遊びをせんとや

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おもしろがりながら楽しみたい。
人は「遊びをせんとや生まれけん」です。

人生は選択の連続 もう何者にもならなくていい

2025-03-05 06:42:51 | メリハリ充実年金生活
最近、色々話ていると、どうも、家に旦那と二人でいると気づまりな人が多いようだ。
完全退職すると、この向き合わなければならないと言うことが夫婦の問題になってくるらしい。

我が家は、省エネのために、寒い時期は床置き暖房を一つと長方形のこたつを出しているので
その長辺の一辺に二人が座り、並んでテレビを観るという図が多い。
幸い、ほぼ趣味が一致するので観る番組でもめることもない。
6畳のリビングと8畳くらいのダイニングキッチンが一続きになっているので、そこで日中は全て完結する。

上階にも8畳の仏間があるが、そこに居ることも可能だが、私が絵を描く時、着物の着付けをする時以外はあまり使わない。

旦那はどんどん空気のような存在になってきて、ストレスにはならない。
向こうもそう言っていた。日常は「ノンストレス」だそうだ。
でも、日常のささいな、しょーもない事を話す相手がいて本当に良かったと思う。
しみじみ良かったと思う。
私の録画した番組を観るともなく観るし、旦那は映画を映画館に観に行き、私は劇場に歌舞伎を観に行く。

それぞれの愚痴を聞いていると、「でもそれは自分の選択の結果だから。」と思ってしまう。
私は弱い動物でその分、直観が鋭いのか自分に過度な負荷がかかる物事から自然に遠ざかるような選択をしてきたようだ。
だから、「あの時、こうしていたら。」と言う思いは、ほぼない。

年齢が行くと、普通に家で生活していて、買い物に行き、自分の食べたい物を料理する。
そして、好きなお酒を飲み、しみじみ美味しいと思う。
お風呂の残り湯でセーターを洗濯し、テーブルクロスを洗濯し、干す。
庭に梅が咲けば、目白夫婦が訪れ、愛でつくづく可愛いと思う。
もう、この先「何者にもならなくていい。」と言う諦観が心地よい。

そんな日常が幸せで良かったと思う。

昨日の晩御飯は圧倒的にハンバーグが食べたくなって。蓮根すりおろし入りハンバーグ。

人参バター煮、マッシュポテト。豆スープの残り。

トマト、蕪の皮つきソテー。