遊びをせんとや

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おもしろがりながら楽しみたい。
人は「遊びをせんとや生まれけん」です。

シュタイナー教育の鳥羽口

2012-05-27 16:38:01 | 美術教育
最近とみにシュタイナー教育が気になる。

小中連携という言葉もちまたには飛び交う。

中学校の先生が小学校に行って教える?って
これが小中連携?

英語教育が小学生にとって本当に必要とは
思えない。
本当に小学生にとって必要な教育を私たち
無免許の者ができるとしたら、、、、。

よっぽど勉強して納得してからでないと
実践なんてできない。

というわけで昔から気になって本まで
買ったシュタイナー教育

私が手に入れたのは
筑摩書房 シュタイナー コレクション1
子どもの教育
高橋 巌 訳






一度2~3年前に読みかけたけれど
私の中での興味が盛り上がって
いない時だとどうにも読んでいて
眠くなるのです。お恥ずかしい話

でも今回なんだか私の中で警鐘がなる。
「シュタイナーに行け」と

関係ないですけれど
昨日NHKで未解決事件 オーム真理教という
番組をやっていて元信者に「なんで入信したんですか。」
というのを聞いていた。
その問いに元信者は「いつもこれは現実、これは空想
って日常生活の中で現実と空想が入りみだれる。」と
いう答えを言っていた。
うーんそれってわかるような気がする。
あくまでも私にはそいういう日常はないけど

突然神がお告げみたいにピーンと来る瞬間はある。

そういう出会いなんですね。シュタイナーとは。

という話をするとシュタイナーの人智学って
そういうオカルト的な部分に踏み込んでいくので
本当はオカルトではないのですけれど
ってえらそうに言いながら私まだその核心は
定かではありません。


でもこのコレクション1の「子どもの教育」には
いくつかのすごい内容が含まれているのは事実だと
思います。私は。

この内容をシュタイナーが書いたのは
19世紀終わりから20世紀初めなんですよね。
その中で
子どもの教育で大切なことは
7歳までは子どもは大人の事を模倣する。
7歳~思春期までの子どもに
とって一番大切なのはおのずから
生まれた権威に従うことと。
記憶力を育ててやること。
知性は思春期を過ぎた頃から
現れるという。

これってすごい事じゃないですか!?
よって小学校お受験なんて具に骨頂だということ。
早期教育があかんという事。
小学生~中学校1年生にとって総合的学習はやってはいけないこと。
なんですよね!
もっと言えば幼児期に虐待を受けた子は
自分の子どもにも虐待をするという可能性が高いという事ですよね。
もう一つ言えば小学校でクラス崩壊にあった子どもは
権威に対して素直に敬虔な気持ちで頭を下げるということが難しい
ということですよね。

主にこのシュタイナーコレクション1に
収められるいる文章は1920年までに書かれた物が
中心なんでしよね。
私シュタイナーに自分の子どもが生まれる前に出会いたかった。
(でも早期教育なんてしてないけど、、、。)

小学生にとって
大切な事は直観を育ててやる教育
体を動かす事や音楽を楽しむことや
美しい色や形に直観で触れることなんですよね。

ということで小学校の先生
一緒にシュタイナー学んでみません?
ってお誘いの連携だったらできるかな?




対話型美術館鑑賞

2012-05-27 08:25:02 | 美術教育
26日土曜日
国立国際美術館


            



教員向けの鑑賞ミーティングに参加する。


朝10時30分から午後の結局5時までかかった。
長丁場のまさにミーティングだった。

最初のワールド・カフェという形態の
意見交換

テーブルには4~5人までの参加者
真ん中にテーブルクロスのような白い紙を置いてあって
そこに色々、言葉や絵を落書きする。
メモのようなもの。

ルールは
最初に簡単な自己紹介
テーマにそって一人は簡潔に
相手の話に耳を傾ける
積極的に話す
アイディアを繋ぎ合わせる


20分経過したら一人テーブルマスターになって
残りの人は旅人となり
他のテーブルに
もとのテーブルの人と同じテーブルにならないように座る。
そしてまた意見交換
これをアイディアを他花受粉という。

次にテーマを斜めに少しずらして気づきや発見を
統合していく。


という手法

なかなかおもしろかった。
毎日新聞の星座占い(これがまた私にはよく当たる)
にはてんびん座は「目だってなんぼ。積極的に行動すると吉」
と出ていたので
最初に自己紹介して第一のテーマ「美術館とは」という
問いに「私にとって疲れていても癒される場所」と
意見を述べる。

参加者は小学校の先生が多い。中には美術の専門学校の先生や
高校の先生もいらっしゃる。高校の先生には作品を作って
発表する側の人も。

次のテーマは「子どもにとって美術鑑賞とは」というお題

みんなの理想は
ヨーロッパのように数人の子どもが絵の前に座り
先生や学芸員の人が説明をしたり
それぞれの意見を交換してそれぞれの感じ方を共有する。

そんな鑑賞を実現するためには
予算、交通手段、時間が問題。

それと評価の問題
最初に評価基準をはっきり提示してやらないと
いけないという。

でもなー
その子なりにしっかりまじめに鑑賞したら
それで良しなんじゃないのかな?
だれかが不十分だという前提で評価するのでは
なく全員が100点の場合も十分ありえると
いう構えでもいいんじゃないかな?
評価っていうとどこかで差をつけなければならない
のはおかしい。早くこううい部分は絶対評価に
なれっと思う。


「感想文で良かった。」って書かなければならない
から最初から気が重いまま鑑賞に行ってしまうなんて
もったいない。中には「嫌いな絵」だってある。
でもせっかく美術館に足を運ぶんだから
事前指導でわくわくさせることは必要という意見もあった。


午後から実際の展覧会をグループで鑑賞して
具体的なこども向けの鑑賞方法を考える。

私のグループには美術が専門ではない小学校の先生がいらして
かなり今回の特別展「コレクションの誘惑」は



                    





地下3階が
写真で地下2階が絵画だった。
写真の中には相当グロテスクと思える物も当然混在している。
「見たあとで説明を加えて納得させる自信がない。」と
もっともな意見。
でもなー、世の中には小学生の理解を超える物が
当たり前だけど☆の数ほど存在するから
そう説明しなくても「あーこれは○○やね。」と
スルーしてもいいじゃないかな?
写真って結構グロテスクな力を持って迫ってくるもんだし
そういう美もありってことで。

そういえば大学時代に彼氏と日展なんて観に行って
裸体画の前では当然、無口になってしまうし
恥ずかしいと言っていた友達がいた。
幸いというか悲しいかなというかその頃彼氏なんて
物が存在しなかった私はそういう体験を「へー」てな
感じで聞いていた。

そういやー美術品鑑賞なんて本当はとっても個人的な物
なんだと正直な所思う。
本当は一人で行くのがいい。
今回も私たちのグループは展覧会を見てすぐにバラバラに
なった。(とーぜん)
心の中で引っかかる絵や写真なんて本当に個人的に
違うもんなんだ。

最後の会田誠の「滝の絵」の前でみんな集合して



          




この絵の前で「これって奉納って額に書いてありますよね。」
と誰かが言う。
「ひょっとしてこれ神社やお寺に奉納する曼荼羅なんじゃない?」
と私が言う。
「描かれている人物がみんな中学生で危うい。しかもみんなビキニじゃなくて
なんでスクール水着なんだ?しかもみんなゼッケンつけて。同じようで
少しずつ違う顔。まるでAKB48 みたい。」と誰かが言う。
いち早く疲れてテーブルに戻った私たちのグループで後で話をしている
うちに「これってお風呂屋の壁に描かれている絵に雰囲気が似てる。」
ってな解釈まで飛び出した。
こういうみんなが少し心のどこかにひっかかった絵を前に
なんだかんだ言うのが対話型鑑賞なんじゃい?ってこのブログを
書いていて今思った。
そういう事が知らない人どうしで体験できたのはとても貴重だった。

でも正直、美術館に行くのはよほど親しい気心知れた人か
家族なんだな。