ声にも心がこもっています。知り合いの方にもたくさん会いました。



「おっ、誕生日。よっ、あかぼうし。」
いきなり、ぼこっと腹をたたくNはっちゃん。
いてえ。


豊田小学校勤務時代のかつての子どもです。
あの明るさと元気さはあの時のままです。写真をぱちりです。


 
Mどり先生夫婦がお店を出しているというので、福沢旧邸の広場に行きました。

アクティブに動いています。


売っていたおにぎり。まだ夕食を食べていなかったので、しっかりお腹に入れました。

おいしく食べました。

「Kきちゃんに使われている。」
中津でふるさとのために、いろんな活動をしている後輩のKきちゃんの企画なのでしょう。KきちゃんもMどり先生に教えてもらっています。恩師を使うKきちゃんもすごい・・・?!
写真をパチリです。


広場は熱く盛り上がっていました。
 

夏は暑い。夏は熱い。夏のお祭りは最高です。


「真夏の研修の一日」

2018年08月08日 | Weblog
今日は朝から夕方まで夏季校長研修会でした。

午前中・午後の2回講演会。そして全体協議、小中別協議などが続きました。
 

学校日の研修は、子どもたちも登校してきているので、ゆっくりと研修とまではいきませんが、今日は、じっくりと話を聴いたり討議をすることができました。
 

午前中は、大分県教育委員会教育次長さんの
『「安心・安全」に地域で育む子どもの「自立」』
というテーマでの話でした。

実業系、進学校の高校での勤務時代の頃の話もありました。

学校現場のことを理解しての話であったので、より具体的にわかりやすくテーマに迫ったものとなりました。


社会も教育環境も20年前、10年前と比較すると現在は、大きく変化をしています。
 


そんなリスクもたくさんある中で、これから子どもたちが生き抜いていくためには、
「自ら考え、失敗を恐れず、周りと協働して行動できる子どもたち」
をゴールとして育てていく必要があります。


そのために、不易と流行を考え、命を守ること、確かな学力をつけていくための授業改善を中心に話を進めてくれました。


 
県のトップの方の話を聴く機会はそんなにありませんが、改めて、県の施策の骨格を聴くことができ、学びをいただきました。まだまだお盆までに、教育課程研究協議会など研修会などが続きますが、

「暑さに負けずに、がんばりましょう。」
と言って自分のバテ気味の心にムチ打ちます・・・。



 
小学校は、平成32年に、中学校は平成33年に新学習指導要領による授業の全面実施になります。
授業が内容も濃いものとなります。
そのための準備に先生方も日々研鑽をしています。

「父からのメッセージ」

2018年08月07日 | 大分県
今日、午前中は、「中津市授業改善講座」がありました。

これからの授業展開のモデルを提示した貴重な話を聴く機会をもつことができました。


 
帰りに、昼ごはんと思い、コンビニに立ち寄りました。
かつて、そして今でもいろいろと元気・刺激をもらっている人に出会いました。

「せんせい、なにしよるん。」
はい、お昼ご飯を・・・ということから、学校にきてもらって少し話をしました。


 
生き方とか、社会への貢献などの話をしました。発想の中で、相変わらず、刺激をもらうことができ、考えさせられることもたくさんありました。
 

まったく違う話への転換になりますが、先日誕生日を迎えて、父が同じ年に書いた手記がどこにあるのか探しました。
見つからない、
「探しものはなんですか」状態で探しました。

その手記は、姉が父に60歳がやってきたときに、家族新聞に載せるために、依頼したものでした。姉に電話をして聴くと、

「あるよ。でも直筆ではないけれど。」
と新聞をメールで送ってきてくれました。

あの日、あの時、父が感じていたことを、同じ年になって、感じることができ、嬉しく思いました。


「とら年 還暦を迎えて
 清らかな山国川のよどみに釣糸を垂れ、すがすがしい空気を吸いながら、鯉のかかるのを待つ。

青空に浮いた綿のような雲が静かに西から東へと動いていく。

時々、前の国道を観光バスや乗用車が走り抜けていく。急に釣糸が激しく引っ張られ、ピーンと張った糸の先で大きな鯉の躍動が感じられる。

渕いっぱいを元気よく泳ぎ廻るのを時間をかけて少しずつ手元にたぐり寄せる。

水際にきた黒光りする大きな鯉の姿を見たときの喜び。何十年かぶりに童心に返ってこんなささやかな楽しみを味わう。

無欲、無我忘却の心境は、還暦の今日にして、初めて迎えた人生のゆとりである。


長いようで短かった自分の人生の六十年を今振り返ってみると、ちょうど、日本の国がたどってきた昭和の歴史と同じだったと言える。


戦争、敗戦、飢餓、繁栄と
昭和時代のめまぐるしい変遷のように仕事、生活、子育てに慌ただしい毎日を過ごし、
然もその間に数度の挫折もあり、自分をじっくり見つめるいとまもなく、人生の険しい山や谷を乗り越えるのが精一杯だった自分が
六十にしてやっとたどり着いたところは、本当に明るく楽しい世界であり、
虎が千里の藪を抜けたときの喜びとも言えるだろう。



苦労して育てた二人の娘もそれぞれ男女の子に恵まれ、幸せに暮らしており、自分たちも長男夫婦と同居し、孫の世話に生きがいを感じる此の頃、平和の有難さが身に染みる思いである。


今この夢のような飽食の時代が何時迄続くのだろうかと心配になりながら、この幸せを一日でも長く続けさせたいと思う。


夫婦揃って公民館のカラオケ教室に通い、下手ながらも大きな声を張り上げて歌い、わがままいっぱい、元気いっぱいの孫に手を焼きながらもつい負けて言いなりになり、
子供心にかえって、一緒に戯れる、この円満な家庭を親から子へ、子から孫へと伝えて欲しいと念願して、
還暦を迎えた喜びの言葉としたい。」




父はあの日、あの時にこんなことを感じていたんだと思うと胸が熱くなりました。姉も、
「久々に読んでジーンとしたよ。」
と言葉にしていました。
 


私自身には、父のような重い言葉は残せませんが、父の思いを再び言葉で見て、今、この年になって、改めてこれまで支えてくれた両親そして、たくさんの方々に感謝の気持ちが溢れます。

「素晴らしき野球の仲間たち」

2018年08月06日 | 大分県
大学時代、入学してからすぐに硬式野球部に入部しました。

他の学年は、10数人の部員がいましたが、「かったか」の学年だけは、4人でした。
しかし、この4人がベストの布陣でした。


 
軽自動車に乗るときは4人まで。今はあまりしている人はいないと思いますが、麻雀などをするときも4人。
野球の練習が終わってから、4人で遊ぶことが多くありました。
だから今でも、よく集まって食事などをします。


◇Kるちゃんは、お互いの結婚式の時は、司会もしました。大学に入って、新入生のオリエンテーリングの時に、席が隣同士になって、鉛筆を借りたことから縁がつながります。

話をしているとKるちゃんとは高校は違うのですが、兄・姉同士が高校で同級生。その高校で2人だけ、同じ熊本の大学に進学をしています。

Kるちゃんの一番上のお兄さんは、いとこと同じ職場になったこともありました。

Kるちゃんとは、血液型も星座もみな同じです。同級会の飲み会の時は、ご家族の方にご迷惑をおかけしながら、宿屋になっています。
今は、市の中心者になって、活躍をしています。

敏腕なあこがれるKるちゃんです。




◇Yもとちゃんは、野球部では主将でした。温厚な性格で、チームをまとめていきました。

高校時代も主将で、チームを県予選で準決勝まで引っ張っていきました。存在感たっぷりです。

今回は、Yもとちゃんが地元企業の社長に就任したという名目で、お祝いの会を同級生で開催しました。努力家です。


唯一大学時代、車を(軽自動車)持っていたので、同級生4人がしっかりと利活用させてもらいました。

さすが、今は、大分の地元の大きな企業の社長ということで、知っている人も広いので、野球のチケット(もちろんお金を払いますが)をとってもらったりしています。日々、感謝。感謝。今、いろいろとお世話になっている方のN野さんがYもとちゃんの取引先にいます。

「Yもと社長、あまりかったかのために、チケットなんかで無理することはないよ。」
はいはい。



 ◇Yうちゃんは、宮崎を代表する捕手でした。新聞テレビに数々出場する選手でした。ドラフトにかけるかどうかプロも見に来たらしいですが、はいそこまででした。

でっかい体。大学に入ってからピッチャーに。思い出は、紅白戦の時に対戦して、顔面直撃のシュート回転したボールを当てられました。

病院に運ばれました。


しばらくは、口が開かない、動かない生活。でもおなかは減るという状態が続きました。

「すまんのう。うどんやに行くか。」

本当にすまないかどうかはわかりませんが、のんびりした宮崎弁の口調です。

お金を持たなくて、その日の練習の帰りに、当日開店のうどんやによりました。大

盛りうどんを3ばい食べて無料。口が動かない。でも食べないと、お金を払わないといけない。無理矢理、うどんを飲みました・・・。

初代横綱でしばらくは、うどんやに名前が掲げられました。

イケメンでピッチャー。でも優しいYうちゃんでした。



まだついこの間のような話ですが、もうお互いに「赤いちゃんちゃんこ」です。
「こんな大事な日を、家でないところで迎えるんかい。」
と同僚。


そっちも家族、こっちも家族です。
 


昔話から今の様子までにぎやかにしゃべりながら、あっという間に時間が過ぎていきました。青春のあの頃に戻りました。





過ぎてきた時間そして新たな旅立ち

2018年08月05日 | 大分県
あっという間に夏の時間が過ぎていきます。

また後日詳しく書きますが、昨日は、新しい年齢を大学時代の野球部の友だちと迎えました。
 


家に戻ってきてから、お祝いを家族がしてくれました。
料理などすべて準備をしてくれました。準備も大変だっと思います。

ちょっと料理が多いと思っていましたが、帰ってくるとは思わなかった家族もサプライズで、ビデオを撮りながら、突然帰ってきてくれました。
 

思いもかけず、赤いちゃんちゃんこのプレゼント。



恥ずかしく感じましたが、しっかり着ました。


今日は、家族みんなで岳切渓谷などに行きました。


楽しい時間を過ごすことができました。


ちょっぴり幸せな空気に包まれました。

「西郷どんパワー」

2018年08月02日 | 大分県
NHKの大河ドラマを見るようになって、30~40年経ちます。

大河ドラマも最初の頃は、小学生の頃だったので、作品によって、見たり見なかったりしていました。

あねが天と地が好きだったので、その頃から、少しずつ見たような気がします。

1974年の「勝海舟」では、渡哲也って格好いいなあと思って、楽しみながら、見ていましたが、途中で病気のために松方弘樹が代役をしました。

配役交代で、ちょっとショックだったのが、懐かしいです。


それから、渡哲也も松方弘樹も大スターとなっていきました。
 


また小学校の教員になって、6年生で社会の歴史を教えて、興味をもってもっと視聴するようになっています。
今は、ハードディスクなどもあるので、用事でその時、見ることができなくても、保存していい時間で見ることができます。

それも何度も。大河ドラマは、1番組、2回くらい見ています。


今日は「西郷どん」の写真を載せながらのブログですよ。

さらに、「毛利元就」の時は子どもと宮島や錦帯橋に行きました。

篤姫は、放映時に特設された鹿児島の「篤姫記念館」、「龍馬伝」では、長崎の亀山社中、風頭公園、料亭「花月」、京都の東山にある中岡慎太郎と坂本龍馬の墓地、「江」では、養源院に行ったりもしました。


ドラマのゆかりの地に行くのも楽しいです。ミーハー?的?
 


黒田官兵衛では、それはそれは、言えないほどあっちこっちに。
なかなか東京のNHKには行くことはできませんが、とりあえず、どこかのNHKに行けば、特別展が行われていることもあります。NHKでは、ドラマの葉書などもいただけます。
 



今は、「西郷どん」です。鹿児島かあ?なかなか行く機会がないが・・・。
 

以前、職員旅行で西郷どんと愛加那さんが3年間過ごした奄美大島に行ったときに、西郷隆盛が上陸した場所などというところがあったけれども、もうちょっと、詳しく見ておけばよかった。
二人の御長男の菊次郎さんは京都市長までなったそうです。実在の人物なのです。

S藤Hき先生たちになんやかんや言われながら、大きなうちわ?を無理やりこ、奄美大島から飛行機に乗せて持って帰ったのが懐かしい。


まだ飾っています。
 


西郷どんを通して大政奉還や西南戦争など幕末の時代の波をこれからどんどんと感じることができる大河ドラマが楽しみです。

今は、西郷どんでパワーをもらっています。まだ見たことがない人もこれから大政奉還などがあるので、ぜひ、見て下さい。
テレビ番組の押し付けです・・・はいっ。

来月の体育大会

2018年08月01日 | 大分県
暑い。まただんだんと暑さが戻ってきています。


今日の午前中は職員会議でした。

体育大会のことを中心におとなしく???体育主任のN尾Tけし先生が提案していきました。


早いもので、もう来月が体育大会です。2学期が始まると、すぐに体育大会の練習です。

暑さもどうか薄れますように・・・。

時々、3年生が応援の練習を夏休みにしています。
青春を感じる声も聞こえてきます。

暑い夏の熱い夏です。

ちょっと今日は、東椎屋の滝で暑気払いをして、癒されてもらいましょう。