遊びをせんとや

毎日できるだけアンテナを張って
おもしろがりながら楽しみたい。
人は「遊びをせんとや生まれけん」です。

親との付き合い方 病院からの電話 

2025-03-25 06:44:57 | 介護
この辺で母の病状も一段落ということにしたいのだが、次の日に後日談が。
さすがに疲れて、午前中はゆっくりしていた。
毎週末ご飯を一緒に食べて「これで、いつ母が亡くなっても悔いはない。」と思っていた。
でも実際、体調が崩れるとやっぱりすごくショックを受けてる自分に気が付いた。
覚悟はしててもこの綱渡りのようなそれなりに元気な母から寝たきりになる。意識がなくなる。なんて状態になることを想像すると
いたたまれない。
今の日々が永遠に続くわけではないのだが。
そんなに簡単に覚悟は付けられないもんだとつくづく思った。当たり前か。

理事会の議案書の私が提案した最後のページが脱落していることに気が付いた。
色々また嫌なことがあった。
気分的に落ち込んでいる時はつらい。

次の日にそれを自分でフォローして、印刷を終える。
家に帰ると、母が内視鏡検査を受ける予定だった病院の事務から電話があったらしく、なんと「検査と診察を受けないのはおかしいから診察に来るようにと医師が言っている。」と内容だった。旦那が母の状態を丁寧に説明してくれたらしいが「一旦、保留にしてまた4時半に電話する。」との返事だった。
待っているとついに電話はかかってこなかった。
どういうことだろう。
最初の診察の時も「胃カメラは抜歯の後でこの年齢だし。」と渋ったら医師が「それなら何のために、この病院に来たんですか?詳しく調べるためでしょう。」と言われたのだ。でも徐々に回復したし、食べる量も戻ったので、「胃カメラはご辞退します。色々アドバイスしていただいてありがとうございましたとお伝えください。また、調子が悪くなったらよろしくお願いします。」とキャンセルの時も事務の方にも早い目に伝えたのだ。かなり、びっくりした。
人生の先輩曰く、こんな事くらいで傷ついていてはまだ甘いの一つだろう。

間に入る事務の方も大変だなと思った。

というわけで色々疲れた一日だった。
昨日の晩御飯は、朝から作っていた煮豚とゆで卵。レタス。冷凍庫に残っていた、この前のラザニア風ソースが二種残っていたのに里芋スープの残りの冷凍を解凍して、ペンネを茹で、とろけるチーズを上に掛けてミニグラタン。

作り置きしておいて助かった。





親との付き合い方 母の復活

2025-03-24 07:30:44 | 介護
週末
全く食べなかった母が徐々に食べるようになった。
朝、自分で起きてバナナを一本たべていた。
お茶のお稽古があるので昼ごはんや晩御飯や付き添えなかったが、
お昼は何かを食べたようである。
夜はビールだけ飲んだそうだ。
何故か日本酒は減っている。
お酒だけ飲んだか?

食べだしたので、週明けの内視鏡検査は意と決してキャンセルの電話を早めに入れる。診察予約もキャンセルした。
電話の向こうではいぶかし気な感じだったが。
一旦、断ったものの、凄く不安になった。高齢者は痛みを感じにくいので、十二指腸潰瘍などになっても解りにくいから詳しい検査を受けた方がいいという記事もネットにはある。

次の日に朝、様子を見に行く。
下着を着替えるように促す。母の下着やパジャマ、タオル、靴下などを洗濯する。
この日は弟がいるので、洗濯が終わったら、干すように伝える。
朝食はリンゴを食べたようで、ポカリもなくなっていた。
昼食の準備をして、素麺を茹でるように伝えておく。

ヤマ場のマンション理事会に出席。
その時、看護師をやってはる若い理事に母の事を聞くと
「高齢で抜歯をすると痛みがない炎症が起こっている場合があるからそのせいじゃないか。抜歯しないともっと大変な事になっていたから抜歯は正解。」と言ってくれた。高齢の患者さんを日頃から沢山扱ってはる実践者の言葉だったので腑に落ちた。
よく食べていて血圧も安定してたので、体調が万全なところから抜歯二日後からがくんと食欲が落ちたのはその炎症と身体中で戦っていたからなんだなと思った。若くても歯を抜くのは大変なのに90歳で抜歯は身体も大変だ。

再度、夕方早めに実家へ。
着くと母はいつものようにしゃかしゃか動いていた。
ご飯を炊く用意もしてある。お昼のお汁はかなり残っていたが、素麺は一輪減っていた。食べたんだ。
夕食は残り物を全て少しずつ並べ、いつものきはだマグロの山掛け、新たに作って肉じゃがを少量小皿に入れて並べる。
お昼のお汁も。日本酒は少し飲んでもいいことにする。
全て完食。お酒も適度に飲んだ。
久しぶりに弟も交えた旦那と4人で全快祝いをした。
本当に一安心である。
「もうこのまま老衰になるんかと思ったわ。」と言うと
「そんなん、まだまだ、美味しいお酒を飲まなあかんからそんな早く死んでられへん。」と言う母。
母の完全復活宣言である。

玄関の何かの枝物

いよいよ春です。

色々あります

2025-03-23 07:16:31 | 日々のあれこれ
ちょっと毎日色々あります。

行かないかなと思ってた三月のお茶のお稽古には奇跡的に行けました。


紅雪柳というそうです。

慌てて帰ったら次のお稽古表を一緒に入門した人が写メってくれました。

帰宅したらママ友がイチゴをわざわざ帰宅時間に合わせて持ってきてくれました。



そんなこんなの気遣いが身に沁みます。

親との付き合い方 全く食べない

2025-03-22 07:03:52 | 介護
お彼岸の次の日の朝、母は起きてきたが。
水もあんまり飲まないらしい。
心配なので、朝一で実家へ。
本当に珍しく洗濯もしていない。
意を決して、病院へ連れていくことにする。
水だけは飲ませた。
洗濯をして、干す。

デイサービスに電話するのを忘れて、お迎えが来てしまったので、慌てて下に下りて事情を説明する。
ケアマネさんに車椅子が借りれるかをメールで聞く。
手配できるけれど10時になるということなので、キャンセルする。
旦那にタクシーを連れてきてもらって、なんとか行けそうだった。

いつものホームドクターには「精密検査をした方がいいから、胃腸科の大きな病院の紹介状を書きます。」ということだった。
そこからまたタクシーでその総合病院へ。
そこからが長かった。血圧測定、CTを先に撮るということで45分待ち。
そこからまた1時間ほど待ってやっと診察。
血液検査は異常なかったそうだ。CTで十二指腸に少し厚みがあるところがあるから無理くり週明けに胃カメラの検査を入れてくれた。
水だけじゃなく、ポカリやジュースを薬だと思って飲むように言われる。
合計家を出てから4時間以上かかった。

お昼にほんの少しだけ余っていた、素麺をにゅう麺にして出すとそれは全部食べた。
イチゴも一粒だけ。
粉のポカリを買ってきて薄めにして飲ませたりした。
病院から電話がかかってきて、薬の処方箋を受け取ってないので取りに着て欲しいと。
「えっ、薬が出てたんだ。」と初めての病院は勝手が違ってうっかりしていた。
それからまた、病院まで往復、いつもの内科の薬局で受け取ると薬剤師さんが「胃腸の薬は珍しいですね。」と聞いてくれたので
一部始終を語った。

晩御飯は鰻、春菊の胡麻和え、サツマイモのレモン煮、玉ねぎ、シメジのお味噌汁を作って、弟が帰ってきてから一緒に食べるように伝える。
電話で聞くと晩御飯はご飯以外はすべて完食したそうだ。
心底ほっとした。
どうやら、抜歯の疲れと抗菌剤の副作用のような気がする。
抜歯の後は出血も止まり、痛みもなかったので痛み止めの薬は飲んでいない。
今回は眠ってばかりだし、水もあんまり飲まないから「ついに老衰が始まった。」と慌てた。逆にあまりに急に食欲がなくなったので心底びっくりしたが、母なりに頑張り過ぎて疲れが出たのだろう。
今回も旦那が来てくれたのですごく助かった。足元がおぼつかないので車の乗り下りも大変だった。

昨日の晩御飯、鶏のから揚げ、スナップエンドウ、セロリ、トマト。サツマイモのレモン煮。シメジと豆腐のお味噌汁。

実家の冷蔵庫に長い間転がっていた大サツマイモは甘くてねっとりしててとても美味しかった。




親との付き合い方 お彼岸の一日

2025-03-21 06:27:07 | 介護
お彼岸の中日
実家の法要に行く。
実家から歩いて行ける所にお寺がある。
予約して、拝んでもらう。
早目に行って母と昼食を食べようと思った。

行くとテレビも付けずに寝ている。
どうも食欲がないようだ。
薬のせいかとても眠たいとも言っていた。

仕方がないので、先に食べて旦那と向かう。

お安い上握り。菜の花の辛し和え、スナップエンドウ。長芋、シイタケの炊いたん。
前日から、母は「もう行かない。」と言っていたので。

お寺ではスムーズに拝めるように工夫をしてあった。
30分程の法要を終えて、そのまま帰るつもりだったが私は心配なので戻ると、まだ、母はベッドで寝たまんま。
弟に連絡するともう少しで戻るとのこと。待つことにする。
水分もあまり摂らない。
熱を計っても平熱、血圧も少し下が高いくらいだった。念のために、とん服を飲ませる。

弟に託して帰宅したが、夕飯も食べなかった。
腰も痛いようだ。

次の日の朝、デイサービスを休むようだったら、私がまた、実家へ行こうと色々キャンセルの連絡を入れる。
調べると抗菌剤の服用は胃腸に副作用があるそうなので、そのせいかも知れない。