私は関西在住ですが40年以上前に車で会社の同僚と、ゴールデンウィークに東北を一周しました。当時は確か高速道路も整備途中で東名高速は開通してましたが、東北自動車道は全線開通してなかった様に思います。どのあたり迄高速道が延びていたのかは、はっきりした記憶はありませんが途中から一般国道を走ってました。
当時の車にはカーナビの装着は一般的ではなく、同乗者が助手席で分厚い道路地図帳を手にドライバーに指示して走ってました。今の車にはカーナビは、ほぼ標準装備されてますが今から考えれば、そんな車でよく長距離走ってたなと思います。東北の太平洋側を北上して青森港まで行った記憶があります。
途中で困った事も無く、順調に走行を継続して秋田県に入りました。しかし秋田県の男鹿半島で迷い込んでしまい道が分からなくなり、道路脇の小売店で聞こうと思って私が店へ入りました。店では “おばちゃん” が店番されてました。
私が聞いた事に対して丁寧に教えて頂いてる様でしたが、方言がキツくて何を言われてるのか全く理解出来ません。初めのうちは何度か聞き直してましたが、あまり繰り返すのは失礼に思って、その場はお礼を言って引き上げました。車へ戻った時に私が同乗者へ言った言葉は、今でもはっきり覚えてます。「あかん あれは日本語と違う サッパリ分からん」 本当、通訳が必要なレベルでした。
その後、少し走ったら女子高生風の人が居たので車を停めて聞いたところ、言葉のアクセントは地元風ですが、標準語に近い言葉が返ってきた(ホット一安心!!)ので理解する事ができて、順調に走行を重ねて無事に帰宅しました。
当時の車にはカーナビの装着は一般的ではなく、同乗者が助手席で分厚い道路地図帳を手にドライバーに指示して走ってました。今の車にはカーナビは、ほぼ標準装備されてますが今から考えれば、そんな車でよく長距離走ってたなと思います。東北の太平洋側を北上して青森港まで行った記憶があります。
途中で困った事も無く、順調に走行を継続して秋田県に入りました。しかし秋田県の男鹿半島で迷い込んでしまい道が分からなくなり、道路脇の小売店で聞こうと思って私が店へ入りました。店では “おばちゃん” が店番されてました。
私が聞いた事に対して丁寧に教えて頂いてる様でしたが、方言がキツくて何を言われてるのか全く理解出来ません。初めのうちは何度か聞き直してましたが、あまり繰り返すのは失礼に思って、その場はお礼を言って引き上げました。車へ戻った時に私が同乗者へ言った言葉は、今でもはっきり覚えてます。「あかん あれは日本語と違う サッパリ分からん」 本当、通訳が必要なレベルでした。
その後、少し走ったら女子高生風の人が居たので車を停めて聞いたところ、言葉のアクセントは地元風ですが、標準語に近い言葉が返ってきた(ホット一安心!!)ので理解する事ができて、順調に走行を重ねて無事に帰宅しました。